資本主義が置き去りにしたもの『家事は大変って気づきましたか?』/阿古真理
さて、私は以前から阿古真理さん「推し」である。
阿古さんはnoteもやっていらっしゃるが、あくまで宣伝に使っていらっしゃるようで、SNSとしては使ってらっしゃらないようだ。が、しっかりフォローさせていただき、今回の書籍もそのつぶやきで知った。
2022年9月に出版されたばかりの新刊だ。
私は、阿古真理さんとは生まれ年が近い。
社会やジェンダーへの問題意識にとても似たなにかを感じる。
阿古さんの研究はきっといつか社会的に実を結ぶ。
彼女の本に出会ったときからそう信じているのである。
一介の主婦にそんなふうに思いをかけられて(?)も困るだろうが、そうなのだから仕方がない。
今回の書籍は、雑誌の連載で寄稿したものを織り交ぜながら、これまでの阿古さんの書籍の集大成のようになっている。
主婦とは何か。
家事とはなにか。
家とは、家庭とは、家族とは、仕事とは何か。
生活とはなにか。
料理や片付けなど実際的なことから、家の仕事をめぐるあらゆる問題を、これまでの歴史を紐解きつつ、昭和の幻想を重く引きずりながら今まできた、その意識の移り変わりをひとつひとつ浮き彫りにしていく。
以前、私はnoteでこんな記事を書いたことがある。
この時私は「シュフだってそれなりにええ仕事してるんでっせ。あんまりいじめんとくれやす」(なぜか京ことば風)というテーマを取り上げたのだが、このとき私がケースとして取り上げたのが「逃げ恥」を筆頭にシュフが出てくるドラマだった。
そして、参考文献として阿古さんの本を取り上げさせていただいた。
そう。
今回の『家事が大変って気づきましたか?』の冒頭も、まさしく『逃げ恥』から始まっていて、私は思わず胸がキュンとなったのである。
やっぱそうだよね!やっぱここからだよね!笑
だからといって私のような素人の主張がこざかしかったことはすぐに露呈する。そこからの深堀りが阿古さんはすごいのだ。
数多くの文献や資料、料理本、料理研究家、ドラマや漫画を例に出しつつ、取材とインタビューを通して現状と歴史的経緯に触れながら、問題提起と将来への提案がなされていく。
時には思ってもみない方向からの指摘に、耳の痛いときもある。どんな立場のどんな人にも「そうだそうだ」と思ったり「そこは言わないで」というようなことがあると思う。ジェンダーに偏りもなくこれだけ「家の仕事とそれを担うこと」について論じ、社会に新しい価値を提案できるというのはまさに、圧巻である。
これまで私が疑問に思っていたことやモヤモヤしていたこと、どうすればいいんだろうと悩んでいたことを、ばっさばっさと斬ってくれて、それはもう、爽快だ。
『家事が大変って気づきましたか?』というタイトルだけを読むと、なんとなく、リモートで在宅になったことで家の仕事をし始めた夫に妻が「ちょっとぉ、いつもアタシがどんなに大変かわかった?」と言っているようなイメージがある。そうでなければ、家事の効率を良くするためのノウハウ本なのかな?とも。
私も最初、ちょっとはそう思った。
でもそう思ったのは、ちょっとだ。
なぜなら私は阿古真理さんファンだから。
そんな話で終わるはずがないのだ。
読後、私は自分の予想が正しかったことを確信した。
『家事が大変って気づきましたか?』
これは・・・この言葉は・・・
私たち全員に対してと、なにより社会に対しての問いかけだ。
社会、もっといえば、有権者と政権を担う人々への。
最終章まで読んで、その硬派な主張に驚いた。
これまで阿古真理さんがそこまでおっしゃったことはなかったように思う。いやもちろん、私も阿古真理さんのファンとはいえすべての書籍の隅々まで読み込んでいないので、不確かなのだが、でも、今回の書籍は政治的に、かなりの角度でかなりの深さに切り込んでおられると思う。
やっぱりおかしいのはそこからだったかね・・・
そんな気になる。
これまで社会全体や政治が良くないんだよなんて曖昧な言葉で濁してきて、とことん深く考えたことがなかったことに気づかされた。
今の日本社会は一応、建前として、男女のペアで家庭を運営していこう、それを基盤として社会を運営していこう、というベースがある。
しかし、現実には、昭和平成(令和とは言いたくないが、令和にもまだある)の男女のペアは絶対的に女性の男性に対する隷属度が高かった。そんなことはない、ウチはカカア天下だよと言いたいお父さんもいると思うが、そう言う各家庭のご事情ではなく、我々が民主主義の名のもとに支持してきた(多数決なのでそういうことになっている)法律や政策がそもそもそう言う作りになっていた、と言うことだ。
もちろん、性差の意識・認識にもすれ違いがあり、夫の妻に対する無理解や暴言、夫が妻に母親を求めたりすることも多く、もとから「夫婦が同等の権利を有する」ことを基本としてなどはいなかった、という側面もある。
そのあたりを、見事に文学として表現していたのが、向田邦子さんだと思う。
向田さんは、昭和時代の家族や家庭、夫婦に潜む言葉にならない空気を冷徹なほど淡々とした筆致で描き出していた。
決して声高に女性は、とか、男性が、などと言わなくても、セリフやしぐさ、表情の描写から匂いたつ。
向田さんの作品の危うい均衡の中にある情動は、押し隠されて外には出てこない。「その陰にいるのは誰でしょう」と匂わせるにすぎない。
その「陰にいるもの」が、主婦だったり愛人だったり娘だったりする。
翻って令和の今、阿古さんは、何が問題と言ってそもそもケア労働(介護や育児を含む家事労働)が社会全体にきちんと認知されず、軽視されていることが問題だ、という。
そろそろ覆い隠してきたものを直視しなければいけない、と。
ケア労働の軽視のために、国が、男性を企業に縛り付け、均等法で一部の女性を馬車馬のように働かせ、それができない女性が労働者派遣法と第三号被保険者制度で自活が困難な非正規や夫の経済力頼みの主婦になるよう、政策で誘導してきたのだと言う。
ばっさり、である。
この本、ひょっとしたらタイトルだけを読んで、男性は敬遠しがちかもしれない。現在ちょうど育児期の男性は、自らも家事を分担したり、育児休暇を取ったりしていることもあると思うから、ひょっとしたら興味深く手に取るかもしれないが、子供がずいぶん大きくなった家のお父さんなんかは自分には縁がないと思いそうだ。
とんでもない。
これは「はたらき方改革」の根幹をなす重要な気づきだし、ここを理解せずに「はたらきかた改革」なんて無理なんじゃないか、と思う。
政治家の方にこそ、ぜひ読んで欲しい一冊だ。
もちろん、政治家だけでなく、真剣にこれからの社会に当事者意識をもち、自らのはたらきかたと今後を考える気があるなら、この本は読むべきだと私は思う。もっといえば自分と家族の命を守るために、読むべきとさえ思う。
最近、男性の中には、フェミニズム的な物言いを嫌い、一方的に責め立てられていると感じたり、モヤモヤしている人もいると聞く。女性でも、あまりに正論を申し立てられたり意識を高めることを求められて、嫌気がさす人もいるらしい。
この本は、フェミニズムに寄っていない。
事実だけを見つめていて、社会全体を考えている。
ジェンダー論で喝破しようとしている本ではないのだ。
シンプルに「今の社会のどこに問題があるのか」がはっきりわかる。
私の言葉がただのおばちゃん主婦の繰り言だと思っても、だまされたと思って一度、手に取って読んでみてほしい。
心ある方は、大切なことに気づくと思う。
阿古さんは「おわりに」でこう結んでいる。
さて、読書の秋2022もついに明日で最終日。
私は阿古真理さんの書籍で、締めである。
前回、ハンナ・アーレントの記事が多和田葉子さんからの流れだと書いた。阿古真理さんは向田邦子さんからの流れである。
今回は推薦図書の感想以外に、「自分が好きな本について語る記事」がテーマだった。
それで、テーマを「母語」と「家庭内ジェンダー」にした。どちらも最後の記事には「Ⅲ」という記号はついていないが、三部構成になっている。
どうやら最後にちゃんと着地できそうだ。
今回の読書の秋2022、走り切った感じがする。
これもひとえに、読んでくださった皆様のおかげだと思う。
感謝と愛をこめて。