「水中の哲学者たち」をICE STORYファンが読んでみた
ICE STORY 3rd ”Echoes of Life” の公式パンフレットにて、今作のストーリーを考えるにあたって読んだとして羽生くんが書名を挙げていた中の一冊です。さいたまスーパーアリーナの場外のトイレ待ち列(長!)に並びながら読んで、「羽生くんが影響を受けたというゲームをプレイする根気はないが、書籍なら」とその場でポチッたのですが、おもしろかった!
それもそのはず。2021年初版で、すでに17刷もされているベストセラーだったとは(2024年12月現在)。知らなかった。やはりリアル書店をもっとウロウロしなくてはいけない。
本書は、まちの色々なところで「哲学対話」のファシリテーターをされている永井玲衣さんによる、柔らかな言葉で書かれたエッセイです。平易な言い回しなれど、ひとつひとつの短いエッセイは予定調和じゃなくてスリリング。
そもそも哲学対話自体がスリリング。「哲学は、あらゆるものを疑い問うことをゆるされる(原文ママ)」から、事前にその場でどんな問いが出てくるかは分からない。
ちなみに、永井さんのつくる哲学対話の場の約束ごとは以下だそうです。
よくきくこと
自分の言葉で話すこと
“結局ひとそれぞれ”にしないこと
どんな雰囲気の場なんだろうな。ドキドキも気まずさもモヤモヤもありえそう。終わって会場を出てからもきっと「問い」をひょっこりと思い出すんだろうな(これは、ICE STORYも一緒)。ちょっと体験してみたくなります。
いっぱい好きなところがありました(付箋の量を見てほしい)。
いいですね!このまんま、朗読に合わせて羽生結弦に舞ってほしい。
秘技、「人生相談」に質問返し!だ。哲学者、フリーダムだな。
うん、役割を得るのは立派なことだけれど、それだけが価値になるのは私もごめんです。
最後にもうひとつ。
親切!哲学こわくない!
と、キリがないので引用はこのあたりにしておきます。
生きる意味とか、運命とか、あるいはバタフライ・エフェクトへの言及とか、Echoes of Life に重なる記述もあるのですが(そりゃ、普遍的な問いだものね)、それよりも、同書からインスピレーションを得たのは「対話」というフォーマットなんじゃないかな?なんて想像しました。
そして、Echoes of Lifeは、羽生結弦の一人芝居ではなく「ルームの案内人」という存在を置いたことで、観客も「問い」自体により入り込みやすくなったように思います。
Echoes of Lifeは、たくさんの「問い」を投げかけてくる。ただし、観客は一対一でそれに答えを迫られているわけではない。イメージとしては、Novaとルームの案内人とで哲学対話が行われている部屋の隅に腰掛けて観察している感じ?
自分が「何か言わなきゃ」というプレッシャーがない中であっても、「〇〇〇?」という問いを耳にすれば、ひとは頭の中で自然と「どうなんだろう?」って考えちゃうものだ。
Nova「時間とはなんだろうか」
観客(なんだろうか)
Nova「意味はなかった、のだろうか」
観客(どどど、どうなんだろう)
終始主語は「私(Nova)」なので、安心して対岸で見ているようでありつつ、いつしか考えてしまう。そして、その思考は、アリーナを飛び出して日常生活に浸み出してつづいていく。
ちょこっと脱線すると、ルームの案内人は結構自我を出してくるタイプのファシリテーターですね。「運命を信じてみたいのです」とか言っちゃう。個人的には、対話のフォーマットを用いつつつも、ルームの案内人はNovaの無意識なんじゃないかなとも思います。あるいは、Novaのかつての言動をRAGかなんかで学習させた対話型AIなんじゃないのか。なかなかに不遇な人生だったろうに、学習データとしてこんな前向きな発言が取り込まれている(決めつけ)あたり、Novaの根っこのところの強さがうかがわれます(決めつけ・再)。
この先ICE STORYがどこへ向かっていくのかわかりませんが、これからもオリジナル脚本でいくのだとしたら、身の回りの「問い」を思い浮かべてみたら、いくらでもテーマはありそうな気がしてきました。何しろ、哲学対話の場ではどんな問いを持ってもよいのだから。
「大人になるってどういうこと?」
「どうして争いはなくならないの?」
「どうして賞与からもこんなに税金が引かれるの?」
「どうしたら私に毎回チケットがあたるの?」
ICE STORY向きではない方向にズレてきたので、このへんで。
もう一冊挙げられていた本は年末年始のお休みにゆっくり読もうと思います。