8月9日長崎原爆の日
今日、8月9日は長崎原爆の日です。
75年前の8月9日午前11時02分に落とされました。
11時02分には黙祷。静かに祈ります。
ナガサキへの原爆投下
ずっと以前の、NHK特集か何かのテレビ放送で番組を見たのですが
ヒロシマで被爆して
そして、ナガサキでも被爆した人が複数いる。
(2重被爆した人が、記録で5人くらい。
その当時ご存命の方々が3人だったように覚えてはいますが、
はっきり記憶していないです。HNKのアーカイブ見たら分かると思う)
ヒロシマとナガサキの両方被爆して、
生き残られた方がいるという事実にびっくりしたし
それでも生きててよかったという思いと
悲惨すぎる壮絶な体験で、簡単には言葉では言い表せられない。
ヒロシマで原爆にあって、
逃げ延びてナガサキ(たぶん実家とか親類の家など)に到着したとたん、
またナガサキでまた別の種類の原爆にあってしまう運命はすごすぎる。
ヒロシマに生まれたので、
いかなるどんな理由があろうとも原爆を落としたことは過ちであり
ナガサキを最後にしたい。
とづっと信じて、思っていたのだけれど…
ナガサキ以降の原爆実験
実験という名のもとに、長崎原爆投下後も
アメリカ、ソビエト連邦(現ロシア)、イギリス、フランスなどが
たくさんの国で原爆落としてる。
私は、一番の被爆国はアメリカ合衆国だと思う。
全くといっていいほど報道されないけれど、
アメリカ人の被爆者もたくさんいるはずだ。
ニューメキシコ州での人類初の実験
(被爆した人の数は少ないでしょうが人類初の被害がここでしょうね)
調査されないし、カウントされていないだけ。
50~60年代にかけて、太平洋でも数多くの水爆実験をやってる。
おもなところでは、
ビキニ環礁であるマーシャル諸島
ネバダ核実験場はニューミシシッピー州、などなど。
ちょうど、広島の地元の新聞である「中国新聞社」の記事が特集されていたので、記載しておく。
2020年7月30日(木)SELECTの第1面 ↓
私は、中国新聞も中国新聞のSERECTも購読しているけど
(時々、中国新聞社さんからの挿絵のお仕事も頂くことがあるので!)
SERECTは会員限定の有料記事になってたので、
関連記事として、2020年7月24日「中国新聞」社説より、掲載 ↓
アメリカは、1946年から1958年にかけて、
太平洋核実験場で23回の核実験を行っているし、
イギリスは、1953年以降、
オーストラリアを中心に45回の核実験を行なっている。
フランスは、1960年から1996年にかけて
実験当時はフランス領だったポリネシアやアルジェリア(アフリカの国)で
210回の実験を行なっている。
(実験しすぎじゃろ、おフランス!しかも他の国で~
自分の国内では実験をしないフランス、そして原発大国だしね~
電気も原発に頼っている現状、日本もだけどね~(# ゚Д゚)☆)
1963年に部分的核実験禁止条約が結ばれた。
1963年までは、ヒロシマとナガサキと同じように、
ドカンと空中に爆発させて大気中に放射性物質をばらまいている。
禁止されるのが遅すぎると思うが
条約により、1963年以降は地下核実験が行われるようになった。
私は、1971年生まれなので、生まれた前後にも、
中国とインドとパキスタンと北朝鮮が原爆実験を実施している。
勉強不足でよく分からないが、
たぶん条約を締結してない国などは、
地下核実験場での臨界前核実験が主流?だが
地上でも実験していたな…というか原爆実験したいというか…国益のため。
(推測ですよ!事実は明らかになっていない)
なので条約に絶対調印しないんだな、と考える。
私の推測の範囲内だけど…⭐( ゚Д゚)ソウダネ~☆彡
ほんま、アホすぎる~。
放射能の影響があることはわかっているハズなのに
国民の健康被害より、国の核開発のほうが優先させられるのは間違っている。
国の理論としては、国民の健康被害が後回しにされる事実。
多少の国民の犠牲を払っても国益が大きいほうが選択されるのは、
政治のやりかただとして正しいとしても、
それは1人の国民としては恐ろしいことだと考える。
ヒロシマのアーチストとして
私はヒロシマ出身の絵描きなので、
アートで平和を表現している気分にたまに浸ったりしてみる。
けれど、やはりこれは政治の問題なので、
ガッツリ現代アートの分野で
社会と関わっていく手法を取らないと、発表している意味がない。
それでも、資本主義社会の経済の下にいるので、
アートの表現方法としては生ぬるかったりする。
もう、高齢化の問題で被爆者は年々少なくなっていくし、
いままで被爆した人に囲まれて育ってきたし、
被爆の実態を知れば知るほど
アートで世界平和を訴えるということなどは
(一見、心意気はたいへん良いことのように思うのですが!)
そういう活動は気分的に後ろめたさがある。
自身の特別感も何も持たない、
アーチストでもないので何の表現も必要ない、
ただの普通の広島市民達が、
ただ生きていくために生活に追われ、
何とか生き延びて
静かにただ祈ってきただけの現状を、
私は知っている。
「爆心地から1.2km以内にいた、最も惨状を知っている被爆者ほど即死だったので、そのことを伝える人は誰一人生き残ってはいない。」
原爆詩集の峠三吉の言葉だったかな…
こういう意味の文章が残されていて、
証言者が存在できないということが
よくよく考えてみたら、もっとも悲惨で恐ろしいことだと思う。
爆心地の中心ほど皆殺し状態なので生き残ることが不可能。
なので証言が絶対に伝えられない。
こういう風に焼かれたということが、全員即死なので言えない。
私たちが想像することしかできないのである。
もしかしたら、
文学や美術でそういう創造(想像)する部分を補えることはできるのかもしれない、という
アーチストの創作のコンセプトで成り立つ部分はあるのかもしれない。
といった、創作者の傲慢な部分が動機だと思うが、
私が今までヒロシマで見てきたそういうアートは、
それでも被爆者の心情に精一杯寄り添おうとする部分も読み取れるので、
大変読み解くのがムツカシイ。
自分ならどう創作するか。
平和を伝えたような良いことをした気分になれるとは思うけど、
被爆して亡くなったじいちゃんばあちゃんをはじめ、
被爆者にはちょっと怒られそうな感じがします~現実はこんなお祭りイベント的なもんじゃないいんじゃ~って!
世界をよく見てみると、世界平和など程遠いのかなと思うけれど
日本では、アートを自由にやれるので、そのことは平和なんだなって思う。
でも、この今回のコロナ禍の影響でまた平和の概念が変化してきた。
展示もままならないし、海外で展示することも、
ヒロシマに訪れてもらうことさえ出来なくなった。
なので、これからの思考が試される。
「せこへい美術館」2020
私は、アートで本当に伝えられることは何もないと思う反面
来年は、ヒロシマでのアートイベントである
ヒロシマの高校生を中心とした世界平和をコンセプトとする
「せこへい美術館」展に
参加しようかなとプランを考えているので、実際矛盾している。
「せこへい美術館 2020」のフライヤー ↓
ほんと、毎年夏には必ずいろいろ強制的に考えさせられます~。
ヒロシマ人の宿命ですな。
答えが出ない!まだ出ていない‼
また、来年の夏までの宿題になりそうです。
私が死ぬるまでに、アートを発表してなんらかの答えを出せたと仮定して、
その結果として、
若いヒロシマ人のアーティストの未来に引き継がれていけばよいと思う…