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散歩がてら好きな場所に行く
やっぱりどう考えても、京都に暮らしてよかったと思えることは、お寺や神社に散歩がてら出かけられることだと思う。観光としてその街を歩くことと、今日は天気がいいからという理由だけでその街を歩くことは、していることは一緒でも絶妙に何かが違う。やっぱり私は京都での暮らしを選んでよかった。
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今日も紅葉を見に東福寺へ向かった。東福寺の近くに私が高校生の頃から好きでたまらない推しの庭がある。「霊雲院」という臨済宗東福寺派の寺院。東福寺の方丈庭園も手掛けている重森三玲氏によって修復された枯山水の庭園が本当に本当に大好きだ。
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滋賀県内の大学生だった頃、ふらっと京都に立ち寄ってはひとりで霊雲院に向かい、ただただぼーっとそこに在る庭園を眺めていた。京都にひとりで行くときは、必ずといっていいほど立ち寄っていた場所。
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あるときから臨時の休園が多くなって、私が訪れるときには「本日休園」の文字が看板にいつも並ぶようになって。5年ほど行かなくなっていた。それが、今日、久しぶりに拝観できたのだ。
元々、東福寺に散歩がてら紅葉見に行きたいな、くらいの温度感で行ったのに、このタイミングで行けるとは。うれしくて寺院にまったく興味のないパートナーの手を引き、興奮を隠しきれないはやる気持ちで中に向かった。
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あぁ、そこに在る。何も変わりやしないし、無駄なものは何ひとつない。ただただ眺めて無になるだけ。そんな空間が広がっていた。外の喧騒がまったく消えた無の世界。鳥のさえずりと木々が揺れる声だけが聞こえる、なにもしない、には贅沢すぎる空間だ。
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枯山水庭園の何よりの魅力は、砂と石と木々だけで世界観を表現しているところ。川の流れや海の様子までをもこの静の空間に閉じ込めているのがすごい。いつまでもいつまでもこの世界の中にいたい、と思いながら霊雲院を後にする。
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結局、東福寺には人が多すぎていくのを断念したけれど、またすぐに行ける、という京都暮らしならではの身軽さで、境内を少しだけ散歩をして家に帰った。
こうやって散歩の延長、のような身軽さで好きなお寺に行けてしまうのは、京都暮らしの特権だ。観光とも違う感覚で、いつもの日々に京都ならではの文化を溶け込ませる、そんなことができることにうれしさを覚えながら。
こうやって、私は日々この時期に京都に引っ越してよかったと噛み締めながら過ごしている。
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