もうひとつの”京都”へ。綾部での豊かな里山暮らし。
12月初旬に、京都の北部にある綾部市を訪れた。京都が大好きでたまらなくなって移住した私なのに、京都市外への地域の魅力を全然体感していないなあ、と感じていたところに、シブヤ大学さんが主催するプログラムに参加。京都市街とはまったく別の、ただただ穏やかで優しい空気を感じられて、またひとつ京都の魅力に気づけた2日間になりました。
京都駅から特急まいづるに乗車し、約1時間。綾部駅からは小さなコミュニティバス「あやバス」に乗り、1回乗り換え、さらに山の奥へ。
上林エリアという、山に囲まれた地域に滞在。雪深いエリアだからか、急な傾斜が特徴的な茅葺屋根の家が、間隔をあけてぽつん、ぽつんと並ぶ。
同じ京都であるはずなのに、どこか生まれ育った岐阜の空気を感じる景色。バスを降りたとたん、思わず深く息を吸ってしまう。見渡す限りの青い空とぐるりと取り囲む山々が本当にきれいで。静かに流れる時間の空気感を着いて早々に感じられた。
お昼ごはんには、綾部で取れた野菜がふんだんに使われたプレートを。大豆ミートのカツや大根のコロッケとか、野菜を活かした食事がおいしくておいしくて。いつも急いで食べがちな昼食だけど、一口一口噛みしめてじっくりと味わって、おいしいと思うだけじゃ足りなくて、おいしいの余韻に浸りながら食べていた。
ランチで立ち寄った「二王の栖」という場所は、地域のコミュニティスペースにもなっているそう。古民家の落ち着くたたずまいで、大きな窓からはまるで絵として切り取られたような里山の風景が見られて、ついうっとり。うたた寝をしてしまいそうなやわらかな時間がただよっていた。
昼からはワークショップの時間。ネイチャーガイドの方とともに森を歩いたり、薪割をしたりのワークショップがあり、私はそのなかでも「農体験」のワークショップを選んでみた。
山の隙間に広がる畑で、レタスやえんどう豆の種を植えたりさつまいもを掘ったりして。自然の中で目の前のことを淡々とする、その行為がなんだか瞑想しているかのような気にさせてくれた。ただただ土のやわらかさを感じてみる、ただただ植えた種の行方を想像してみる。パソコンやスマホを前にしては得られない、深い階層の時間というのかな。
気づいたら3時間ほど夢中になっていた。ほかの参加者の人たちと他愛もない話をしながら、ときには集中しながら過ごした3時間。農業を楽しんでみることはもちろんだったけど、それ以上にこういう時間の過ごし方があるんだな、というのを教えてくれた気がした。
そのあとは、「夢のなかの家事」という名前のおしゃれなカフェに立ち寄った。畑と山の風景が切り取られるようにしてたたずむ場所で、居心地のいい空間。テイクアウトしたコーヒーは、深い時間のいい締めくくりとなった。
夜ごはんは綾部の野菜をふんだんに使った鍋をいただく。薪ストーブの揺らめく火を眺めながら、ゆっくりゆっくりと暖かさがしみ込んでくるよう。
古民家を改修した一棟貸しの宿が今回の滞在先。周りは山と畑ばかりで、真っ暗な静寂に包まれていた。こぼれるような星空が広がっていて、街灯のない怖いくらいの闇を感じて。普段都会で空を見上げて星を探すことなんてないけれど、のびやかな空気に背中を押されて、つい空を見上げてしまった。
朝目が覚めると、夜闇深かった場所には見渡す限りの空と山と畑が広がっていた。外の景色を見ながらゆっくりできる朝の時間、豊かだな~。
他の参加者の方たちとゆっくり散歩しながら2日目の集合場所まで向かう。すれ違う車も数台、もちろん歩いているのは私たちだけ。この壮大な景色をひとり占めしているようだった。
2日目のワークショップは京都府指定無形文化財に登録されている「黒谷和紙」を使った習字タイム。みんな思い思いに筆をすべらせていく。当たり前だけど、いろんな考えの人がいて、いろんな街に住んでいる人がいて、1つの事象であっても感じ方が違う人たちがいて。私だけの感じ方やとらえ方を大切にしたいと改めて思ったりする。
おばんざいのお昼ごはんをいただいて、プログラムは終了した。行きと同じように「あやバス」に乗り、帰りはゆっくりとJR在来線で帰宅。
なんだか、ふわっとした2日間だったな、と思う。プログラムに参加して、初対面の人たちと、地域に暮らす人たちと、これまでも会ったことのあるかのように語らって。いつも暮らす景色とは違う場所に身を置くことで、見えてくるものも感じ方も違うことを再認識して。不思議な、だけど心が浄化されるかのような2日間だった。
日々暮らしている日常と、少し距離を置いて。自分を見つめてみたり、非日常で味わう感情を観察してみたり。新しい刺激や景色を取り入れることで、新たな気づきもある。同じ京都だとしても、私にとって綾部での2日間は、いつもとは違う景色を見て違う感情を抱いていた。
同じ”自分自身”であったとしても、場所や関わる人が変わるだけで、また違った自分の感情に出会えるのは、何よりも楽しいことだな、と綾部での暮らしを思い返して感じる。またひとつ、京都が好きになるきっかけを作ってくれた町。次はどんな側面で京都を愛することができるのだろうか、楽しみだな。