教育格差を考えた時
最近、教育の格差問題が取り上げられると、なんだかもう、子ども世代が将来に希望が持てなくなりそうな感じがしますね。
今日はおもっていることをいくつか書いていきます。
所得での線引き
昔から、生活保護というものが有ったり、育英会などによる支援がありましたが、近年は、より多くのわかりやすい支援が増えてきました。
一方で、親の所得での線引きが有り、子どもに平等な支援が無いことには少し複雑な気持ちでいます。
親で支援が変わること
親の収入で子どもへの支援が変わるという現在の制度には、実は不満が有ります。
1000万世帯が、そもそもそんなに裕福では無いのに、やり玉にあがる点にも疑問を持ちますが、そもそも、富裕層と言われる方でも、子どものためにお金を使う方もいれば、使わない方もいると思うのです。
例えばこんな方です。
ヘティ・グリーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1世紀ほど前に存在したアメリカの資産家の女性です。
この方は、自らにもお金を掛けない方でしたが、息子に使うお金も惜しむ人でした。
このような考え方の方は、多くは無いでしょうけれど、いらっしゃるわけです。
自分で稼いだ金は自分のもの、子どもには使いたくないから子どもが大学に行きたいと思っても、親がお金は一切出さないとなった場合、子どもは自力で学費を調達するしかないのですよね?
大学に行くお金が無いという点で、低所得の家庭と同じはずですが、親の収入が高いと、経済的理由による奨学金は受けることはできません。
本人からしたら、経済的理由が存在するわけですが、親の収入で線引きされるわけです。
親の所得が少なくても・・・
親の所得が少なくても、祖父母の援助の有無で、子どもの生活変わりますよね。
親だけに焦点を当てるのはおかしいとおもっています。
育児環境格差
両親だけで育児している家庭と、祖父母の支援が期待できる家庭では全然違いますよね。
金銭面の支援に限らず、家庭支援の有無で生活は変わります。
例えば、祖父母が子どもの保育園や幼稚園の送迎や帰宅後に預かりをしていただける家庭とそうでない家庭では、時間のゆとりが違います。
就職の機会について
日本の若者が、エスカレーターに乗らなければならない理由に、就職の機会の問題があります。
日本は同じように進んできた人を取る仕組みで、学歴が重視されます。
学歴によって仕事の選択幅が変わりますね。
そこで、一度就職して、お金をためて、学校に行って、学歴を付けてチャレンジしたいと思っても、それは難しいことが多いですね。
日本の就職は遠回りをする人にやさしい国ではありません。
そして、一度乗ったエスカレーターを降りたら、再チャレンジも難しい。
小学校受験や中学校受験が増える背景や、根っこは同じような気がします。
子ども自身が相談し支援をお願いできる場所
親で子どもの支援が変わるのではなく、必要に応じて支援ができる仕組みが必要です。
子ども自身が相談し支援をお願いできる場所があると良いと思います。
最後に
今日はダラダラと書きましたが、教育環境について思っていることをいくつか書いてみました。
とにかく、子どもは環境を選べませんので、もう少し細やかな支援が必要に感じることが有ります。