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黄金のペットボトル~GOLDEN PET BOTTLE~

先日、東京・日本橋にて行われたACTA+ ART AWARD にて、須賀川市長沼地区出身のアーティスト・木村晃子さんが準グランプリを受賞しました。
全国100組以上の応募者の中から選ばれたという快挙で、地元からもたくさんの祝福の声が届いています。

「黄金のペットボトル」とは、道端に捨てられている〝尿〟入りペットボトルに彼女がつけた名称です。地元である長沼地区の勢至堂峠に捨てられているたくさんの黄金のペットボトルを見て、「なぜだろう」という疑問と違和感がこの活動の発端だとか。そこからアーティストとして独自の視点でこの問題を追及し、各界の有識者や専門業者を巻き込んでのプロジェクトにまで成長しています。

彼女の活動やその姿勢を見るたびに、こんなふうに物事を見て、自らつくれる人がもっと増えて欲しいなとつくづく思います。福島の人(もしかすると日本全体かもしれません)は、本当に「人にどう見られるか」を異常に気にしているように私からは見えます。失敗も恐れまくっているように見えます。でもそれで残った現実って、どうでしょう?いま現在、私たちにとって住みやすい世界になっているでしょうか?

尿入りペットボトルはなぜ地方のあちこちの公道に捨てられているのでしょうか?長距離ドライバーのモラル欠如でしょうか?ではなぜ長距離ドライバーはそんなに必要なのでしょうか?なぜペットボトルで用を足さなければならないのでしょうか?この黄金のペットボトルの〝生産者〟は一人ではないのです。彼ら・彼女らをここまで追いやっている現実とは何でしょうか?それはもしかすると、オンラインでポチリとなんでもモノが買えるようになってしまった現代の仕組み、そしてそれらを何の気兼ねもなく使いまくっている私たちにあるのではないでしょうか。

資本主義の原理は「より早く、より遠くに、よりたくさん」だと言われています。資本を増やすことを主目的としているので、それらが達成されていれば他の要素(人の幸福など)は満たされてなくとも構いません。その結果、私たちは無限に資本を効率的に増やすための歯車となって、せっせと社会を動かしているのです。これは左翼的発想でも陰謀論的思考でもなく、あくまで客観的な事実です。

その結果、モノをたくさん・効率的に運搬するためのインフラの需要が急速に高まりました。しかし結局運ぶのは〝人〟です。そのひずみがどこに現れるかと言うと、つまるところ、最前線で働いているドライバーや現場の人間に、なのです。そしてそのモノの多くは主に都市部に運ばれて行き、その道中でどうしようもなくなって捨てられていくのが、「黄金のペットボトル」なのです。

このアートアワードが、東京の中心である日本橋で開催されたこともアイコニックだよねと、木村さんとお話しました。全国・世界のあらゆる一流品が集まる場所。たくさんのエネルギーとマンパワーが流れ行きつく先。展示会場の向かいには千疋屋本店があり、そこから福島の黄金のペットボトルはじめ、各アーティストのサステナビリティへのメッセージを込めた作品が見れること含めて、とてもアイロニックだなと感じます。

アートには「物事の見方」を提示してくれるという役割があると思っています。しかもそれは、すでに認知されたものではない「新しい視点」であるからこそ、意味があるなとも思うのです。
「サステナビリティ」や「SDGs」などはすでに耳馴染みのある言葉になってきました。しかしその実を真剣に考えている人は、どれくらいいるでしょうか?流行り言葉として使っているだけ、あるいは心証を良くするためだけに使っているとしたら、それは残念ながら資本主義の奴隷思考のままであることを意味します。企業利益のためにサステナビリティをうたうのは、最も愚かしい行為です。

そうは言っても、そう簡単に世界は変わりません。物わかりの良くて感度の良い人間ばかりではないので、この資本中心の世の中を少しでもいい方向に導くためには、常に「本当にそうですか?」と問い直す側の人間が必要なのです。そしてその役割を担うのがこれからのアートやアーティストなのだと、私は何の証拠もなしに確信しているのです。

それは私自身が東日本大震災による原発事故により、故郷を奪われたという経験によるものかもしれません。『原子力、明るい未来のエネルギー』と何の疑いもなく掲げられた当時のキャッチコピーは、いま横行している「サステナビリティ」や「SDGs」という言葉とそっくりそのまま同じように見えます。10年後、20年後、30年後、そしてその先の未来も本当に残せる仕事を私たちはできているのでしょうか?原発誘致時にはまだ生まれていなかった私たち世代が残されたような悲惨な未来を、残すようなことはしていないでしょうか?「持続可能な〇〇」といった言葉や表現を耳にするたび、心の中の子供の私が問いかけます。「大人のみなさん、それって本当に必要ですか?胸を張って私たちにバトンをつなげますか?」と。

だから余計、木村さんのような存在が東北から、福島から生まれたことをうれしいく思います。やっていることもですが、何より彼女の前向きなパワーがすばらしい。繊細な問題をもポップに、でも消費の対象にされないように注意を払いながら表現をする。こういった感度エリートの人たちが、これからもっともっと増えていくことを切に願います。私たちはネガティブになっている暇なんてない。あったとしてもそれをエネルギーに変えていくことが、生きていくことのひとつの意味なのではと思います。

長くなりました。
改めてピンクちゃん(木村さん)、おめでとう!
ビッグハグ💝

アーティストの木村さん(右)と

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