やりたいこと病。双眼鏡病。
他人軸での自分のやりたいこと
やりたいことって何だろう。
自分が続けられることってなんだろう。
ずっと社会に踊らされて、自分が好きなことが分からなかった。
というか、教科書的な、理想的な、いわゆる、
『”ちゃんとした”やりたいこと』を考えていたから分からなかった。
そういう方も結構多いんじゃないかな。
でも、昨日本を読んでいて、名画100本ノックという見出しが目に入った。
その時、私がずっと365日毎日やっていたことに気が付いた…..
ドラマ毎日、一日も欠かさず毎日見てるじゃん!!
ずっと”ちゃんとした”やりたいこと、を探していた。
まさに灯台下暗し。
遠方ばかりで足元を見ていなかった。
それをいかに仕事に活かすか考えて考えて考えてしんどかった。
いや、今もちょっと苦しかったりする。
でも、すごいことしなくていいし、すごいことばっかり取り上げるメディアに踊らされて、大事な自分の人生の時間を他人軸に捧げなくていい。
ドラマを見て、勝手に評論してもいいし、
感想文を書いて何十冊、何百冊も記録していってもいいし、
自分で脚本を書いてみてもいいし、
自分で小説を書いてみてもいいし、
ドラマだけでなく、舞台や映画を見る量を増やしてみてもいいし。
やっとわかった気がする。ここ3年くらいずっと考えてた。
「どうやったらこの人みたいに、あの人みたいに、こんなに続けられるんだろうか」
「どうやったら没頭できるんだろうか」
「どうやったら趣味から、好きなことから、こんなにすごいことができるんだろうか」
自分がドラマを息をするように観ているということに
気づいてからやっとわかった。
好きだから、勝手に続いてたし、
それが "他人にとっても普通なことだろう "と思っていた。
自分が異常に没頭していたんだ、と
気づいたらそうなっているものなんだ、と
ようやく気付けた。
だから、そこをスッ飛ばして、好きなこと、没頭できることを見つけよう、見つけよう、見つけよう!としても無理である。
そして私は完璧主義であり、そういう没頭している人(アスペルガーの方のようなものすごい記憶力や詳しかったりする)ところに憧れていたりしていた。でも好きじゃなきゃめっちゃ苦。
そして、そういう人は最初からすごいことをしよう!と思っていない。
すごいこと、ちゃんとしたことばっかり求めて、足元見れていない…
わたしはそれを双眼鏡病と名付ける。←
やりたいことにまで、承認を求めているのかもしれない。
今、やりたいことや、ずっと続けられていることを見つけられない人は、
大きい、ちゃんとしたことを探しているのかもしれない。
意外と小さいことかもしれない。
何気ないことだったり、力んでいると見つからないかもしれない。
承認される、賞賛される、何かを求めているのかもしれない。
恐るべし、承認欲求…
ちょっと立ち止まって、自分自身に
すごいことしなくてもいいんだよ
って言ってあげてください。
人と違うことを、個性を求めなくていい。
生まれたときから、その個体自体がもう個性なんだから。
全く同じ人間はクローンだったら?というかもしれないが、
まったく同じ経験、一秒たりとも狂わず同じ行動をしないと、クローンでも全く同じとは言えなくないだろうか。
話が逸れました←
ではまた後日。お疲れ様でした。