彼が与えてくれた気付き わたしにできること
わたしの家系には遺伝の疾患があります。
一リットルの涙という小説があります。
沢尻エリカさんが主演でドラマ化されて
記憶にある方もいるのではないでしょうか。
あのヒロインが患った少しずつ歩けなくなり動けなくなり話せなくなっていく脊髄小脳変性症という疾患です。
母はわたしが小学生の頃から少しずつ転びやすくなって綺麗だった字が崩れていっていました。
赤ペン先生だった母にわたしが放った言葉は
"なんでそんな適当に書くの?提出した子に失礼だよ。"と。悪気もなく母の怠慢だと決めつけた心ない言葉でした。
それから母の症状は少しずつ進行していき、
構音障害という言葉を話す、声をだすのが不器用になる症状が目立ちました。幼稚に聞こえるので、思春期だったわたしはその母の言葉を聞くたびに傷ついていました。
感情的になるほどに、不器用さが増すので、喧嘩をしてはその話し方にイライラしました。
母が自分が言葉にできないもどかしさから、初めてわたしたちの前で大泣きしたとき、わたしはすごくショックで受け止めきれず、当時付き合っていた人の実家にしばらく居させてもらったのを覚えています。
強くて明晰だったように 感じていた母がどんどん変わっていくこと そしてそれが分離した存在だけでなく自分の将来の姿かもしれないという恐れ。
それを感じているときに1リットルの涙は放映されました。
"どうしてわたしなんだろう。"
そのセリフが痛くて痛くて、泣き崩れました。
作業療法士を目指して学校に通っていた頃です。
様々な疾患があることを知りました。
わたしの家系だけが苦しいわけじゃない。
予期せずに明日、例えばよく耳にするかもしれない脳血管障害などは、誰しもに起こるかもしれません。
そう俯瞰すると、予測できるだけ恵まれているのかもしれないと思うようになりました。
だからこそ命を大切に、やりたいことをやりきって生きようと思ったのです。
それでもやっぱりどこかに不安はありました。
そんな思いを共有できる人は
弟と叔母の息子の従兄弟でした。
その従兄弟が亡くなりました。
彼とはしばらく会っていなかったので
何故亡くなったのかはわかりません。
でもひとつわたしが思ったことは
彼ともっとわたしたちにしかわからない想いを
シェアしあいたかったということ。
こういう不安があることをもっとフランクに
シェアしあって今生きている歓びに目を向けられる繋がりをつくりたいということ。
家族会などに何度も参加しましたが
どこか悲しみや辛さを帯ていて
エネルギーを消耗してしまう感覚があったのです。
もっともらしくなくていいから
ただ安心を感じられれば
真っ向から向き合わなくてもいいから
ふわっと一緒にいられる軽やかな繋がりをつくりたいなと。
そんな場があったら もしかしたら
救われる命もあるのかもしれないと
思ったのです。
わからないけど。
わたしは歌うことで救われるから
ただ歌いあうことでそれができたらいいなと
思った今日。
この気持ちを書き残しておきます。