新・野菜メイン生活で感じること
はじめにですが、我が家の食卓はヴィーガンでもベジタリアンでもなく、しかもそれらを目指す予定もありません。
私自身は20代後半に一度、放射能の影響を意識して、食養生の観点からマクロビオティックをちょっぴり実践していました。
あれから数年、食の多様性や環境問題への意識が薄い日本でも、ようやくベジタリアンやヴィーガン、その他様々な食のあり方への理解度が深まってきたように感じます。
(マクロビオティックとは?の参考サイト)
「食」へのアプローチは、アレルギーや体質の問題以外から考えると、ほぼ「哲学」もしくは「宗教的」な次元まで行ってしまいそうだし、やみくもに自分のポリシーを押し付けたり、何のevidenceもなしに情報を拡散することは結構な迷惑行為だと思ってるため、積極的にはしていません。
誰かの行き過ぎた正義は、一方で誰かの毒にもなるというのは、自然の中での当たり前の真理だとも感じています。
でもだからってより良い食へのアプローチを諦めているかと言うと、そうではないんですよね。
私の食への関心の発端は、原発爆発後の放射線物質による体への悪影響をなんとか軽減したい、福島に住んでいる育ち盛りのいとこたちの未来を守りたい、というものだったので、おいしさや楽しみは二の次、実際的な結果だけを求めてのものでした。
ですが数か月の割とまじめなマクロビ生活の末、私の体はなぜか元気を失っていったのです。
動物性のものはもちろん、調理をする際でさえも油は使わず水で代用する。毎回何十回と咀嚼して、ひと食事を終えるまでにたいそうなエネルギーを消費します。
最近穏やかになったな~と感じていた心の変化でさえも、実はエネルギー不足によるしおれただけのメンタルだと気づいたのは、マクロビ生活をやめてからのことです。
(大切に育てられている子ヤギたち@熱塩温泉)
しかし、福島県にUターンしてきてから丸一年。
いただきものに野菜や豆腐などのヘルシーな食材が多く、知らず知らずのうちに「肉 < 野菜」にシフトしていた食生活ですが、今度はなぜか以前のような疲弊感はありません。もちろん無理に動物性のものを排除せず、油も使って毎日好きなレシピで調理しているため、以前ほどのストイックさがないというのも原因でしょう。
心に負担なく楽しい食生活を送れているためか、満足なほどの夕食を食べても翌朝には体は軽く、しかも肌つやもいい。おまけに気持ちまで明るくなる。加えて野菜メインだと料理の際の汚れも落ちやすく、無駄に洗剤を使ったり水で流しすぎなくていいという実利もついてきます。
(このあたり実際のメリットは、また別の機会に書いてみようと思います)
(いつかのベジタリアンランチ@郡山市)
つまりは野菜メインにした食生活では、いいことの方が多かったということになります。
でも、ここからがミソ。
何をどのようにどれくらい食べるかどうかは、個々人によってすべて異なる、ということです。
"ちゃんと" 実践してるはずのマクロビで、なぜか元気がなくなっていったあの時のわたしには、やり方が合っていなかったのかもしれません。
環境問題やアニマル・ウェルフェアの観点から見れば、即刻全人類がヴィーガンになるのがベストなように思えます。でも残念なことに、それは現実的とは言えません。
食は思想である前に、私たちすべての生き物が命を繋いでいくためのエッセンシャルな要素です。しかもこれまで人間中心で発展させてきた食の根深い問題を解決するには、相当な時間がかかるということを覚悟しておかなければならないでしょう。
だから私たちは長期戦を見据えて、続けなくてはならない。
続けるためにはどうするか。「定着」させる必要があるのです。
そして「定着」は、「楽しい」という感情を最大のエネルギーとしています。「楽しむこと」は、サステナビリティを実現するための最も欠かせない要素なのです。
エシカルやエコの観点が広まりつつある今、今度はもう一歩踏み込んで「自分が楽しいエコってなに?」を一人一人が考えるべき段階に入っているのではないでしょうか。
押しつけでもなく、流行でもない「サステナビリティの多様性」を見てみたい。そう感じるこの頃です。
(最後に…検索していたら出会った似たニュアンスのお話)
guesthouse Nafsha オーナー
*美郷*
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