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写真学生は"作品"を作らないといけないのか(2024,9,4

割引あり

以降、noteで写真について書く記事を300円くらいで読んでもらいたいなと考えていて、その試験です。RTしてもらえると記事は無料になるので、RTして読んで下さい。
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今、写真学生として作家を目指しながら、友達と話したり、あるいは独り言を覗き見して生活する中で、他人の中には自分と違った形や色の悩み、または厭世に浸るためのモチーフが内在している事を、改めて認識する機会が増えた。朝から晩を不毛に使っている僕は、その他人の話に適当な結論と感想を付けてみては、蛇足だ不健全だと言って140字消去する。消せない時もある。

 最近よく目に付く話がある。
「自分は作家に向いていない」「作品ってどう作ればいいかわからない」
と言ったような話。程度の差はあれど、どれも芸術学部生らしくてかっこいいと思う、冷笑ではなく、本当に。単に「作品が作れない」なのだとしたら、「わかる〜」と共感するしかないのだが、「作家に向いてない」だの、「何作っていいかわからない」という話が出てくるのがいまいち理解できない。それをやらないといけない環境・決意があるなら話は変わってくるが、"向いてない"と思うならやめればいいし、"何を作って良いかわからない"のなら、作らなければ良いのに、と思うのだ。もちろんこの一言には続きがあって、自分に向いていると感じる事を伸ばした方が楽しいだろうし、無理に何か作ろうとしても出涸らししか出てこないので、割り切った方が良いと思う、といった程度の補足は入れておきたい。

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