13.存在の証(あかし)
第94回箱根駅伝の関東学生連合は、芝浦工大初の箱根ランナーとなった矢澤健太さんの他にも、3区の田部幹也さん(当時桜美林大3年)が桜美林初の箱根ランナーとなるなど、新しい息吹を箱根路に運んできた。
私が応援していた筑波大の相馬くんも、東大の近藤くんも出場できなかった第94回箱根駅伝。
だが、関東学生連合の他のメンバーは、彼らの抜けた穴を埋め全力で戦った。
私は、田島光さん(当時関東学院大学3年・現コモディイイダ)のこのtweetを見つけたとき、嗚咽をこらえられなかった。
ご本人にとっては何気ないつぶやきだったかもしれないが、私はこの一言で、全てが救われた気がした。
所属大学はバラバラでも、彼が関東学生連合を「チーム」として認識し、他の走れないメンバーのことに言及してくれたことがなにより嬉しかった。
そして田部さんは、桜美林を代表して初めて箱根路を走った喜びを素直に表現していた。
チーム出場した大学の記録や写真はその大学の歴史に残り、「第94回箱根駅伝ヒストリー」として関係者の心の中に共有されるだろう。
だが「関東学生連合」は?
彼らが「チーム」として存在した証は、選手個人の心以外どこにも残らない。そのときのチームに起きたことも、彼らが何を考え、どう行動し、何を感じたかも。
Twitterの優れた特性は「つぶやいた当時の空気感」を感じられるところだと私は思っている。
ただし、その「空気感」は時間が経つにつれTwitterの海に霧散し、後で探すことが困難になる。
正式な記録が残らないのなら、せめてTwitterの海に流れてきた当時の記録や彼らのつぶやきを集め、記録しておくことで、私が当時感じた「想い」だけでもとどめておきたい。
第94回箱根駅伝の「関東学生連合チーム」が確かに存在した証(あかし)を、少しでも残したかった。
最初はTwitterのモーメント機能にまとめていたが、後に「togetter」というまとめツールで作り直した。
歴史にもしもはないが、もしこのとき近藤くんや相馬くんが出場していたら、私はチームとしての関東学生連合に注目することはなかったかもしれない。
「集めると何かが見えてくる」
私がいまこの文章を書けているのも、自分が作ったTwitterまとめがあったからだ。
自分の備忘録のつもりでつくった第94回箱根駅伝関東学生連合のまとめが、その後の私の「伴走」の出発点となる。