言語化することのリスク_20211007
最近、自分が気になってるキーワードが「観察力」です。
面白い文章を書きたい。だから、身の周りの出来事を自分なりの視点で切り取りたい。引き出しも増やしたい。
そのためには、自分の「観察力」を鍛えておかないと、というのが目下の課題です。
観察力を磨くための第一歩は、自分が見たものを表現してみることです。文章で表現したいのなら、言語化をしてみます。
ところが最近、別の本を読んでいて、言語化により、取りこぼすものもあるぞ、と気がつきました。
この本には、武術の習得方法と、習得を邪魔するものについて書かれています。
誤解を恐れず、ざっくり要約すると「上達するには、見たものを解釈せずに、そのままやってみせるべし」。
すごいこと言ってますね。
そして「上達論」では、観察する上で、言語化はおすすめされていません。
本から読み取れる言語化することのリスクは、2点あるようです。
●言語はデジタル情報
言語で切り取れない情報が取りこぼされる。
●どんな人間にも思考の癖がある
言語化することで、自分の思考の癖にしたがい状況を解釈してしまう。
その解釈は不完全かもしれない。
また、繰り返し解釈することで、思考の癖を強化してしまうかもしれない。
そうなんですよね。
私は、noteで言語化することで思考が深掘りできるのを実感しています。
だから「言語化は万能」ってなりがちです。
自分がこの罠にハマっていないか、気をつけながら観察しないと。
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今回の参考文献2冊の共通点。
「思考の癖=認知バイアス」の説明と、回避方法について、詳しく書かれていました。
観察にも、武術の上達にも、必須のスキルなのでしょう。
今回は「観察力」に関連するところだけ抜粋しましたが「認知バイアス」も気になります。
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