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読書メモ|考えない練習

心の3つの毒「三毒」

 :もっと欲しい、もっと欲しい
怒り:受け入れたくない、見たくない、聞きたくない
迷い:目の前の現実はフツウすぎてツマラナイ、ネガティブな考え事は刺激的

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話す

余計な口ごたえをしない
「欲」の煩悩のうちの「慢」に注意する。慢のスイッチが入って怒りを「発散」しても「抑圧」しても心を汚すので「己の感情を見つめる」
「ムカつく」→「わたしは今「ムカつく」と思っているが、事実ではなく、己の心が作り出しているだけのものである」と認識する
悪口は自分の心を汚す
「十善戒」10の戒めのうち、話すことに関するものが4つもある
4.不妄語(事実に反したことを言わない)→頭が悪くなる
5.不悪口(ケチをつけたり批判をしない)→怒りの煩悩が増える
6.不両舌(ネガティブな噂話をしない)→ 怒りの煩悩が増える
7.不綺語(他人に無駄話を押し付けない)→美しくない

聞く

大きな音(刺激)を避ける。普段から「音を立てないで動作する練習」をする。(批判などの)相手が良からぬことをを口にした時、現実の情報(声音など)を明晰に分析すると、批判している当人が自らの煩悩ゆけに報いを受けていることが洞察できるでしょう。

見る

刺激の強い視覚は煩悩を育てやすいので、ニュートラルなものをしっかり見ることです。歩いている時はまわりの景色、対人で話しているときは相手の様子をみる。そして観察結果を自我にいちいちフィードバックしない

書く

「十善戒」には、不綺語、つまり無駄話をしないことが含まれています。無駄話とは相手にとって有意義ではない話。

恥の意識を持たない煩悩のことを「無慚(むざん)」といいます。「匿名掲示板」は「誰かを攻撃したい」と言う怒りの煩悩に直結しやすく、匿名で出している憎悪こそが、普段は出せない自分の本当の姿である。こういった場所は「無慚」の煩悩を増幅させるので避ける。

食べる

考えながら食べない。動作や舌の動きなど、その瞬間、瞬間に移り変わってゆく情報を感じ取る練習をすると、細やかな「現実」そのものが少しずつ見えてくるはずです。そして「充実しているとか幸せである」とことは「何を食べているか」にはほとんど依存しておらず、「食べているものに、しっかり心がとどまっているか、いないか」と言うことによってのみ決まっているのだとわかるでしょう。満足して足るを知り、食べ過ぎることはなくなります。

捨てる

ものが欲しいという「欲」の業(カルマ)は、モノを増やすことで積まれます。物欲のみではなく、自分の欲を人に押し付けたい欲望にも転化してゆきます。家族、友人、恋人、同僚、あるいは赤の他人からも、私はこう扱ってほしい、こういう態度で私に接するべきだとなり、必然的に人格も悪化して行きます。モノを捨てることによって性格は次第に改善されていきます。この場合、世間的な性格の良し悪しではなく、煩悩から離れてゆくという仏教的な意味合いです。

触れる

集中力が途切れたら、触れている感覚に注意を向けてみる。「痒いからかく」「暑いから冷房をつける」といった暴走を止めてみる。その状態を観察し、そのまま受け入れる

「かゆいから嫌だ」→「かゆい」(辛いことではなくなる)

育てる

「自分の意見を押し付けたい」(自分の意見は正しいと言う「見(けん)」の欲)にかられないで、静かにじっくり話を聞いてあげる。「あなたのためのアドバイス」攻撃をしない。同情や心配はほどほどにセーブし、激しい感情ではなく、淡い慈悲を育てる。

一緒にいて、お互いの煩悩が増えたり、心が汚れてゆくような相手とは付き合わない。逆に好ましい心を持っている人と付き合っていれば、確実にその人の影響を受け、心の汚れが減り、心も育つのです。

人は嫌なことには無意識に目を瞑りなかったことにしようとします。見たくないことは見ないのです。それがカルマの仕組みです。そのカルマに惑わされず、自分の中の嫌な部分をきちんと認識し、それを含めて相手にさらけ出す「降伏する勇気」を持つことです。人に負けたくない、自分の歪みを見たくない、見せたくないという「慢」のプライドを捨てることです。


最後に池谷裕二さん(脳研究者)との対談がありますが、全文面白いです。

人間の行動はほどんどが脳の反射によるもので、実は自由意志はない。どんな反射をするかは、人生経験による。経験をすることによって来歴が書き変わるから反射のパターンも変わる。良い経験をするとか、良い環境に恵まれるとか、周りにいる人が良いと思うだけでも良い方に変わってくる。

確かに、運の良し悪しについて中野信子さんも言ってました。運は平等に降りかかっていて、振る舞いが違うだけ。運のいい人は、運のいい振る舞いをしている。



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