レズビアンな全盲美大生 読ー5 少し生立ち

「君達ヌードモデルになるために美大生になったわけじゃないだろうし、そもそも全盲の美大生って理解できない。説明することは可能?」
「ヌードモデルで4年間過ごしても良いんだけどね」
「それで単位がもらえればね」
 ほんとにはぐらかしだ。
「モデルの部屋に出入りできて鼻の下が伸びた?」
 そう思ったのは確かだから図星だ。
「そもそも君たちはいつどこで知り合ったの」
「どこでって、決まってるでしょ、特別支援学校よ」
「どうして美大に?」
「美憂の母親がテンパッていたからだよ。美憂は年少さんのころから絵を描いていたんだって。もちろん意味不明のね。それで母親が粘土を与えて、これを紙にくっつけて描き始めた場所を覚えておきなさい、って。要所要所に張り付けなさいって。それで少しまともな絵になって、塗り絵も工夫して作って教えたんだって。それだけだったら今はないんだけどね」

 急に黙って話さない。先があるのに思わせぶりに間を開ける。放り出したように体の向きを変えるから取り残された感じだ。なんだこの気まぐれさは。忌々しいがじり負けした。
「それで」
「それでね、絵画教室に通わせた。テンパリ母の無鉄砲が見えるでしょ。誰もが意味無いって笑っていたって」
 じり負けさせて幾分気分が上がったようだ。
「でもよく塾が受け入れたね」
「ピアノじゃないからね、絵だからね。受け入れても何の問題もない」
「じゃピアノは断られたんだ」
「そんな苦労を背負うピアノの先生はいないよ」
 なるほどね、周りに負けまいとする母親の韋駄天ぶりも面白い。
「でも後悔しているんだって、バイオリンなんか絶対に習わせたかって」
 バイオリンか、それは多分楽譜の問題だけになりそうだ。
「美憂は絵が好きなんだよ、ほんとに熱心に絵を描いていたんだって。その熱心さに先生も負けてね、全盲者に絵を教える方法をいろいろ勉強したんだって。それまでの美憂は硬い6Hの鉛筆で芯が折れているのにガリガリ描いたり、クレパスを好んで描いていたんだって。粘土もね、摸刻なんかやらせたんだって」

「摸刻を?」
「粘土で例えばカボチャの1/4カットを瓜二つに造るんだよ、種は別に造って埋めたり、片手で深さを測ってもう一方で掘っていってひと月は優に掛ったんだって。手で触るから傷むの速いし、てんぷら、サラダ、煮物とママが頑張ってご飯無しのカボチャだけの食卓になったそうだよ、ねえ」
「そりゃすごいね」
「本当だよね、菊とかユリとか。ユリはね色が落ちないからおしべが無かったよ。鳥なんかそっくりだよ、でも梨は作れない」
 と言って美月は笑った。
「じゃ美月は」
「私は美憂にコツだけ教わった。上達は速かったみたい。先達者が居るからね。何してるの? 何描いているの? って調子だったけどね。美憂が手を取って教えてくれた。おまけで受かったって面はあるかもね」

「受かった?」
「スカウトされたのかもしれない。私だって10年選手だからね。良い宣伝なのかモルモットなのか分からないけどね。全盲者に美術を教えるって、この上ない心浮き出す気まぐれだね」
「受験したの」
「当たり前でしょ」
 美憂が補足する。
「アートと言っても、私たちにはキャンバスはないの。キャンバスありきって意味だけどね。でも美憂はキャンバスが分かるらしい。私の両頬ではなく両目を挟んでぎゅっと縮めてキャンバスはこうだよって教えてくれるけど鬱陶しいから嫌い。静物画を描こうって気はないからね。セザンヌなら描けるよって教える人がいたけど信用しない。では何があると言えば、生まれてからこれまでにつくられた脳の空間になるかな。勿論晴眼者も同じだというならそうだけど。キャンパスではなくて、例えば廊下の壁を触りながら歩いたら壁が突然キャンパスになって現れる、ほうが私たちは表せるかもしれない」

 よくわからない話だな。けど、
「色は?」
 素直に聞いた。
「私たちには色がないと思ってるんだ」
「私たちにも世界はあるわけ、当然世界観もあるわけ、色があるのは普通でしょ」
「それは天国の色よ」
 今度は美憂が補足する。
「天国の?」
「そう。だって誰も見たことないでしょ。言ったもの勝よ」美月が引き取る。
 天国が描かれていない? 本当かな。天使ならたくさん描かれていたような気がするが、それは使いだから天国自体は描かれていないのか。ダンテの神曲になら有りそうに思うが。
「天国の絵ってせいぜいお花畑があって白いドレス着た人が踊っているだけでしょ。それと偶像か何かが光に包まれている。」
 確かに誰も見たことが無いからそんな感じに言語化されている。
「天国の主が偶像だったら笑っちゃう。天国行っても会えないのかー、なんて気の毒を通り越して悲劇だね。それに裸の人が居るのは絶対に分からない」
「裸じゃないと思うけど」
「俗物界の布を纏って玉座にいる」
「ちっちっちっ、違うよ。玉座は人間界」
「でも椅子はある」
「どうしたらそんな考えになった?」

「先天盲だからかもね」
「偶像、縁ないしね」美憂は美月に任せるようだ。
 晴眼者が降参するなんてあり得るかな。対抗する見解は今は持ち合わせていない。
「天界が太陽に支配されているなんて可笑しい」
「天球のてっぺんに張り付いているだけだよ」
「そうそう、晴眼者の世界。太陽と月と星星が同じ球面に張り付いて神話が描かれている」
 笑っちゃうね、と楽しく笑っている。
「それは君たちの意見じゃないだろ」
 意見だってと笑われた。
「天球なんて君たちにこそ相応しいと思うけど」

「私たちに天球が有るわけないじゃない。どうやって見ろと。さては洗脳者?」
 洗脳者なんて言葉初めて聞いた。
「それに私たちクレパスの色が分かるのよ感触でね」
「色じゃなくて違いだろ」
「だからその違いが色でしょ。筆触分割なんてお手の物よ」
「実際は鼻だけどね、今度匂い嗅いでみたら」と美憂。

「部屋に絵も彫刻もなかったけど」
「狭いからね、家に持って帰って飾っても意味無いし。キャンバスを職人みたいに作るってのもわたしたちじゃないしね」
「描いたものはどこかへ持っていかれる。アトリエないし、私たちには意味がなくなるからね」
「彫刻作品は?」
「それはここでは作れない、彫刻室で作る」
「わざわざ運ばない」
 なんか作りっぱなしみたいだな。振り返って見るってことは無いのか。それは適わないからこんな作品態度になるのか。
「作ったものには未練はないの」
「作った記憶が残る。人の評価は分からないけど自分なりの評価はある」
「合っているか分からないけどね」美憂が付け加える。

「お互いの絵について話すことは?」
「なんかインタビューみたいだね。やっていることは話すよ」
「意図を話すわけ?」
「もちろん、望みというか方向というか」
「今度美憂の裸を描こうかな」
 美憂が良いよと答えた。どうやって、ともちろん聞いた。
「まず紙に寝かせて、形をとろうかな」
「魚拓みたいな感じ?」
 魚拓を知らないから説明した。
「また意味もない事を。私たちをちっとも分かろうとしないんだね」
 少し軽蔑された。
「形をとったらその中にね、部分に感じていることを描いていく、使うものは絵の具じゃないかもね、粘土かもしれないし、毛糸かもしれないし、プラスチックの箱かもしれない。部分部分の印象を詰め込むから全体はどう見られるか分からない。それぞれの部分に感じたことだから場所によって全く違うかもしれない」
「それは面白いね、美月がどんな風に感じているか知りたい」
 唇はタラコかも知れない、お腹はチーズだね、黴たのが良いかも、タコがどこかに居そう。
 嫌だあーとはしゃいでいる。
 でもそれは絵じゃないし、彫刻でもなさそう。
 じゃ何? 
 もの? 物派? 
 より適切には触角派? 
 いや物派で良いのか? 
 先天盲は分からない。

次話:


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