失われたサバランを求めて
昭和の一時期、どんな田舎のお菓子屋さんでも売っていた洋菓子、サバラン。
リング型に焼いたブリオッシュにリキュール(ラム酒)やシロップなどを染み込ませ、真ん中の穴に生クリームを絞ったものです。
フルーツやカスタードクリームをトッピングする場合もあり、お店によって多種多様なスタイルがありました。
今はずいぶん、置いてある店が少なくなりました。
もともとは、フランスとイタリアで親しまれていた「ババ」というお菓子が起源なのだとか。
今日はサバランにまつわるお話です。
サバランの由来
「ババ」は18世紀初め、ポーランド王改めロレーヌ公国ロレーヌ公スタニスワフ・レシチニスキが、「クグロフ」という山型のお菓子を食べやすくするために甘口のワイン(ラム酒)をかけたのが始まりだそうです。彼はお菓子が大好きだったようで、キッシュ、ミラベル・プルム、ババ、ベルガモット、マカロン、マドレーヌなどと関係が深いとか。
名前の由来は『千夜一夜物語』のアリババ。
なにかちょっとエキゾチックな感じがしたんでしょうか。
ロレーヌ公の娘マリーがフランス国王ルイ15世に嫁いでいたので、フランス宮廷にも伝わりました。
「ババ」は、1840年前後にパリでロレーヌ地方出身の菓子職人によって商品化され、民衆にも紹介されました。当時パリを訪れていたナポリ貴族のおかかえ料理人によってレシピが持ち帰られ、のちにナポリの名物にもなったそうです。
1850年代、サントノーレ(フランスの代表的なシュークリームのお菓子)の生みの親ともいわれるパティシエ、オーギュスト・ジュリアン(兄弟でパティシエだったようです)が、丸い穴のあいたババを美食家のジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランに敬意を表してサヴァランと改名しました。以後、フランスではババとサヴァランは違う形のお菓子を指すようになったそうです。
以上、Wikipedia情報
ナゴミさんのお父さんのサバラン
さて、なんで急にサバランの話?と思われていると思います。
さかのぼること先週。
私は友人のナゴミさんと、久しぶりにスカイプで3年ぶりにリアルで会う相談をしていました。
行き先を横浜と決めて、どこに行こうか、という話になった時、「そういえば」と、ナゴミさん。
「元町に、喜久家さんというお菓子屋さんがあるんだけど」
私は喜久家さんという老舗洋菓子店の名前だけは聞いたことがありましたが、失礼ながらどんなお店かよく知りませんでした。
「そこに、サバランがあってね。父が存命のころに横浜を旅行した時に一緒に食べて、唯一、これだ!これが探していたサバランだ!と言ったサバランだったの。父はサバランが好きだったんだけど、娘たちがあちこちの店からサバランをお土産にしても、どこのお店のサバランを食べても違う、って言っていたのに、喜久家さんのサバランだけは、好きな味にかなり近いって」
ナゴミさんは、若いころナゴミさんのお母様と行ったお店で食べたものが、お父様の大切なサバランの思い出だったのでは、と推測していました。
推測、というのは、お父様は決して、そんな風にはおっしゃらなかったからだそうです。もしかしたら、娘たちに妻と出会った若き日の話をするのが、恥ずかしかったのかもしれない、とナゴミさん。
今はナゴミさんにとっても、この喜久家さんのサバランが、大切なお父様との思い出となっているそうです。
母の思い出のサバラン
実は、私の母もまた、サバランが好きなのです。
しかも、ナゴミさんのお父様と同じように、思い入れというか思い出があるお菓子が、サバランでした。
1963年、母がうら若き乙女だったころ。
高校の同級生で、住んでいた地域から県庁所在地であるY市に菓子修行に行った男の子がいました。
仮にマコトくんとしましょう。
マコトくんはY市のお菓子屋さんで修業をしていて、母は同じくY市の専門学校に通っていました(母はテイラー見習いの前にほんの少し洋裁学校に通ったことがあったのです)。
たまたま、Y市で偶然マコトくんとばったり出会い、お互いの近況を知りました。
「今、お菓子屋で修業してるんだ」
「そっか、マコトくんちお菓子屋さんだもんね」
「新しいお菓子作れるようになったよ。今度帰省した時持ってくよー」
というセカイ系&クラフトマンシップな会話があったのかどうか。
残念ながらそこからロマンスに発展したわけではなく、ふたりは純粋にお友だちだったようですが、お休みを利用して帰省した時に、約束を守ってマコトくんが作って持ってきてくれたお菓子が、サバランだったのだそうです。
その時、母の中で「これが最新のお菓子か!さすがY市!都会だ!美味しい~!」という思いから、そのお菓子が「マイサバランの基準」となり、以後、サバランを見つけるとよく購入したり、出先でケーキを選ぶときはサバランを選ぶようになったのだと言います。
サバランはラム酒たっぷり、大人の味。
実際、お子様が食べるには注意が必要です。
アルコールが入らないシロップを使う場合もあるので、すべてのサバランがお子様厳禁ではありませんが、甘くほろ苦いお酒の味は、高校を卒業して社会の荒波にもまれようとしている二人の同級生にはぴったりのお菓子だったかもしれません。
ところが、その後色々な菓子店のサバランを食べてみても、何か違う。
あのときの、マコトくんのサバランと同じ味が食べたい。
そう思いながら幾歳月。
これはあのサバランに近い。
これはあのサバランとは違う。
探すうちにサバランは菓子店からどんどん姿を消していき、そしてマコトくんの味のサバランとは巡り合えないまま。
たまたま、私の家の近所の老舗洋菓子店にサバランがあって、一緒に食べたときに「これはあのサバランに近い」と言ったので母のサバラン物語がわかったのでした。
横浜元町「喜久家」
さて、そうとなったら行き先は、横浜・元町。
「喜久家」さんを目指すことになりました。
当日、ナゴミさんと私は、久々に会ったこともあり、話の尽きないまま、横浜で食事をした後一緒に元町へ。
感染症流行期に入ってから一度だけ元町を訪れたことがありましたが、その時に比べると、商店街の賑わいが戻ってきているように感じました。
元町商店街はイメージとしてこんな風に横長。
石川町駅から地下鉄の元町中華街駅に向かって大通りが伸びています。
その大通りに面した、「このへん」の矢印で示したあたりが喜久家さん。
ブラブラしながらあっちこっちの店を覗き、「キタムラ」なんかで私のマヤ(バッグのことです)を探しながら歩いたので、なかなかお店に到着しなかったのですが、いざお店を見つけると、なかなかの老舗感。
買わずに出られないかも…
あわよくば店内にカフェがついていて食べられるんじゃない?などと話をしていたのですが、どうやらこのご時世でやっていない様子。
そんな風に外から眺めているそばから次々とお客様が入っていくので、さりげなく他のお客様に続いて我々も入店。
目指すサバランは奥のショーケースにありました。
他のケーキも、バターケーキがあったり、ババロア寒天系のケーキがあったりと、なんだかとても懐かしい感じがします。
見ると、商品名の札には「サバリン」と書いてあります。
喜久家さんはずっと前から「サバリン」という商品名だったようです。
サバランは、「savarin」と書くので、なるほど「サバリン」。
丸っこいベースに生クリーム、その上に切り取った部分を載せた、とてもオーソドックスなサバランです。
全体的な見た目は、不二家さんのサバランによく似ているようです。
その後用事があり、店内カフェを想定していた我々は、その日残念ながらサバリンを食すること叶わず。
次のときは喜久家さんを最後に回るコースを組み立てることを誓いました。
サバランがいつ日本に入ってきたか
これが調べてもわからないのです。
1963年ごろに、母がマコトくんからお菓子をもらった。
そのことを考えると、当時話題性のある新しめのお菓子だったと思われます。
本格的にパティシエが洋菓子を作るようなレシピが日本にやってきたのは幕末。
開国と共に横浜から全国に向かって、いくつもの洋菓子店が創業し、戦前までは数も多かったようですが、戦争で全国の洋菓子業界は打撃を受けます。
砂糖や小麦粉など材料が手に入らなくなり全く菓子が作れなくなった戦中の反動のように、戦後はシュークリームやチョコレートなども爆発的に製造され、洋菓子は花盛りとなりました。
かの手塚治虫も好きだったと言われているサバラン。果たしてサバランは、いつ、日本に紹介されたのでしょう。誰が最初にサバランを売り出したのでしょうか。
おそらく人気があって、1960年前後から全国に広がっていったのは間違いなさそうですが、1980年ごろにはすでに下火で、1990年ごろにティラミスがブームになったころは、街の洋菓子店で姿を見かけなくなった気がします。
かといって、全くなくなったわけではなく、時々いろいろな形に姿を変えて、店頭にあるのを発見します。もしかしたらティラミスよりも見るかも。
ちなみに、フランス語の先生であるRyokoさんに聞いてみたところ、
「サバラン?パリで?聞いたことないなぁ」
という返事。ババと同じようなものなんだけど、というと、ババはどこにでもあると思うけど、サバランは知らない。そういう名前で売られているお菓子は見たことない、と。フランスではババはただの「ババ」とか「ババ・オ・ロム」という名前だそうです。
な、なななんと―――!
フランス菓子と紹介されているサバランは、本国では全くポピュラーではなかったのでした。
また、サバランの名前のもとになった「美食家のジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン」も、菓子業界の人なら知っているかもしれないけれど、現代フランス人一般に著名というわけではないとのこと。
ブリア=サヴァラン
Ryokoさんによると、日本では『美味礼賛』という書名で有名なブリア=サヴァランの著作『味覚の生理学』も、あまり知られていないのではと言っていました。海老沢泰久さんの訳が有名ですが、2017年に新潮社さんから玉村豊男さんの新訳が出ているそうです。
ブリア=サヴァランは200年前の人ですが、「小麦粉、穀物、砂糖が肥満の原因である」と確信していたとのことで、「炭水化物制限食の父」と言われているようです。さすが美食家。
数々の名言も残しているようです。
かつて戦争が激化してお菓子が日本中から消えたこと、世界規模の混乱の様相を呈している昨今の食品の高騰などを鑑みると、今こそなんとも含蓄が深い言葉に思えます。
戦後の高度成長期に、お菓子を食べる幸せを味合わせてくれた一端を担っていたサバラン。
もう少し知りたい気持ちになりました。
もしこの記事を読んで、実際にサバランを作っていたとか売っていたとか、ご実家が洋菓子店だったとか、サバランについてなにか知っているかたがいらっしゃいましたら、どうかご一報くださったら嬉しく思います。
サバランをめぐる旅はまだ続きそうです。