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みらっちと吉穂みらいのとりとめのない話と青音色の話

 雑記です。
 気楽にお読みください。

 このごろ「雑記」をどこで書いたらいいかわからなくなってきました。創作は「吉穂みらい」で決まってるわけだし、雑とはいえ一応エッセイなのだから「みらっち」でかけばヨロシイじゃないの。——ええ。そうなんですが「みらっち」は案外、マガジンの法則に則って書いていることが多く(映画とか音楽とか旅行記とか)、意外と雑記を書く隙間がないことに、ごく最近気がつきました。というか「雑記」なんて書く必要あります?って話ですが、ときどき無性に、雑記としか呼べないような文章を書きたくなります。寛大な心でお許しくださると嬉しいです。

 今日、月見バーガーを食べました。
(ほんとにどうでもいい。笑)

 マクドナルドが大好きというわけではないものの、春のてりたまと秋の月見バーガーは、必ず食べます。少し前から月見バーガーのポスターなんかを目にするたびに「そろそろだな」と思い、発売開始の今日を待ち構えて食べました。

 秋は春のてりたまの味を忘れ、春は秋の月見バーガーの味を忘れていて、必ず「あれ?どっちが美味しかったかな」と思います。恒例行事です。

 今年も月見バーガーを食べながら、ふと気づきました。
 自分が、マックで季節を感じていることに。
 
 現代人の生活の中からは、季節感と言うものがどんどん失われて行っている、と感じます。異常気象と言われて久しい温かい冬と暑すぎる夏も、季節感を狂わせていると思います。

 そんな中で、マックを季節感を感じる風物詩として捉えている自分に気が付いたのです。もう、秋なんだなあ、と。


月の話

 最近、「○○座の新月」とか「○○座の満月」「ボイドタイム」など、月の満ち欠けを元にした話題をよく耳にします。個人の生まれた日に由来する星座占いと違って、月の満ち欠けによるエネルギーの増減、毎月のリズムやサイクルのようなものが人間に影響するという考えに基づくもののようです。願い事をしたり浄化したりするといい、など、主にスピリチュアル界隈でよく使われています。
 ちなみに9月3日は「乙女座の新月」で、整理して調整する時期らしいです。ボイドタイムという「なにやってもあかんわ」な時期もあるそうです。

 ほかにも、ネイティブアメリカンの暦にある満月の呼び名(9月はハーベストムーン)などがニュースで話題になったりするので、聞いたことがある人も多いのではないかと思います。
 
 世界の暦の歴史を見ると、計算の違いはあれど、エジプトやマヤでも採用されていた太陽暦が主流のようです。それに対してイスラムのヒジュラなどは太陰暦を採用しています。
 日本は明治6年に太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されるまでは、太陰太陽暦。農耕を主とした日本では、太陰暦に太陽暦を組み合わせて、さらに中国から輸入されてきた二十四節気・七十二候を日本の風土にカスタマイズすることでズレを調整してきたとされています。
 
 体感する季節感に暦をあわせてきた、ともいえる太陰太陽暦。
 俳句をする方にはなじみ深い二十四節気・七十二候ですが、立春、夏至、秋分などの有名どころはともかくとして、普段から「今年の9月7日は『白露』だな」とか「土用は年に4回ある」などと意識している人は多くないと思います。

 暑いなあ、寒いなあ、といっているうちに季節がめぐり、「てりたまか。春だな」とか「月見バーガーの季節か」なんて言っている人が大半なのではないでしょうか。もれなく私もそのひとり。

 都会暮らしは特に、気候や風土の季節の移ろいとは無関係な「スーパーの音楽」「商品棚の商品」などでしか、季節を感じることができません。自然と宇宙と切り離された生活を送っていると、どこかで揺り戻しがきて、惑星と宇宙と暦と自分、時の流れの中の自分を感じたい、と思うものなのかもしれません。
 今、月の動きに目を向ける人が多いのは、失った季節感を取り戻そうとする心理なのではないか、と、月見バーガーを食べながら考えたのでした。

 ところで私は遡るとどのあたりにモトネタがあるかを考えるのが好きなのですが、基本的に諸外国に比べて日本人は月に情緒を感じ、月に過剰な思い入れをいだいていると思います。古くから太陰暦を採用していて、月に仙女が住むと考えていた中国の影響もあったかもしれません。それに対して、諸外国、特に西欧では、惑星としての月に狂気や体の変化を感じることが多かったのではないかと思います。

 月に関しての「バイオタイド理論」という研究を初めて知ったのはこちらの本でした。

 私は1994年の20刷を持っているのですが、初版は1984年だそうです。
 数学者の藤原正彦さんと奥様の藤原良子さんが訳をつとめており、教科書で有名な東京書籍からの出版。
 ちなみに藤原正彦さんが新田次郎と藤原ていの息子さんだったとは、私はごく最近まで知りませんでした。

 帯に「満月の夜は殺人・交通事故が増える」「生殖サイクルと月のサイクル」「満月時には出血が多い」「電磁場が生命活動を統制する」・・・などと書いてあるのでオカルト本かエセ科学本だと思ったのですが(あとがきで訳者の藤原さん自身も最初はそう思ったと書いています)、「人間の行動や心理にまで月の影響がある、という著者リーバーの主張は、精神科医としての豊富な資料や体験に基づいており、じゅうぶんな説得力をもっている」(あとがきより)との訳者の言葉に、長い間「カタい本(学術書)」だと信じていました。

 その後「バイオタイド」と検索してもこの本しかでてきませんし、この本には出てきませんが一時期流行った「バイオリズム」という言葉もWikipediaには「科学的に実証されていない仮説にすぎず、疑似科学と見なされている」と書いてあり、「バイオなんとかには気をつけよう」と思うに至っています。

 それでもこの本は面白いので、何度も手放そうと思いつつ、ずっと手元にあり、しかも時々読んでしまいます。

二十年後に同じ題名の書物が出版されるとするなら、本書はいくつかの部分で大きな修正を受けるかもしれない。それはこのように独創的な本の宿命でもある。しかしその時でも、本書の価値は消失しないだろう

『月の魔力』あとがきより

  出版から40年経ちましたが、残念ながらこの研究は深化することなく、スピリチュアルに吸収されてしまったような気がします。

 科学理論は、発展段階のこのあたりが、実は最も面白い。断片的事実はいろいろありながら、メカニズムの本質はほとんどわからないといったところが、特に魅力的である。完成された化学は退屈ともいえる。事実や論理の鎖にがんじがらめになる前の、想像力を自由にはばたかせられる時期こそが、科学が最も光彩を放つときであると私は思う。
 

『月の魔力』あとがきより

 科学的、根拠、理論、と攻め立てる現代社会ですが、こうしたおおらかなロマンも必要なのかなと思ったりします。

 ところで藤原さんの父・新田次郎は山岳小説家で、私は『強力伝』に強い感銘を受けました。

 最近では、新田次郎賞を受賞されている伊予原新さんの本も好きで、『月まで三キロ』は一度吉穂堂にも置きました(すぐ売れました)。

 あ。私にありがちな連想から連想で一瞬遠ざかったかと思いましたが、月に戻ってきましたね。
 よかったよかった。

 二十四節気・七十二候に関連する小説としては、noteの名著があるので、こちらをお勧めいたします。

 


青音色の話

 次は、どうでもよく「ない」話です。

 5月の文学フリマの後、海人さんと渡邊有さんとでアンソロジーを作ることになりました。
 三者三様の小説を書き、いろいろな話をしながら相談を深めていく過程が、同好会や部活のようでとても楽しいです。

 サークル名は青音色あおねいろと言います。

 ことの顛末から現在までの経緯は海人さんのこちらの記事に詳しく書いてありますので、ぜひ、ご覧ください。

 このビリヤニ記事を読んだ私のマネージャー(笑)金森氏によると「あんな名店のビリヤニを並ばずに食すとは東京駅あなどれませんね」と言ってました。ビリヤニ食べるなら、東京駅が穴場です。ねらい目です。 

 最近、青音色のアイコンを決めました。

ちょっとレトロで可愛い
自画自賛(笑)

 X(旧Twitter)では使い始めています。
 良かったら、フォローお願いします。

 https://twitter.com/aoneiro_2024

 次の文学フリマ東京39で、初の「青音色」の同人誌を発表予定です!
(抽選に当たれば)

 もし抽選に当たらなかったとしても、吉穂堂などでお披露目にこぎつければいいなと思っています。

 青音色の歴史は始まったばかりです。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

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