freestyle 3 朝の敗北
いってらっしゃいは、笑顔で言いたい。
毎日、何があるかわからないのが人生だ。
しかしそれがこんなに難しい日が来るとは。
思春期の息子と更年期の母の暮らしは、やはり、甘くなかった。
私は高齢出産で、子供が生まれた時「この子が思春期の時、私は更年期だ。この子が成人するころは、私は還暦を迎える。覚悟しないと」と思った。しかし実際子育てが始まると、そんな覚悟は灰燼と化した。
ただただ目の前のことに必死で「私は子育てに向いてない」「これは試練だ」「激務だ」「苦しい」「辛い」と、ひと通り産後ウツな感じで子育てをスタートさせ、気がつくと若干患った感じのまま十余年。
我が家は夫が多忙なうえ、私が極端なインドア派なことも手伝い、必然、息子は立派な箱入りになった。
しかし。過去は問うまい。私は私なりに必死にやってきて、これしかできなかった。子育てを楽しんだり、適切なサポートをしたり、うまくコントロールしたり、そんなことはこれっぽっちもできないまま、気がついたら思春期と更年期だった。
先日、朝のニュースで「子供の睡眠に異変。睡眠障害で入院する子も」という特集をしていた。まさに我が家の息子は、今、かなりまずい状態にある。その原因は、責任は、当然親である私にある。
この前は息子の学校で研修旅行があった。中学校生活も半分以上過ぎて、このようなご時世のためこれが入学してから初の旅行。たった1泊とはいえ、楽しみにしていたようだ。
前日からいそいそと準備をして……準備をして……準備を……
しないッ!
(カッ!←目を見開く音)
いやぁ、呆れて声も出ない。いやいや、声は出した。メチャメチャ発破をかけた。しかし動じない。結局最後はなんとかなるだろう、誰かを頼ればいい。そういう気持ちが見え透いている。
最近の思春期の言動(反発、言い訳、嘘、暴言)が目に余るので、夫からは「もう構うな」「何事も自分でさせて、失敗したらそれでいい」と言われている。しかし、どうしても放置できない。
これまでの、おそらく前世からの私の行いがまるまる見事にリターンしてきた感じだ。かける声も次第に大きくなって、気づけば怒鳴り合いに。ハッ。更年期の私にはこの怒鳴り合いはキツイ。血管が切れそうだ。血管は守らねば。
いや、なに言っても、なにやってもあかんのです。
だから何も言わなければいいのです。
夫の言う通り、失敗しないと何も学びません。
翌朝。当然、起きない。沸々と怒りが湧く。しかしこれはもう想定内だ。たたき起こす。朝起きたらやる、朝起きたら、と呪文のように先送りにしていたこと全部をする時間なんて、全くないのに、気づいていない。
毎じ朝が何度も何度も繰り返される漫画があったな、と思う。なんだっけ。ジョジョのスタンド。キラークィーン、ヴァイツァ・ダストか。
繰り返しているッ!
あーはいはい。私自身、こうして自分の気を逸らそうとしているのだ。
正直、新感染症が流行してこの方、私は彼の育成を先延ばしにしていた。こんなご時世だから仕方がない、と、生活の快適さを優先し、あまりぶつからないように争いを避けてきた。
今のこの状況は、当然の報い。
結局私は、息子の道に転がる小石を彼が躓く前に拾って、そのくせ壮絶ないばらの道に送り出そうとしている。
本末転倒。
怒ったところでどうにもならないことはわかっているが、アンガーマネジメントは一筋縄ではいかない。なぜなら怒りは、人間の最も根源的な感情、恐れからくるからだ。世界のお坊さんたちは最終的にはこれで苦しむ。宗教系、スピリチュアル系の本にはすべからくそう書いてある。究極、恐れと不安、怒りとの闘いだ。
悲しみにも嫉妬や暴力や戦争にも根底には恐れと不安がある。不安や恐怖に伴う怒りには爆発的で圧倒的な力がある。極端な感情は心臓のような臓器さえも壊すし、精神を脅かす。最悪の場合、自分さえ破壊する。
人には相手をコントロールしたり、物事を思い通りにしたい欲求がある。自分の外のものには、恐れが付きまとう。思ったようにうまくいかないと、人は怒りを感じる。不安と恐怖をなくし、怒りをコントロールすることは、精神を安定させるばかりではなく宗教的な解放のひとつだが、それが難しいことは歴史が証明している。
強い情動は、解放しても抑圧しても、よい結果にはつながらない。小さな怒りを感じながら、それをコントロールして生きていくのが、人の目指す道だ。
前述のニュースでは、睡眠障害を改善する解決策として「毎朝一定時間に起きることと、スケジュールを自分で考えさせることです」と言っていた。自分で考えなければなりません、と専門家は二回言った。大事なことだから二度言ったのだろうが、我が家ではまさにそれが、できていない。
息子の将来が心配だ。心配と言う名の不安と恐怖が私の心を支配する。私にとっては思い通りにならない彼の言動が、私を刺激し、怒りの導線に火がつく。
そして「相手に対する」この怒りは、つまるところ「自分自身へ」の怒りだ。自分の不甲斐なさや子育ての失敗に対する責めを、自分が自分で行っている結果の「怒り」なのだ。私の心中は、不安と恐怖に満ちているのだ。
感情は冷静に細分化すれば分解され、バラバラになって容易に処理できる。しかし実際は大きな岩のような塊として降ってくる。分かっている。すべきことは、息子に言うことをきかせ、屈服させることではない。自分への怒りと言う大岩を、息子にぶつけても意味がない。
とっさに塊を空中分解させる技を編み出さなければならない。
落ち着け。落ち着くんだ、自分。
かめはめ~!
ハァ~……嗚呼。力が、力が、出ない。
今朝もヴァイツァ・ダストが発動し、私は負けた。
スズメがちゅんちゅら鳴いている。
朝の光が眩しい。