Misaki Saito / @ロサンゼルス
どうもみなさん、こんにちは!Misakiです。この記事に目を通していただき、ありがとうございます。これも何かのご縁ですね。コロナの影響により、3月中旬から自粛生活が続き、大分今までとはライフスタイルが変わってきました。(あつ森とNetflixの存在に随分助けられる日々)そこでこの持て余した時間をどうにか有効活用できないかと考えた結果、今回noteを始めてみることにしました。誰かの役に立てば嬉しいし、役に立たなくても自分の思ったことや学んだことを日々の記録として残せておければい
自分は、過去30年以上、”いい人”として生きてきた。 いい人とは 世間一般で考えられる”いい人”とは、いつもニコニコしていて愛想がよく、無理なお願いをしても殆どのことを頼めばやってくれる。ちょっかいを出しても笑い飛ばし、いじられキャラとして一見愛されているように見える。優しく人当たりは良いのだが、本人は意見を発しないのでその場にいてもいなくても分からない空気のようなそんな存在。 正に、私はこのタイプだった。 周囲からは、とにかく明るい人と言う印象を持たれていた。悲しい
これは、前回の記事「大変だった音楽留学準備」の続きの話になります。 気の遠くなるような書類の山受験用の英語論文は中3の冬、12月末には既に書き終わり、残るはオーディションテープ作成のみとなっていました。1月20日が、私が受験するアメリカの高校の願書締切日だったので、あまり時間に余裕はありませんでした。 いやあ、この受験用書類の準備はと・に・か・く・・・・膨大な量で何度も諦めそうになったことを今でも鮮明に覚えております。キラキラ女子が食べているような巷で流行りのふわふわフレ
音楽と向き合うということは、孤独な作業だと常々思う。 よく人からこんなことを言われる。 ピアニストって、可愛いドレス着られて、好きな音楽弾いてるだけで仕事できるなんていいね。勉強しなくてもいいし、ただピアノ弾いてるだけでいいんでしょ? 確かに舞台上では、華やかに着飾り、会場からの何百、何千の視線を集め、拍手や歓声でチヤホヤされる。一見楽しそうで、毎日がパーティーのように見えるかもしれない。 だけれど、音楽家というものはそんな華やかな毎日でただ楽しんで生きている訳ではな
今年の5月に起きたジョージ・フロイドさんの無残な死をキッカケにアメリカは今ものすごいことになっています。フロイドさんは、偽札の20ドルを使った容疑で警察に拘束され、その後白人の警察官が膝で首を8分46秒間押さえつけられたまま窒息死に至りました。 このショッキングな事件を発端にアメリカ各地ではプロテスト運動が連日続いており、私は今ロサンゼルスの中心地であるダウンタウン近くに住んでいますが夜中の2時、3時になってもサイレン、ヘリコプターの音が止まらない。花火の音なのか、銃声なの
この話は、前回の記事 ALTの先生からの留学提案は勘違い?の続きになります。 さて、思い立ったが吉日!アメリカへ音楽留学をする、という決心をしたのはいい。さぁ、次は?! ・・・はい、準備です。準備。 誰もが一番嫌がる作業ではないでしょうか。地道で、成功した先なんか見えず、トンネルの中をずっと彷徨っているような感覚・・・そんな作業が、準備というものですね。でも準備なしには、何も起きません! ステップ1:受験応募要項に目を通す。英語で論文を書くという挑戦。はい、日本の中
まだnoteをはじめたばかりですが、早速スキ、フォロー、そして初サポートもいただき大変感激しております!このシステム、noteならではでとっても素敵ですね。皆さんからのリアクションが励みです・・・😭 さて、今回の話は前回のこの話からの続きになります。 高校からなぜ突然アメリカへ音楽留学? 大きな勘違い次の日、学校に登校したらALTの先生が私にInterlochen Arts Academyというアメリカにある芸術高校のサマーキャンプ応募要項を私に差し出してくれました。先
そもそもなぜ私が、16歳という年齢で突然アメリカに音楽留学することになったのか? 親戚がアメリカにいる、家族が転勤になったから・・・? そんなことはありません。アメリカに旅行で来たこともないし、特に親族がいるわけでもない。はっきりいってあまり馴染みのない国でした。 ピアノとはまずあまり関係のない話になりますが、私は14歳の時に、ある夢を持ちます。 それは、 国連職員になる。 という夢。(今考えるとなんて壮大な・・・)そして、なぜこんな夢を抱いたかというと・・・