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プロローグ

私は40代の在宅ワーカー、女性です。
夫と子供と暮らしています。
今年の初めに、両親と決裂しました。
これから『ナミダノハテ』シリーズとして、家族との関係や、決裂までのこと、日々思うことを記事にしていきます。

私は40代の今になって、自分はいわゆる「毒親育ち」だったと、やっと認めることができました。
親と決裂してしばらく、涙が止まりませんでした。移動中も、食事中も、起きても寝ても、台風の時の海辺の波のように感情は激しく満ち引きを繰り返して、その都度、涙が瞬時にこぼれてくる。
悲しいやら辛いやら苦しいやら、すっきりした気持ちや、すべてが終わったような気持ちは、ごちゃ混ぜになって喉元にせりあがってくる。

自分の話を聞いてほしい。家族じゃなくて、同世代の女性に、
「私が親との関係に下した決断は間違っていない」
と言ってもらいたい。
そう強く思いました。
ですが、他人の毒親問題に、膨大な時間を割いて献身的に耳を傾けてくれる都合の良い相手がいるはずありません。
私に姉や妹はいない。親友もいないし、学生時代の友人たちは既に連絡先さえ知らない。近所の仲良くしているお母さんたちには、まさかこんなこと言えない。
精神科やカウンセリングに行こうかとも考えたけれど、予約取って受診に赴き、手間暇金をかけたところで、相性の良い医師やカウンセラーに出会えるとは限らないと、気持ちが重くなったので探すのはやめた。
親と対峙すると、私の気力消耗がおそろしく激しい。気力が回復するまで指一本動かすのもやっとの状態が数日続く。
毒親育ちはどこまでも孤独な戦いを強いられる。今までも、これからもきっとそうなのだ。まったくほんとに呪われたわが身。
戦う相手は今までは親だったけれど、親と距離を置いたここからは、自分の感情を整理して、自分の気のすむように、現在と過去を受け止めていく作業になる。

何日も泣き暮らして、一か月、二か月……と経て、涙がこぼれる頻度は少しずつ下がり、夏の暑さが厳しくなり始めたころ、私は落ち着きを取り戻した。

『セルフカウンセリングで行けるところまで行こう』
気力も戻り始めて、自然にそう思えた。誰にも頼らずに、自分としっかり向き合ってみることは、親との共依存から抜ける第一歩かもしれない、と。
幸い、私は昔から心理学に興味があって河合隼雄先生の本を何冊か読んでいたし、大学は福祉系で児童心理を学んだ。20代の頃に短期間であったがカウンセリング(やっぱり親子問題)を受けたこともある。働いていたのもそちら方面だったから、何とか自分の呪いに立ち向かえる気がした。

とは言え、自分が抱えていることはなかなか重く手強い。毒親アダルトチルドレン関連のYouTube観まくって、新しく買った本も数冊読んでみた。そして自分の思考は知識を得てどんどん変化していくのを感じている。
あれこれこうこう思うことは正常なのかな? 
自分のわがままなのかな?
傲慢なのかな?
と自身を顧みることもしばしばある。
もしかしたら、毒親育ちさんが自分の人生を生き始めようとするとき、今までの物の見方や価値観のメガネが外れて、どこに立っているのか、自分は何なのか分からなくなるのかもしれない。

そんなとき、私がこれから様々書いていくこのノートが、わずかでも誰かの役に立つなら、とても嬉しい。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
これからどうぞよろしくお付き合いください。



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