第六話 『愛と秩序の四時間目 小学六年生への社会学講義』
「社会はどうやってできているか、についてなんだけど」
愛は言葉をひとまず区切り、教室を見渡してから言った。
「まず、ターゲットを絞る必要があるの」
「ターゲットを絞る?」
首を傾げて聞き返す翔吾に愛は大きく頷き、黒板前をゆっくり歩きながら応じていく。
「そう。このままだと、問題が大きすぎるの。社会っていうのはね、さっきも話した通り『社会学』っていう、社会とは何か?を考える学問があるくらいに複雑で大きな対象なのよ。歴史的な見方から答えを見つけていくのか、経済の仕組みから解き明かそうとするのか、はたまた、人間関係をヒントに考えようとするのか…つまり、『社会』を分析したり考えたりする方法っていうのはたくさんあるのよね。大きくて漠然とした問題だと、何から手をつけていいのか分からなくなっちゃって混乱してしまうから、ターゲットを絞る必要がある。そうすることで、答えるべき範囲がはっきりして、答えに向かって考えやすくなる…要するに、答えにたどり着ける可能性がグッと上がるってわけ」
そこまで言うと、愛は足を止め、生徒らの方に向き直って人差し指をピンと立てた。
「だから、今回は『社会はどうやってできているのか』を、社会学が中心として扱うテーマの一つである『社会秩序とはどのように成立しているのか』という問題に絞ってお話していくわね!」
「愛せんせぇ!」
愛から向かって右側、後列に座るショートヘアの少女が口を開いた。名は、田中緋沙子。
緋沙子は昨年、愛が代理で担任を務めた五年一組に所属していた生徒だ。
突然、担任教師が変わるという事態に見舞われた当時の五年一組の中には、程度の差はあれど愛に対して拒否反応を示す生徒が多かった。その中にあって、はじめから愛を好意的に受け入れた数少ない一人が緋沙子である。
可愛らしい関西弁のイントネーションを含む緋沙子の「愛せんせぇ」を聞いたのは久々で、思わず心が緩む。そういえば彼女から質問を受けるのは昨年を含めても初めてのことである。少しワクワクした気持ちで、「はい、田中さん」と指名すると、緋沙子はかしこまった言い方で訊ねた。
「秩序っていう言葉の意味はなんとなくわかるんですけど、社会秩序が成立しているっていうのは、社会に決まりとかルールがあって、みんながそれらを守って生活できている、みたいなイメージでいいんですか?」
――社会学的に説明するならば、「社会秩序が成り立っている状態」とは、互いの他者に対する期待に相補性がある状態、になる。「期待の相補性」というのは、相互行為において行為者がそれぞれ相手方が有している期待を汲み取りながら行為していることを捉えようとするための概念だ。
…が、いくらなんでもこのまま説明するわけにはいかない。
わかりやすく、しかし、その学問固有の論点や考え方…「面白さ」を損なわないような説明を心がけねば――
「そうね。今日の授業で習ったような政治とか法のような制度や仕組み諸々によって、まとまりのある状態が成立していて、人々が混乱なく社会生活を営むことができている、と今の段階ではイメージしてくれたらいいかな」
これから順を追って説明していくとしても、耳慣れない言葉だらけの説明で「難しい話」「面白くない」と受け止められてしまっては困る。とっつきにくいと思われてしまっては、一気に興味も失せてしまうだろう。
けれども、「新しい言葉」「知らなかった考え方」に出合うことは案外楽しい。自身の子ども時代を振り返っても、新しく知った言葉を使ってみたくなって、実際に多用したことは一度や二度ではない。意外といろいろなことを受け入れていたような気もするし、思いがけないものが記憶に残って後から興味が湧いてくることだってある。
――できるだけ噛み砕く。かつ、注意事項も可能な限り取りこぼさず説明していこう。
「ただし!一つ注意して欲しいことがあるの。今日、みんなにお話しする『社会学』で使う『社会秩序』っていう言葉には、今言った意味とは本来異なる、その学問ならではの内容が込められているのね。社会学に限らず、学問で使う言葉…いわゆる専門用語っていうのは、日常で使われている意味合いとは違うことがたくさんあるから、将来、みんながもっと詳しい勉強をするようになるときまで覚えておいてね」
愛は黒板に「専門用語は日常で使う言葉とは意味が違うことがあるので要注意」と書いた。
緋沙子や翔吾、そして未来もタブレットに愛の板書を書き写し、その様子を見た他の生徒らもメモを取りはじめた。
「『社会秩序はどのように成立しているのか』。この問いを『秩序問題』と言うんだけど、これを社会学という学問で考えるべき重要な問題として取りあげたのが、アメリカのタルコット・パーソンズという社会学者よ」
愛は教師用のタブレットからパーソンズの写真を検索し、電子黒板にのみミラーリングさせる。なるべく下を向かせたくないので、生徒用のタブレットには転送しないことにした。位置をずらしはしたが、やはり電子黒板は便利である。導入されるにはやはりそれ相応の理由があるのだ。
「おじいちゃんじゃん!」
「…でも、ハリウッド俳優みたいにかっこいいよ」
「めっちゃ頭良さそう!」
ぽつぽつと飛び交う感想から、愛は少なからず翔吾以外の生徒も関心をもってくれているらしいことに安堵し、次にミラーリングさせる画像を検索しつつ話を続けた。
「で、そのパーソンズが自分よりも先に…つまり、最初に『秩序問題』について考えた人物として注目したのが、トマス・ホッブズっていうイギリスの哲学者よ」
ホッブズの画像がパーソンズの隣に映し出される。その瞬間、翔吾が「こっちもおじいちゃんじゃーん!」と茶々を入れ、どっと笑いが溢れた。未来ですら笑いを噛み殺している。
教室内の空気は普段の授業内におけるそれと比べても随分と弛緩し、自由な雰囲気に変わりつつあった。
担任教師の初めての、それも盛大な「脱線」に、皆少なからず触発されているようだった。
なるほど、おじいちゃんが連続するとこんなにウケるのか、と愛は小学生の笑いのツボを不思議に思い、自分にだって小学生の時代はあったのになぁと寂しさ半分、悔しさ半分といった心境で板書に移る。
社会学は、自明とされている、つまり「当たり前だ」とみなされ、普段ほとんど注意を払われないような「前提」を疑うことで社会が成立している根拠に迫ろうとする、非常に大胆「素」敵な学問だ(大胆素敵な学問、との評は社会学オタクである侑の受け売りなのだが)。
今回キーパーソンとなるアメリカの社会学者タルコット・パーソンズは、社会体系に関する一般理論の構築をはじめとする数々の貢献を果たし、世界的に大きな影響を及ぼした二十世紀を代表する理論家だ。
彼の出発点には、実証主義、および実証主義の一つのバリエーションである功利主義思想に対する批判意識があった。それはなぜか。結論を先取りすると、そうした捉え方では「現実」を上手く説明できないとパーソンズは考えたからだ。
実証主義とは、簡単にいうと科学的で合理的な知識を重視する立場のこと。そして、パーソンズのいう「功利主義」とは、人間の行為における手段と目的の関係を「効率的規範」に従って合理的に追求する立場を意味している。
ここで「規範」というのは、行為の手段と目的関係を制御する要素を指す。「効率的規範」とは、ある目的が与えられた場合、科学的にみて最も合理的な手段をとる、という規範のことだ。
つまり、功利主義ではきわめて合理的な人間モデルが描かれているのだが、人間はそこまで合理的な生き物ではないし、ましてや、手段と目的を制御する要素としての規範が「効率」しか考えられていないというのは不十分である。
言い換えると、功利主義に基づく行為論では「効率」という合理的な規範しか考慮されていない上に、単独の行為を他の行為と切り離して考える傾向を有しているために、複数の行為の目的間にあるはずの関係が見落とされてしまっているというわけだ。
パーソンズがその生涯をかけて最も強く関心を抱いた問題が、なぜ自由に行動する人々が互いに危害を加えあったりすることなく共存しているのか――すなわち、社会秩序はいかにして可能であり、また存続しうるのかという「秩序問題」だった。彼はこの問題を理論社会学の中心的な課題として位置づけ、その解明に取り組み続けたのだけれど、まさに功利主義批判の文脈で――功利主義にはらむ問題として秩序問題を見出している。
さて、それはどういうことなのか?
そこで二人目のキーパーソンの登場である。社会学者…ではなく、「社会契約説」を唱えた哲学者トマズ・ホッブズだ(ホッブズの時代に「社会学」と呼ばれる学問は存在していない)。
パーソンズは、「秩序問題」に最初に答えようと試みた人物としてホッブズを挙げている。なぜなら、功利主義の抱える解決困難な問題である「秩序問題」を明確に提起したのがホッブズその人であり、パーソンズによると、ホッブズの社会理論は功利主義の典型を示しているという。
ホッブズといえば、社会が成立する以前の、公権力を欠いた状態である「自然状態」を「万人の万人に対する闘争」――すなわち、利己的動物としての人間が互いに自由や利益を奪い合い、恐怖と危険に晒された「戦争状態」であると捉えた。ホッブズはこれを解消するため、その解決を「社会契約」に求めた。
それは、諸個人が自らの命を守るという自己保存の権利…いわば「自然権」を放棄して契約し、自然権を守る強力な国家を作って戦争を回避すべきだとした。ホッブズにおける「契約」とは、人々が自らの自然権を放棄し、自分を守ってくれる至上の権威(国家)に対して譲渡することだ。これがかの有名な「社会契約説」である。
ホッブズの発想には、社会の起源に「契約」があるということを見出せるのだが、「社会契約」による解決というのは、実は功利主義的な解決法であり、パーソンズはこれに納得しなかった。
契約とは多くの場合、個人の利益追求のために結ばれるものであり、安全の確保のためとはいえ本当に皆が一斉に自然権を放棄するのか?仮に契約が成立したとして、どうやってその約束が守られ続けるのか?もっと利益を得られる条件のものが見つかれば簡単に破棄されてしまうのではないか?契約を結ばんとする互いの利害がいつも自然と合致するのか?などの問題を孕んでいる。
パーソンズは、現実に存在している社会秩序を説明するために功利主義思想を乗り越えつつ、秩序問題の解決を試みようとする――――
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※パーソンズとホッブズの顔写真は拙著に掲載しております。インターネット上にもまだ両者の顔写真は掲載されておりますので,気になる方はぜひご覧になってみてください。