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台所で泣く

 大学四年の春、第一志望だった会社から不採用のお知らせをもらったとき、わたしは実家の台所にいた。
 その会社は、高校生、いやもしかすると、中学生の頃からずっとあこがれていた会社で、そこで働き、夢を叶えるために大学を受験し、入学してからもこつこつと努力を重ねていた。そんな学生生活がメール一通であっさりと否定されたのだから、なにが起きたのか、すぐには認識することができず、痛がるまでにすこしラグがあった。

 「ああ、落ちたんだな」ということがこころでわかったとき、目頭がじわじわと熱を持ちはじめて、「終わったんだ」と頭の中で唱えてからやっと、涙が出た。一粒ながれると止まらなくなった。本当につらいときって、泣いていても声が出ない。う、あ、みたいなうめき声をもらしながら、涙の止め方を忘れたように泣いた。

 そのとき、家には誰もいなくて、いつも母が立っている台所で、充電中のスマホを片手にただ呆然と立って泣いた。あの日のかなしみはもうちゃんと風化したし、今ではそれでよかったと思っているけれど、わたしはあの日の台所の風景を、一生忘れないと思う。


 去年の末から体調を崩し、鬱っぽくなった。実家を出てから、五ヶ月ほど経った頃のことだ。
 勤めていた会社で理解の追いつかないことが立てつづけに起こり、わたしのこころは崩壊寸前で、それでもその理不尽を受け入れてやっていかなくてはならなかった。

 そんなある日の夜、台所でお皿を洗っていたら、特になにかきっかけがあったわけでもなく、突然涙が出てきた。一粒目を追うように、二粒、三粒とぼろぼろあふれる。そこではじめて、自分が限界だったことに気づいた。気づいたらまた、涙が出てきた。このときもやっぱり、うまく声が出てこないのだった。

 涙がおさまったあと、鏡で自分の顔を見たら、思ったよりメイクが崩れていなくてびっくりした。こころがボロボロでも、「このアイラインすごいなあ」なんて最後には冷静になってしまえる自分がとてもつよくて、だけどもう、つよくいようとすることもつらくて、それからわたしはすぐに会社を休むことを決めた。


 なんてことを思い出したのは、キーマカレーを作るために玉ねぎを丸々ひとつ、みじん切りしているときのことだった。
 メガネをかけているのに、どこから汁が侵入しているのか、目にしみて涙が止まらない。鼻水も出てきた。とんとん、ずずっ、とんとん、じゅる。包丁と、自分の鼻の音を交互にたてつつ、必死に玉ねぎを刻んだ。
 ひとりでに「あ〜いたいよ〜」なんてうめき声をあげて必死に耐える。ちっぽけな玉ねぎひとつに号泣させられながら、ふとその状況に既視感を感じて、台所で泣いた日々のことを思った。

 実家にいた頃、料理なんて全くしなかったのに、引っ越しをするときにはなぜか、台所が広い家を探した。
 なるべく自炊がしたくなるように、そうしたつもりでいたのだけれど、もしかすると無意識にわたしは、台所を「涙のながれる場所」だと思っていたのかもしれない。

 年々、泣くことが少なくなった。特に人前では、あまり泣けない。
 理由はたぶん、ひとつではなくて、単純に恥ずかしいのと、心配をかけたくないのと、強いひとだと思われたいのと、あとは「こいつの前で泣きたくない」みたいな取るに足らないプライドだと思う。
 そんなわたしの、背伸びをした強がりを解いてくれる場所のひとつが、台所だった。自分をつくる食べ物をつくる場所で、わたしはやっと、わたしに素直になれる。

 台所が広い家に住んでよかった。これから先、たとえまた簡単には泣けないようなことが起こったとしても、ご飯をつくったり、お皿を洗おうとするたびに、わたしは台所に立つ。
 そしてその場所でわたしは泣いて、自分のかなしみと向き合うことができる。かなしみと向き合いつづける限り、わたしたちはなにも失うことなく、生きていけるはずなのだ。だからわたしはこれからもきっと、大丈夫だと思う。



せいかつの音を鳴らして かなしみは海に向かって流れる おかえり




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