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個展「鏡を立てる、骨盤を立てる、私を歩く」に寄せる散文

 私は、現代社会で”自分自身”を誠実に生きることについて考えながら制作している。自己や存在について興味を抱き、ドローイングを含めると、顔を用いて描き続けている日々は6年以上になる。油絵の具に触り始めてからは10年が経つ。

高校の頃は制服を着た人のドローイングが多く、表情やポーズを通して自身を投影することで、感情や考えを吐き出し受容する手段だったように思う。高校を卒業して学部に入るときにはコロナ禍で、他者との関わりが特に減少した。他者と関わらない世界線で自分という存在を認識し信じることができるのか、という私にとって重要な問いが生じた。感染症が大きく取り上げられなくなった今も、本質的な問題は大して変わっていないように思える。情報化・効率重視の現代で、人と人とが正対する時間とともに、身体性の意識も減少し、発露の仕方(自己の内外への意識・平衡への渇望、社会における自我の保ち方など)に困難を覚える人が、私も含め、増加しているのではないかという問題意識を感じているからだ。そんな世でも自分や他者と向き合い続け、受容を試みることは、社会と適応しない自己の側面も殺さずに”自分自身”を生きるために必要なのではないだろうか。

 顔という人間の感情表出の中核・生物が持つ生きるための機能の集中部分を、感情・感覚を掬いながら象っていくことによって、社会に殺されてしまいそうな私の、かき消されてしまいそうなあなたの、簡単につぶされて引っこ抜かれてしまいそうな小さな生命たちの、声で、顔で、静かに訴える。そうして感情・感覚、実存の自覚を促すことができたのなら、私も、私の絵もきっと嬉しい。なにかが、少しずつよくなるといい。自分のことを信じる人が増えたらいい。そういうことを思いながら生きている。私は今ここにいる。

本音を言ってしまえば、直接的に、より早く世界を良くしたいのであれば、より本腰を入れて教育に携わるべきだとも思う。制度として配管がしっかりしているし、これからを生きる人を育てることであるから。それでも絵を描きつづけるのは、第一に私にとって、自分の実存を示すこと、生き続けてきた私がいるという証を重ね続けることが大切だからなのだろう。この現代社会で私が私を生きるために、自覚として今必要で、再認識・時間的な自己の比較・指針として、これからを生きる私にとっても、絵を描くことが必要だという単純なことだと思う。ただ、そうして自分を守るため・生きるためにしていることが、同時に少しでも人のため・世界のためになる可能性を孕んでいることは、私にとっての希望だ。私は、つくることが人間を人間たらしめていると感じているし、つくることを信じている。
 

 今回並んだ作品はこれまでより、物質的な自分、身体をもって存在していることついて考えているものが多いと思う。今年に入って整体に通い始めてから、自分の身体への意識が強まった。私は背が高い方なので、なんとなくまっすぐに見えるかもしれないが、実際には前後左右に4cmも骨盤が歪んでいるし、右脚過重、巻き肩で、顎関節症、頸部は前方突出している。おかげで慢性の肩凝り頭痛腰痛もちである。それらは長年の癖の蓄積によって、すぐに正しい位置に戻すことは難しいようだ。でもそうか、私はこの身体で生きてきた。歪みさえ、どうしても自分の生きてきた姿勢・証になってしまう。この身体で生きてきたし、生きている。生きていく。歪んだ身体で立っている。

 もしかしたら、その歪みに気付かないでいたほうが楽だったのかもしれない。けれど、自分の姿勢によって歪み続けた身体を受け容れ、いたわることは必要に思えた。言い換えれば、整体に通うことでこの身体を矯正しようとしているということになる。本当の正常さなどあるのかと思いながら、健康を思うのであれば正されるべきなのだろう…しかしそうこう葛藤して正されているうちに、身体はすぐに戻るのだ、私の癖のかたちに。それに安堵を感じている私もいるが、正直なところ、日々駆使している身体に申し訳なく思うし、自分の身体のことなのに自分で調整・ケアをできないことに悔しさやショックを覚える。一度歪みに気づいてしまうと、気になり続け、差異に気付きつづけることになる。目指すものがわからず、いつもなにかを間違えているのかと不安になる。私たちははじめから複雑な、他者を予定した身体をもって生まれ、関わり合いながら生きてきた。

そうしてふと思うのは、歪んでること自体が悪いことではないのではないかということだ。それによって、痛みを引き起こしたり生活に支障が出てしまったりすることが問題なのであろう、当然かもしれないが。そして、目指すべき正しさがあるということは、もしかしたらある種、混沌とした世界を生きる私たちの希望になり得るのかもしれない。歪みのないことなどないのかもしれない。気付いていないだけで、私たちが不完全なのではなくて、もとの構造が完璧すぎるのかもしれない。歪んでいたとしてもそうでなかったとしても、私の身体であるし、考えなくてもわかることも私たちの感覚には備わっているし。考えなきゃわからないことも勿論あるが、それらがひとつの身体を元に起こっていることである、ということが私にはまだ不思議である。うん。集中してなにかをつくりあげるということは、人間の身体構造には向いていないのかもしれない。それでも、感じたり考えたりしながら何かを残そうと記すのは、やっぱりその行為が必要な私たちだからだろう。
今思えば、コロナ禍自粛期間中の私は、鏡を見たり自分の姿をレンズに写したり、運動をしたり、歌を歌ったりして、身体と外界の交わりを感じることによってどうにか自覚をしていたと思う。

 うーん、全然分からない。こう言ってしまうのは安直かもしれないが、わからないということがわかった。わからないから自分という人間の存在の不思議に思いを馳せ続けることができる、というのは一つあるのだろうなと思う。その中で、骨盤を立てるというのは何故か、なんとなくわかる。骨盤を立ててみると、それが基盤となって、血液が行き渡り始めるのを感じる。繋がっている。だから一先ず骨盤を立てる。反り腰に気を付けながら胸を張り、顎を引く。

 もうひとつ、今年の夏に親族が入院し、友人が指定難病を患っていることを知って、いずれ死するという人間の物理的な存在の仕方について考えざるを得なかった。その友人が、私の絵について「ひとつの命の流れを大きく描き出していることが、自分の生きるスタンスに合致し生きる気力になっていて、自分にとって回復薬のようであるのだ」と言ってくれたことがある。私には物理的に治すことはできなくても、絵を見てもらうことでそんなふうに生きる気力を感じてもらえることができるのかと思うと、物理的に働きかけるものだけがすべてではない精神性について思い及ぶ。そして、そのように私の絵を信じ、見続けてくれる人がいるのに、自分が私の絵の可能性を信じないのは不誠実であるように思えた。私がつくるものを信じる、信じることに理由はないと思うが、敢えてあげるとするならばそれは大きな一つであるだろう…。



 
太陽にあたる時間の少ないこの時期の
日が暮れることへの不安
それを受け容れた17時半の身体
暗闇に目が慣れてきた
夜の中に光を見出せるようになるこの身体
わたしはまた歩き出す
夏を待つ
 
光を捉えた 私の瞳孔は勝手に閉じる
自分の自由のために課したすべて
それからでさえ私は自由
 
全てがつながる方法が自分だった。
完璧にはなれないこの身体をもって
完全な私を臨もう




                    24.11.29

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 【 ✴︎ 個展開催中です ✴︎ 】 12/7まで‼️

1年以上振りの個展です!私が待望の✴️ 東中野駅すぐ!おうちみたいな素敵なスペースなのです🪞
どちらからいらしてくれた方にも後悔ないような居心地のよい空間をつくってお待ちしております。よろしくお願いいたします🦕
この時期や夕闇の間を少しでも暖かく過ごせるような時間になりますように。

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芹澤美咲 個展
『鏡を立てる、骨盤を立てる、私を歩く』

🗓️会期
2024年11月30日(土) —12月7日(土)
13:00〜20:00
※ 12/3(火)のみ休廊
※ 最終日10:00〜16:00

🏠場所
Art Space 銀河101 ( @ginga_101 )
〒164-0003
東京都中野区東中野1-46-20 植野荘1階 Art Space銀河101

🚃アクセス
・JR総武線 東中野駅 東口 南側より徒歩2分
・都営地下鉄大江戸線 東中野駅 A1出口より徒歩5分

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Art Space 銀河101では、芹澤美咲 個展「鏡を立てる、骨盤を立てる、私を歩く」を開催いたします。
芹澤美咲は2002年埼玉県生まれ、2024年現在 東京藝術大学大学院 美術研究科 修士課程 絵画専攻 壁画研究分野 第二研究室に在籍中です。芹澤は、現代社会で「自分自身」を誠実に生きるために、自己や存在について考えながら顔を用いて日々描き続け、自覚をし、表れたことについて分析・他者と共有し、感情・実存の自覚と受容を促すことを試みています。FACE2022,2023入賞をはじめとし、自主企画で個展を行うなど積極的に作品を発表する機会を設けており、鑑賞者との関わり合いも大事にしています。
油彩に水彩、パステル、色鉛筆など多様な画材が重ねられた色彩豊かな画面からは、人間が強さとヴァルネラビリティを併せもつように、意志と繊細さが共存しているような表情が窺えます。
自主企画第4回目となる今回の個展では、リノベーションされたアパートの一室、6畳2間の静かな空間で、芹澤の多岐にわたる素材での新しい表現をご覧いただけます。忙しない日々を生きる中で、自分自身のことを少し見つめることのできる、素敵な時間にきっとなることでしょう。
是非ごゆっくりとご高覧くださいませ。

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