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アラセブ母(リア充)とアラフォー娘(非リア)のある日のやりとり

「私、もういつ死んでも後悔しないわ。幸せな人生だった。」

 これが口癖なのは、今も元気なアラセブの母。
 ギリギリ団塊世代の母は、高度経済成長と共に成長し、新旧の友人も多く、3人の子供を育てあげ、夫はちょっと早めに他界したが(年が離れていたので元より織り込み済み)、70歳まで専門職でバリバリと働き、最近リタイアした。

 最近の面接では『尊敬する人は誰ですか?』という質問は思想信条に関わるためNGなのだが、もし私がそれを聞かれたら、50歳にして測量の道に進んだ伊能忠敬か、母のいずれかをあげようと思っている。
想定回答も準備してある。

『私が一番尊敬しているのは母です。私が知る限り一番のリア充だからです。彼女は素晴らしいキャリアを全うし、家族に恵まれ、友人が多く、健康で、得たいことを努力と行動によって得ています。70歳を超えた今でも新しいことを学んでいます。サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ』

リア充 = Living the life(人生を楽しんでいる)
リア充の英訳を探すとこの言葉が出てきた。lifeの前にtheが付くと「理想的な人生・生活」を意味するそうだ。ステキ。

私自身のことを話そう。

 アラサーの時は鬱々としていた。レビンソンの発達理論で言うところの30歳の過渡期で、無力感、離人感(自分が自分ではない感覚)にさいなまれ、自分を認めることが出来なかった。
 そこを時間と共に乗り越え、30半ばごろから徐々に楽になった。他人と比較することが減り、周囲の期待に応えねばというプレッシャーが自然と無くなった。
 今の私がこの仕上がりなのは、他の誰でもない、自分自身の責任である。その自分を否定することは出来ない。
積極的に自分を愛するという認め方ではなく、良くも悪くもこれが私、という開き直りに近いが、居心地は悪くない。

ただ。

 40歳近くなり自分以外に構うことが無い暮らしをしていると、さすがに余白が大きく、小さなことに悩まざるを得ない。
 朝起きぬけでも顔が疲れていること。気力体力が失速していること。記憶力や仕事の反射神経が衰えてきていること。体脂肪率やコレステロール値が上がってきていること。見えないところで白髪が増殖していること…!

 人生100年時代、40歳なんてまだまだ若いと本気で思っている。
だが自分のこととなると、案外焦る。些細な肉体の変化から『私、このまま人生後半戦に突入しちゃって良いの…?』という恐れを感じ始めるのだ。
先述のレビンソンの言うところの中年への過渡期だ。我ながら美しく発達段階を踏んでいる。

心理学者のD.レビンソンは人生を大きく4つの発達段階に分けた。


 そんなある日、以前の上司から珍しく連絡があった。
彼は私と同い年だが、これまでの上司の中で一番学ぶことが多かった。
(丁度30歳の過渡期あたりで一緒に仕事をし、お世話になった人だ)
 上司部下の関係を離れてしばらく経つが、未だにちょっと怖い存在で、かしこまりながらLINEを返すと、なぜだかアラフォー同士、これからどう生きていくか…?という話になった。否、なりかけてやり取りは終わったのだが、この本を紹介してくれた。

元上司はこれによって『人生観が変わった』とのこと。
読んだだけで人生観なんて変わるかい。
…でも、私の記憶の中で元上司は、『俺の人生は俺自身がコントロールし、俺の進みたい道を行く』というタイプだった。そんな人の人生観が変わるとはどんな本だろうと興味が湧き、読んでみることにした。

「死ぬ瞬間の5つの後悔」とは;
「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」

https://www.flierinc.com/summary/1927

 いわゆる自己啓発本とは少し異なり、著者自身のストーリーや自己開示のパートも多く小説のような読み応えがあった。内容や読書感想はここには書かないが、いつかまた読み返してみたい本だ。

 読了後、私の人生観は変わったかどうか、まだ分からない。

 ただ、アラフォーの私のこのモヤモヤは、うっすらやり過ごそうとしても大きくなり続け、死ぬまで付いてくるであろうことは予想できた。
母のように「幸せな人生だから、いつ死んでも良いわ」なんて、死んでも言えない未来が見えてきた。
死ぬ瞬間の後悔なんて、知らなければ良かったかもしれない。それを知って、後悔しないために自分の人生を変える勇気が私にはあるのだろうか。

…難しく考えすぎて、結局何も生み出さない、悪しき思考である。だから仕事もプライベートも不器用なのだ!
 そんな悪しき思考とも物心ついて30年近くの付き合いだ。
それに、死ぬ間際の自分を想像すると、やっぱり、少しでも今を自分らしく生きようと思えた。
 
 会いたい友人に会った。やりたかったけどしていなかったことにいくつか着手してみた。自分の気持ちをまずは仕事で意図的に出すようにしてみた。
小さな変化だが、確かに幸せを感じることが出来た。
ガラっと大きな変化は出来ないが、時間をかけて少しずつ、が私のスタイルなのだ。

 実家に帰った時に、母とこの本について話をした。

「お母さんさ、『私、もういつ死んでも後悔しないわ。幸せな人生だった。』ってよく言うよね?」

う~ん、そうねえと母。意外な回答が来た。

「私さ、定年したタイミングでコロナになったじゃない?で、ずっと閉じこもってて、やっとまた出られるようになって、すごく楽しくて。定年後の自由な時間をもう少し味わいたいから、もうちょっと長生きしたいな」

さすがリア充。
アラフォー非リアの娘も、少しずつその境地に向かってまいります!

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