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日本神話と比較神話学 第五回 原初の争いと「人間」の誕生 五男神、原アーディティヤ神群、原アムシャ・スプンタ

0 はじめに

 神話において、創世神話が世界の始まりを語るように、世界の滅亡もまた描き出される。むしろ世界の様々な神話が描く宇宙の歴史は、現代の人類が生きる世界に至るまでいく度もの破壊と創造(再生)の繰り返し、生まれては消えてゆく世界の在り方こそを主題としているかのようですらある。
 アステカ神話の五つの太陽の時代、マヤ神話の土・木・玉蜀黍の各人種の時代、ギリシア神話の黄金・白銀・青銅そして鉄の各種族の時代、あるいは各地の神話に残る大洪水による人類の絶滅など、世界中の神話は各時代ごとに出現した人類がその時代とともに滅亡していく姿を描き出している。
 むろん消えゆくのは人類だけではない。神々もまた滅び去る。神々があるいは滅び、あるいは地上を去ることによって、現代の人類の世界、人間の時代が訪れるといってもいいだろう。日本の神話も例外ではなく、地上の最初の王たるスサノオが去った後に大国主神の支配する国津神の時代が訪れ、その国津神の時代も天津神の子孫・天孫の降臨によって神話の時代は終わりを告げ人間の時代(歴史)につながってゆく。。
 その「歴史」すなわち現在の人類の時代についても、アステカの神話は、地震によって終末を迎えると予言する。あたかも、この時代もまた単調な興亡の繰り返しの歴史の一幕であるとでもいうかのように。
 むろん神話が描くのは無為な繰り返しなどではなく、興亡によって時代が進むごとに交代に出現する人類は、いわば「進化」をしている。現生人類の出現はその進化の「帰結」であると同時に、仮に滅びるにせよ次の人類の進化の「起源」でもあることを神話の倫理学は告げているのだろう。
 ここで論じるのは原初の神々の争いと、その結果の人類の誕生である。時代を動かす興亡は、平和的に行われるばかりでなく、むしろ争いを伴う。その争いによって次の時代、次の人類が生じる。
 以下、各地域の神話に見られる上記の主題の比較神話学的な検討を行う。

1 原初の争い

 人類最古の唱導宗教といわれるイランの民族宗教・ゾロアスター教の創始者は世界の始まりに二柱の霊がおり、一柱は善をもう一柱は悪を選択したと語る。それに裏付けられるかのようにゾロアスター教に受け継がれたイラン神話の創世記は、善と悪の二神の存在から始まる。

原初の宇宙に存在した善なる神はアフラ=マズダ(知恵の主)、悪なる神はアングラ=マインユ(怒りの霊)といった。アフラ=マズダの提案をアングラ=マインユが受け入れることによって、対立する二神は一万二千年の時を定めて争うこととなった。(アフラ=マズダはその叡智からこの約定による自らの勝利を知っていた)最初の三千年、アフラ=マズダは天空(おそらく金属の外殻)・水・大地・植物・動物・人間を霊的な状態(アムシャ・スプンタ)で創造し、次に被造物を物質的な状態に変換した。アングラ=マインユも対抗して悪魔を創造したが、アフラ・マズダの創造のあまりの見事さを見たアングラ=マインユは三千年間気絶した。目覚めたアングラ=マインユは配下の女悪魔に励まされ、アフラ=マズダの創造した世界への攻撃を開始した。まず天空(天殻)の下部に穴を穿ち世界に侵入し、最初の動物である原初の牛最初の人間であるガヨー・マルタン(アフラ=マズダの分身的存在でもある)を殺害した。死んだ牛の精子は月に運ばれ動物たちの種子となって地上にばらまかれた。またガヨー・マルタンは死に際に精液をこぼし、その精液から生まれた植物から最初の人間が出現した。

 最初の三千年がアフラ=マズダの創造の時代、次の三千年の終わりにアングラ=マインユが世界を襲撃、さらに次の三千年は混合の時代と言われ
この時代の終わりにゾロアスターが出現、保管された彼の精液から千年ごとに救世主が顕われ、三人目の最大の救世主サオシュヤントの出現で最後の戦いが起き世界の終末を迎え、定められた一万二千年の周期が終わり新たな世界が始まるという。
 このような神々の諍い・争いと結びついた終末論はゲルマン神話にも見られる。

神々の王オーディンの息子で神々の世界の皇太子でもあるバルドルは、夢によって死の運命を告げられる。それを憂いたバルドルの母フリッグが世界中の生物・無生物にバルドルを傷つけないことを約束させた。だが、この時ヤドリギだけは契約ができなかった。こうして無敵になったバルドルを祝い、神々は戯れに様々なものをぶつけた。盲目のため神々の輪から外れていたバルドルの兄弟・ヘズに、悪神ロキは弱弱しいヤドリギを渡しバルドルに投げさせた。バルドルはヤドリギに貫かれて絶命した。母フリッグは冥界の女王ヘルにバルドルを生き返らせるよう懇願し、世界中の生き物がバルドルのために泣けばバルドルを生き返らせるという約束を取り付けたが、これもロキの妨害で叶わなかった。

 このバルドルの死をきっかけに、悪神ロキや巨人たち悪の勢力と神々の対立は深まり「神々の黄昏」といわれる世界の終末へとなだれ込んでいく。そして終末後の世界においては再生した世界に、和解したバルドルとヘズが冥界より復活するという。
 高度に神学化されたゾロアスター教の神話とは対照的な、粗野だが活力に満ちたゲルマン神話だが、両者の神話は多くの点を共有している。

  1. 神々は誓約によって世界を安定させる。

  2. しかしその誓約の不備によって、悪神が世界を混乱に陥れる。

  3. その結果、至高神の分身的存在が死んでしまう。

  4. 続いて神々の世界に終末的事態が訪れるが、一部の神々は復活した世界に再生する。(あるいはその子孫が人間となる)

 ゾロアスター教神話とゲルマン神話は以上のようなあらすじを共有している。この枠組みを日本神話に適用してみよう。

父神イザナギより海原または地上の統治を任されたスサノオだが、それを放棄し、母親の国である根の国(地下世界)へと向かうと訴える。スサノオは姉である高天原(天上世界)の支配者・天照大神にそれを告げようと高天原に上るが、天照大神はスサノオが高天原を奪おうとしていると考え、武装していむかった。スサノオは自分に邪心がないことを示すために天照大神と誓約の儀式を行った。(この儀式によって生んだ五柱の男神を天照大神は自らの子供とした)邪心がないことを示したスサノオは高天原で暴れたが、天照大神は弟スサノオに邪心はないとかばった。しかしスサノオはさらに、神聖なる機織り小屋の屋根に穴を穿って逆剝ぎにした馬を投げ入れ、そのために機織り女あるいはワカヒルメという女神が性器を杼(機織り道具)で傷つけて死んでしまった。これを畏れた天照大神は天の岩戸に閉じこもってしまった。太陽神である天照大神が隠れたので世界は常夜(明けない夜)となり、怪異・災害にあふれた。終末的事態に困った神々は相談の結果、儀式を行うこととした。儀式において女神アメノウズメの踊りに沸き上がった神々に不審を抱いた天照大神に、神々が「貴方より尊い神が現れました」と告げ鏡を見せると天照大神が岩戸を開いたので、神々は天照大神を岩戸より引き出し、世界に光を取り戻した。世界に混乱を招いたスサノオを、神々は高天原より追放した。

 以上の日本神話の流れを下記のように整理しよう。

  1. 天照大神はスサノオとの誓約によって高天原を安定させた。

  2. しかし弟スサノオの乱暴を見逃したため、高天原は混乱した。

  3. その結果、機織女あるいは天照大神(別名オオヒルメムチ)の分身的存在とされる神ワカヒルメが死んでしまった。

  4. 続いて天照大神が天の岩戸にこもったため世界は災禍に覆われたが、天照大神が岩戸から出たことで世界は再生した。

 日本神話はゾロアスター教およびゲルマンの神話と1.から4.のあらすじを共有している。ゾロアスター教神話では最初の人間と一緒に牛(家畜)が殺害されるが、日本神話でも機織女あるいはワカヒルメは馬(家畜)と一緒に死んでいる。同様にゾロアスター教神話では悪神は天蓋に穴を穿って侵入するが、スサノオも機織屋の屋根に穴を穿って馬を投げ入れる。また機織女またはワカヒルメの死のきっかけである杼は、盲目のヘズがバルドルに投げたヤドリギはいずれも本来無害な器物が死の原因となったという点においてよく似ている。以上、日本神話と他の神話の類似点は細部にまで確認できる。

《補遺》
 ワカヒルメは古事記には現れないが、日本書紀の一書(異伝)に出てくる神格である。稚日女尊と表記される。日本書紀では「みこと」と訓まれる「尊」と「命」の敬称は使い分けられ、「尊」号は特別に貴い神格に用いられる。ワカヒルメは天照大神の別名オオヒルメに対応する神格といわれる。神々の王であるオオヒルメに対する皇太子(若き天照大神)ともとれる。天照大神の五柱の息子のうち、「尊」号で呼ばれるのは皇室の祖先となるアメノオシホミミだけであるので、ワカヒルメとはアメノオシホミミの別名かもしれない。この場合は、よりゾロアスター教神話のガヨー・マルタンやゲルマン神話のバルドルに近い神格となる。神々が天照大神に「貴方より貴い神が現れました」と告げるのはワカヒルメ復活の神話があった痕跡かもしれない。
 ワカヒルメの性器の損傷が死の原因というのは不審だが、ガヨー・マルタンが死の間際に精液を流したことから、ガヨー・マルタンもまた性器に傷を負ったのかもしれない。馬が「逆剥ぎ」にされたというのは通常は字義通り馬の皮がはがされたことと解釈されている。しかし実際ははっきりしない。「逆剥ぎ」という言葉は「生剥ぎ」という言葉と対のように、天津罪(中臣の大祓の祝詞に国津罪とともに現れる人民の犯す「罪」を表す言葉)の項目に現れる。
 ここでは仮設的に「逆剥ぎ」は動物に対する(儀礼的)去勢、「生剥ぎ」は人間に対する割礼を表す言葉と考えたい。幼児に割礼を施す民族は多い。割礼により子供が男らしく/女らしくなるという。ゾロアスター教神話で原人や原初の牛(家畜)の精液が動物・人間を生んだように去勢や割礼は性的エネルギー(豊穣)をもたらすと考えられていたのかもしれない。
 以上の考察を基にすると、秋田県の伝統行事のナマハゲは刃物を持った異装の集団(来訪神を模している)が子供を脅すというものだが、そのナマハゲは「生剝ぎ」と同源の言葉で、本来は子供の性的エネルギーを強めるために伝統社会で行われる儀礼的割礼だったと推察できる。同様の来訪者の行事は家畜にも見られ、正月に猿回しの芸人が馬小屋を訪れ家畜の馬に猿回しを見せるという風習がある。

2 真実の神と正義の神

 上記の議論で日本神話のワカヒルメはアメノオシホミミと同一視され、ゲルマン神話のバルドルに対応する神格であると論じた。
 フランスの神話学者デュメジルはゲルマン神話のバルドルとヘズに対応するインド神話の神格としてアリヤマンとバガを挙げている。
 インド神話のアリヤマンとバガは女神アディティの子供たちとされるアーディティヤ神群に属している。アリヤマンは歓待、バガは分配と幸運をつかさどるという。このバガには盲目であるという伝承がある。「幸運」の「分配」は盲目的にされなければならないということだろうか。デュメジルは裁判所にある正義(公正)の女神の像が天秤を持ち目をふさがれていることを指摘している。このインド神話のバガの盲目は、ゲルマン神話のヘズの盲目に対応している。
 ゲルマン神話の主神オーディンにはバルドルとヘズという息子がいる。一方でインド神話のアリヤマンとバガはヴァルナと並ぶアーディティヤ神群の首領の、契約の神ミトラと関係が深い。特にアリヤマンはヴェーダの讃歌ではしばしばミトラとともに呼び掛けられる。デュメジルはオーディンやミトラといった主権神に仕える彼らの在り方を「小主権神」と呼んでいる。
 では日本神話の天上世界の主権神である天照大神に仕える小主権神はいかなる神格が相当するのか。(神話学者の吉田敦彦はアリヤマンに対応する神格をタカミムスヒ、バガに対応する神格をカミムスヒとしている。だが、ここでは別の観点から論じる)
 まず、バルドルのように法に守られて生まれ、「脇子」といわれ大事に養育され主権神・天照大神とは、ミトラとアリヤマンのように密着した、アメノオシホミミ(本論ではワカヒルメと同一視)が小主権神として挙げられるだろう。
 次にバガ・ヘズに対応する神格だが、アメノオシホミミのすぐ下の弟であり、国譲りの交渉のために派遣されたが大国主神に媚びて戻らず、また、国譲りの条件として幽界に隠遁した大国主神の祭祀を請け負うこととなったアメノホヒが相当するだろう。(天照大神の左の髪飾りから生まれたのがアメノオシホミミ、右の髪飾りから生まれたのがアメノホヒ)
 大国主神に味方すると思われるほど高天原の神々と距離を持っていたこと、幽界(「見えない世界」)に隠れた大神の祭祀を担当することなど、彼の事績はバガやヘズの「公正」としての「盲目」に対応すると思われる。ゲルマン神話のヘズの「盲目」は契約に守られたバルドルの死をもたらし、アメノホヒの見えない世界への祭祀はアメノオシホミミの子孫の地上王権の獲得の交換条件(契約)である。いずれもこれらの神格がバルドルやアメノオシホミミの「法・契約」の欠陥を示し補完する神格であることを示唆している。バルドルとヘズの関係は悲劇的だが、両者は分離できない。

 メソポタミア神話の太陽神シャマシュ(シュメールではウトゥ)はまた司法神でもあった。彼には左右の宰相といわれるキトゥとミシャルといわれる神が仕えていたが、この二柱はそれぞれ「真理」と「正義」を意味していたという。 
 小主権神たちは《司法》をつかさどる主権神の下、法・契約の《真理》と、それを別の次元で補完することで秩序を守る《正義》という、《法》と不可分の二つの原理を守護する神格であったといえる。

3 原初の五柱の神

 神話学者のデュメジルは、七柱とも八柱ともいわれるアーディティヤ神群が、本来は主権神ミトラ・ヴァルナと小主権神アリヤマン・バガの合わせて四柱で構成されていたのが本来の姿(原アーディティヤ神群)だったのではないかと論じている。実際、アーディティヤ神群に含まれる神々はヴェーダ文献以降の時代にも増減している。

 しかし本論では日本神話との比較から、原アーディティヤ神群はアーディティヤ神群から主権神を除いて、五柱の小主権神で構成されていたと考える。すなわち原アーディティヤ神群は天照大神の子である五柱の男神に対応する神格であったとする。
 アリヤマン・バガとアメノオシホミミ・アメノホヒの対応はすでに論じた。皇族の祖であるアメノオシホミミ、大国主神を祀る出雲国造家の祖であるアメノホヒに対して、アマツヒコネは川内国造など多数の氏族が子孫として挙げられている。アマツヒコネという一般名詞に近い神名から、あるいは人類一般の祖先としての神格であった可能性がある。同じく人類の祖先としての伝承があるアーディティヤ神群のスーリヤに対応するだろう。
 イクツヒコネとクマノクシヒは詳しい事績がないため性格が確定しがたい。ここでは同様にアーディティヤ神群で性格の不明瞭なダクシャとアムシャに対応すると考える。
 ゾロアスター教神話では善神アフラ=マズダに仕えるアムシャ・スプンタという七柱の神々がいる。七柱のうち筆頭に挙げられる牛の創造者(craftman)とされるスプンタ・マンユはインド神話のトヴァシュトリと同一の神格であるという説がある。(参照:"त्वष्टा tvaṣṭā (Rigveda) is θwōrəštar- “craftsman” (Avestan), Tuisto (German) links with Indus Script Corpora as catalogus catalogorum of metalwork" by Srini Kalyanaraman)インド神話のトヴァシュトリは日本神話のタカミムスヒに対応する。またスプンタ・マンユはアフラ=マズダと同一視され、アムシャ・スプンタの一柱であるスプンタ・アールマティははアルメニア神話ではアフラ=マズダに対応する神格の娘または妻とされる。日本神話ではカミムスヒに対応するかもしれない。
 本論では上記の二柱を除いた五柱を原アムシャ・スプンタとし、主権神アフラ=マズダに仕える小主権神と考える。(デュメジルはアムシャ・スプンタはミタンニ・ヒッタイト条約文に現れる原インド=ヨーロッパ語族共通の主権神たる神々がゾロアスターによって変換された神格として論じている)

 さて、本論で展開した議論をまとめると下記の図表となる。

各神話の小主権神

 小主権神たちは神々の誓約を巡る諍いと争いの中で生まれ、時に神々の世界に終末をもたらすその混乱を、彼ら自身の存在によって秩序に引き戻す。また彼らは人間の祖先(人類は彼ら五柱の子孫であるという神話)である。
 この人祖たちの混沌と秩序の神話は、神々と人類の関係の縮約された模型でもある。

4 おわりに

 最後に発展的な話題を扱う。
 皇祖神である天照大神を祀る神宮(伊勢神宮)は内宮と外宮に分かれ、内宮は天照大神、外宮は豊受大神が祭神とされている。が、外宮先祭など不可思議な慣習が見られ、中世神道では外宮で祀られる豊受大神は天御中主神あるいは国常立神(いずれも記紀神話の始原神)の別名で内宮の天照大神よりも上位の神であるともされた。
 ここでは論証を省くが、かくも尊貴とされる外宮の豊受大神とはアメノオシホミミの別名ではないだろうか。天照大神とアメノオシホミミの密着はすでに論じた。本来の神宮の信仰の形式は、出雲大社でアメノホヒ(および子孫)が大国主神を祀るように、アメノオシホミミが天照大神を祀る(接待する)という形態だったのではないか。
 イクツヒコネを祀るという説のある生根神社はスクナヒコナが祭神だともいわれる。クマノクシヒはその名前からすると、スサノオが鎮まる熊野(熊野本宮大社)とのかかわりが連想される。
 これらを考えると、日本神話の各小主権神は、天照大神・スサノオ・大国主神・スクナヒコナを祀っているという信仰があったのではないかと考えられる。多度大社のアマツヒコネは主権神の祭祀との関係が見られないが、これはアマツヒコネに対応するツクヨミが伊勢神宮にまつられているからだろう。出雲大社を除けば伊勢・熊野・生根・多度は大和を囲んでいる。
 豊受大神はミケツカミであるが、この場合のミケツカミは主権神を接待し供食する神のことで一般名詞である。豊受大神が天照大神と供食する神として丹波から召喚されたという伝承はその信仰を指しているのではないか。つまり豊受大神(アメノオシホミミ)に限らず五男神は全てミケツカミである。


参考文献

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