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恐怖心を行動の動機付けにしない

「〜しなければならない」という言葉を言い換えると、「〜しないと痛い目にあう」ということだと思います。

つまるところ、恐怖心を動機付けに人を動かそうとする言葉なのです。まるで有刺鉄線を巻きつけたハードルを飛び越えようとするようなものです。

こういった恐怖心を煽る言葉の利点は、一時的にではありますが、強制力がある点です。

しかし、そういった行動習慣に慣れてしまった人は、恐怖心がなければ主体的に行動しようとしなくなります。

さらに、恐怖心は人の交感神経を優位にしてしまうため、常に身体が臨戦体制に入ってしまいます。リラックスができず、なかなか疲れが取れません。睡眠障害などを罹患してしまうリスクがあります。

幼少期に賞罰方式で育てられた人は、この傾向が強いように思います。(例:〇〇しないと不機嫌になられる、〇〇しないと無視されるなど)

こういう生き方をしていると、24時間365日が、恐怖から逃れるためだけの罰ゲームに感じられるので、生きていても喜びや幸福感を感じにくくなります。(うつ症状が出るケースもあります。)

一方で、「〜しなければならない」という考え方をしない人は、恐怖心を動機付けに行動しません。上に取りたいものがあれば、勝手にジャンプをします。誰に言われるわけでもなく、自分の意思で、自分のタイミングでジャンプをします。

例えば、100センチの高さにある、有刺鉄線を巻きつけたハードルを飛び越える場合、101センチの高さを跳べれば成功。失敗した時は大怪我します。(飛び越えることを想像するだけで、恐怖心で精神的に疲弊します。)だから、すぐに再挑戦することができません。

もし有刺鉄線を巻きつけたハードルではなく、105センチの高さに取りたいものがあれば、どうでしょう。もしかしたら101センチの高さを跳べるかもしれませんし、もし失敗したとしても痛くないので、早いタイミングで再挑戦できます。

つまり、精神的に追い詰めるやり口では、失敗=恐怖になってしまうので、行動すること自体を避けてしまうようになってしまうのです。

恐怖心を煽るのではなく、自分の意思で、自分の判断で行動をする人は、失敗=恐怖ではなくなります。自分の調子が悪い時は、低く跳ぶことを許しています。何度でもやり直せることを知っています。成功した時は、取りたいものを獲得できるので、精神的に喜びがあります。

同じ90点という結果でも、「100点じゃないと価値がない」という有刺鉄線を巻きつけたハードルを動機づけにしている人は、かなり痛い思いをします。しかし、「100点を取りたいなー!」という自由意志を行動の動機づけにしている人は、「惜しい!あとちょっとだ!」と、むしろ自分を褒めるのではないかと思います。また、次のテストで100点を取れるように冷静に対策を取れます。恐怖ではないからこそ、事実に冷静に向き合えるのです。

また、同じ100点という結果でも、前者は「痛いおもいをせずに済んだ」と安堵するだけで、喜びがありません。つまり、痛い思いをしない、というのは人間として当たり前のことなので、自分を褒めることをしませんし、誰かに褒められても違和感があるはずです。一方で、後者の場合、自分の願望が叶ったことが嬉しく、喜びがあります。躊躇なく自分を褒めると思います。(そういう人は、別に0点を取ったって、そこまで気にしないのです。)

何を行動の動機付けにするかは、育った環境の影響を受けますが、自分自身の工夫や治療次第でちょっとずつ歪みを修正できるのではないかと思っています。(認知行動療法の領域となります。自分の場合は、双極性障害の治療の一環で、認知行動療法を受け、数年間かかりましたが、段々と考え方が修正されてきているように思います。)

なお、大人になっていくにつれて、恐怖心ではなかな行動できなくなっていくのは当然だと思います。世代間のギャップもあるでしょうが、殴られるのが怖いから行動するよりも、成果を得たいから行動する、といった考え方の方が、自分は好きです。その方が、成果を得られなくても、痛みが少ないから、結果的に再挑戦できるからです。

そして、それこそが、自分の人生に主体性を取り戻す考え方なのではないかと思います。





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