カムバック初夏。
前回の投稿からまたまたぼうっとしていたら、気づけば7月。七夕まで過ぎてしまった。
こういう節句や節分は何となく、自分のなかでの区切りとしている。気持ちを入れ替えて再スタートを切るのによい機会だ。
毎度ぼうっとして更新を怠ってしまう自分に呆れつつも、完全に放棄せずにこうしてnoteに戻ってきたことをむしろ褒めたい。ここぞとばかり自分に甘くなってみる。
本当は3部作?になる予定である、前記事の続きは書き途中のまま下書きボックスのなかで干からびているし、6月頭に閉幕したエリザベート王妃国際コンクール(オーケストラで伴奏していた)の個人的な後記も、最終日が終わって帰宅したそのまま、祝い酒の勢いも手伝って興奮状態で夜中に書き上げたものが下書きフォルダに残っているが、さすがに見直してから投稿しようと思いつつ半端なままほうっておいてしまっている。
今週はずっと楽しみにしていたラフマニノフ作品たちのレコーディングのプロジェクト。どの程度口外していいものかわからないのでここでやめておくけれど、昨年も演奏した大好きな作品たちにまたお目見え。
ラフマニノフはやっぱりとんでもなくロマンチストだと思う。本人の演奏のように虚飾を排した、少し引いたくらいな表現でちょうどいいくらいに、ロマンが溢れすぎていて、こちらは身悶えする。
ロマンチストといっても、例えばチャイコフスキーのそれとは異なるアプローチの仕方なのかなと思う。
(このふたりを比べるのは野暮かもしれないけれど)チャイコフスキーのそれはプライベートな赤裸々長文日記くらいの重さがある一方、ラフマニノフはあくまで外の世界を、例えば車窓からの美しい夕焼けを、ある深い心情で受け取ったものを描写している、くらいの距離感があると感じる。絵画的ともいうのだろうか。(以上とっても感覚的な感想で恥ずかしいですが・・。
私がいつかiPhoneに残していた、音楽についての一言メモ。
「作曲家の心の中の、いちばん柔らかくて大切な部分を、音楽(音の集合)という形で閉じ込めたもの。
それが演奏者の心に触れて、その人が今までに味わった感情の記憶と溶け合って現出する音の表現(が、音楽)。
言葉では具体的すぎるし限定されてしまう表現が、音楽という液体のように柔軟な手段によって、適度に具体性を持って共有される、尊い営み。」
「柔らかくて、大切なもの」というのが、最近美しい音楽に接する時に浮かぶぴったりの言葉だった。昔飼っていた愛犬の耳たぶくらいの柔らかさ。とっても柔らかいから、力ずくではいけないし、壊しちゃいけない。音の集合となってそれなりにソリッドなかたちで生き延びてきたその繊細な結晶は、音として発する私たちが責任を持って、慈しみながら音にするとともに守らなくちゃいけない。
というスタンスで、音を出していく気概。
これを書いているのは夜中だから(現在23時)、明日の朝、さっぱりした頭で読み直してから投稿する。(→ちゃんと読み直しました
夜に書いたメールや日記はいったん寝かせるべし。
ある程度の気楽さで続けていきたいこのnoteのハードルが、少しずつ上がってきたところを一気に下げたいために書いた本記事でございました。
難しいことは考えず、そして奇を衒うこともなく、私らしく文章が書けたらいいのだが、それがなかなか難しい。
そういうことに才のある人が本当にたくさんいるのだなあとSNSなど見ていて思う。けれど私は私のままでやっていくしかない。
タイトルは、7月にもなろうというのに20度前後の日が続くブリュッセルから考えました。
ちなみに今日のお天気は雨、気温は17度。
今月末からは灼熱の(?)日本へ!ここでちょこっと宣伝です。
今回の帰国では、弦楽四重奏の演奏会を行います。
7月31日に京都と、翌8月1日には東京での演奏です。メンバーは昨年も共演した、ヨーロッパで出会った友人たちが中心です。
ベートーヴェンのラズモフスキー3番を中心にオーストリアゆかりの作品と、レバノン出身の女流作曲家エル=タークの作品をとりあげます。
京都公演、および東京公演の詳細は以下のリンクから!
ではまた近いうちに!
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