高校からなぜ突然アメリカへ音楽留学?
そもそもなぜ私が、16歳という年齢で突然アメリカに音楽留学することになったのか?
親戚がアメリカにいる、家族が転勤になったから・・・?
そんなことはありません。アメリカに旅行で来たこともないし、特に親族がいるわけでもない。はっきりいってあまり馴染みのない国でした。
ピアノとはまずあまり関係のない話になりますが、私は14歳の時に、ある夢を持ちます。
それは、
国連職員になる。
という夢。(今考えるとなんて壮大な・・・)そして、なぜこんな夢を抱いたかというと・・・
貧富の格差
ちょうど中学二年生の夏に、バングラデシュで一年住んでいた同い年の友達が家に遊びに来ており、私は、彼女から現地での話を聞き、カルチャーショックを受けます。ストリートチルドレン、人身売買、そして一番私にとって衝撃的だったのが路上でお金をせがむ目のない子供たちの話。彼女によると、お金欲しさの為に親が子供の目を態と刳り貫いて、路上に立たせるというのです。いかにも事故があって、無くなってしまったかのように見せかけて、私たちの同情心を狙ってくるという何とも小汚い商法。それに私の友達は、同い年だというのにバングラデシュではメイドを雇っているという生活(日本では一般家庭)。あまりの貧富の格差というものに驚き、
”この私で何かできることはないのか!こんな世界でいいのか!”
と、14歳ながら思い、考えに考えた末たどり着いた答えが、当時は国連職員になることだったのです。今思い返すと恥ずかしい位に無知だった自分・・・単純な夢見る子供でした。
国連職員を一時期目指す
さて、思い立ったが吉日!まずは国連についてネットや書籍を通して調べ、特に気になった機関や事務所には自らファンレターを送っていました。典型的な牡羊座の性格の私、いざ決断したら猛スピードで突進していきます(笑)。
勿論子供の手紙なんて見向きもせず、何も返事をくれなかった事務所もありましたが、大量のパンフレットと共に温かいお手紙でのお返事をくれた親切な方たちもいました。そして、そんな先輩国連職員から直々に手紙を受け取り、随分と興奮したのを今でも鮮明に覚えています。
情報収集の次に必要なことは・・・?
そうだ!自分に必要なのは、語学力だ!国連英検を受験してみよう!
なーんて、安易な考えの元、英語の勉強に張り切ったものです。
ALTのチェリスト先生との出逢いー人生のターニングポイント
まず思いついたのが、日常的に英語を使うこと!当時地元の公立中学校でALT(Assistant Language Teacher)をしていたアメリカ人の先生と、毎日必死で話しかけたり、仲良くなろうと心がけました。そして、学校側も生徒の英語力を向上させようとの計らいか、ALTの先生と話すと毎回シールが貰え、ある一定数たまるとプレゼントがもらえるという嬉しいシステムもありました。英語を学びたかった私にとっては一石二鳥♫といっても、皆んなネイティブの先生と話すのが怖いのか(日本語もまだそこまで喋れない先生だった)、毎日私を含めたった数人しかそのシステムを有効活用していないという印象でした。そして彼女との出会いが私にとっての大きな人生のターニングポイントになるとは全く想像していませんでした・・・。
そして15歳の夏。中学3年生。この時期の話題といえば・・・
高校受験。
当時の私は、音楽はすごく好きだけれど将来絶対ピアニストになる、音大を目指そう!・・とは正直そこまで強く思っていませんでした。もちろん興味が全くないわけではないので、山梨にある音楽高校(旧:甲府湯田高等学校)の夏季セミナーなどには何度か参加し、音高受験も視野には入れていました。
そして夏季セミナー最後には学校についての質問や相談ができる三者面談がありました。一般家庭、兄弟5人の中で育った私からするとお金のことはやはり気になる所。給費型の奨学金を受け取れる可能性はあるのか、と聞いてみました。
すると、返ってきた答えは・・・・
”日本の音楽コンクールでの一つや二つの受賞経験がなければ、我が校では奨学金を与えることは不可能である”
とバッサリ告げられました。特に輝かしいコンクールでの経歴があるわけでもない、ましてや私立の学校に簡単に行けるような家庭でもない。やはり日本での音楽高校進学は現実的ではない、と感じたのです。そんなこというと、じゃアメリカに行く選択はもっと高額になるんじゃないか?という話になりますが、詳しくはまた後ほど。
ALTの先生からの驚きの提案
やっぱり音楽はぼちぼち趣味程度に続ければいい、そもそも国連をやはり目指しているのだから、このまま語学力をあげて進学校を目指そう!と思っていた頃に・・・
当時地元に新しくできたコンサートホールで、地元の音楽家を招いたコンサートなるものがあり、私も出演させていただく機会がありました。そして、その時にはだいぶ仲良くなっていたALTの先生・・・彼女は、アメリカの名門イーストマン音楽院をチェロ専攻で卒業した方。音楽なら、好きだろうし、もしよければ・・・と思い切って誘ってみたところ、何とわざわざ会場に来てくださったのです!そして、私の演奏終了後、先生は演奏の出来から「せっかくの才能があるのに音楽をやめるなんて勿体ない」と言い、
最善の方法としてアメリカで音楽を学べば英語もピアノも勉強できる
と提案されました。
それを聞いた瞬間、私は・・・
口ポカーン。
頭の中ドッカーン。
まるで隕石が地球に当たったかのような衝撃。
アメリカで音楽を勉強する=英語の勉強+音楽の勉強
音楽を続けるべきか悩んでいたものの、このALTの先生の一言によって、好きな英語も続けられる、そしてピアノも同時に勉強できるという名案に心が揺らぎました。もしやこれが一番自分にとっていい選択なのかも?!
と強く思うようになったのです。そしてこの考えに至った頃には、もう既に中3の夏休みが終わろうとしていました。いよいよ高校受験シーズンが本格的に始まります・・・
そして、次に出た行動とは・・・