freestyle 6 不完全な卵
「この仕事を選んだわけ」。
正直なところ、このテーマについて書くことは無い、と思っていた。
私は現在、働いていない。かといって専業主婦として日夜努力し、スキルと誇りがあるカリスマ主婦でもない。そんな自分が仕事について何か書いても、誰も読みたいとは思わないだろう。
実際のところ、若い頃は職業に対する強い思いが無かった。私にとって仕事とはあくまでもお金を稼ぐ手段であって、生きがいと情熱を傾ける対象ではなかった。結婚前も結婚後も、その時その時で柔軟に仕事ができればいいと思っていたのだ。
クリスマスケーキ(25歳)が結婚適齢期と言われた最後の時代。OLが「お茶くみ」と呼ばれ、家にいても花嫁修業や家事手伝いと言って許されていた時代。結婚して妊娠したら退職の流れが普通だった時代。バブルの後で就職氷河期の少し前の、「ジェンダー前時代の女」、それが私だ。
もちろんしっかりと自分の仕事を思い定め、人生設計をしていた友達も沢山いたが、私と同じような感じの人も多かったし、別段、それが悪いことだとも思っていなかった。結婚して、その時していた仕事を辞め、転居した。
当時、親世代は強固な「女の幸せは結婚、出産」信者が多かった。結婚したとたん、世間は口さがなく「まだ?まだ?」を連発してくる。私は仕事をしながらも妊活を優先し、次第に「私の仕事は子供を産むことなのだだだだぐぐががぎぎ」みたいな感じになっていった。
思えばこのあたりで冷静になり、正規の仕事を見つけるなりなんなり、新たな一歩を踏み出すべく一念発起するべきだったが、そこがまさに私の足りないところだったのだろう。
そのようなわけで、アルバイト、パート、非正規社員(職員)としてはいくつかの職歴がある。面接は結構、いろいろと受けた。
つらつらと振り返ってみた時、この「仕事の面接」が、かろうじて「仕事を選んだわけ」というテーマに結びつくような気がした。それで、重い腰を上げて書いてみようか、と思い立った。
実はたいしたものではないが私には資格がひとつあって、正規雇用ではなかったが一時期その資格で仕事をしていたことがある。そのせいで、たいていの面接の場面では、あえて新しい仕事を選ぶ「わけ」を聞かれた。
「このような資格があって、どうしてその仕事をしないのですか。なぜ弊社で働きたいのですか」
このセリフが出たときは、不合格だ。明らかに「そっちで働けばいいのに」という感じが濃厚、というか「なんでこっちに来るのよ、ちょっと迷惑なんだよね」という感じになる。アルバイトやパートだと「うちではそちらのお仕事並みの給料なんか、出せませんよ」と言われたこともあるし(もちろん前職はそこまで高給な仕事ではなかったので嫌味)、社員の募集では「資格があるのにもったいないですよ」と言われた。逆にOKな時はこの質問をされない。この質問は私にとって一種の分水嶺だった。
転職の場合はそう言われても仕方がないが、新卒の時も同じことを言われたことがある。要するに私は見るからにアマアマでフワフワした「ダメ」な人材だったのだろう。確かに新卒の時の就職活動は滅茶苦茶だった。公務員試験も受けたし、一般企業は業種の的が絞れず手あたり次第。この人は何がしたいんだろう、という感じだったと思う。
面接に落ちると、「どうして私は資格のある仕事を選ばないのだろう」という疑問に、都度、つきあたることになった。素直にその仕事を自らの職業と思い定めることができれば、それで万事解決ではないか。自分でもそう思いながら、どうしてもその仕事をする「覚悟」がもてなかった。
向いていない、と思った。
逃げていた。
弱かった。甘かった。怖かった。
実際、そんな気持ちでその仕事を続ければ、早晩、破綻が訪れただろう。仕事とは、職業とは、顧客であろうが、取引先であろうが、かならず人が存在する。腹の据わっていない人間が関わると、ろくなことがない。ただ、逃げるなら逃げるでそっちでも腹を据える必要があった。それが、曖昧だった。
そしていっぽうで。
子供のころ、いつか物書きになれたらいいな、と思った。文章書きが趣味の子供には当然のなりゆき、ともいえる夢だ。でもそんな子供じみた夢は「もってはいけない」夢だとも思っていた。
食べていけない、という現実的なことよりも、「わたしなんかに、なれるわけがない」と端から努力を放棄していたのだと思う。なれるわけがない、できるはずがない理由を、まず、探した。落としどころとして、「仕事になったら、よっぽどの人気作家にでもならないかぎり、自分が書きたい文章ばかり書けるわけがない、きっと楽しくなくなってしまう、だからそんな夢は持たず、趣味は趣味としてすっかり忘れて生きていこう」と思った。それもまた、一種の傲慢や欺瞞、逃げだった。
しかしどうやらいつも、いつのときも、その夢は心の奥底にあったようなのだ。
とどのつまり面接の度に私にあったのは、「この仕事を選ぶわけ」ではなくて「あの仕事を選ばないわけ」だったのだ、と今なら思う。そしてその「理由」の中には、逃げや挫折と同じくらいの分量で、「本当は、書く仕事がしたい」があったのかもしれない。そしてその「理由」が顔を出すたび、「いやいやいやいやいやいや」と全力で蓋をしていたのだ。
資格を拒絶する理由の中に、まさか「幼い夢」が紛れていたとは。
青い。
青すぎて、こっぱずかしさのあまり、いまさらながら真っ青になる。
若い頃に心の奥底にあるものをまっすぐに見つめるということは、勇気のいることだが大事なことだ。諦めるのも追いかけるのも難しいが、夢を追うと決めた人には、勇気と覚悟があると思う。私は願望に蓋をして生きる方が楽だと思ってそうしてきたけれど、結局のところ、その蓋のせいでどんな覚悟も持てなかったのだ。
資格のある仕事で生きていく、という覚悟も。
夢を追う覚悟も。
家庭で生きるという覚悟も。
もちろん、子供の頃の願望を解き放てば本当に夢を叶えられたとは、さすがにちょっと思えない。過去の私の選択が100%間違っていたとは言えない。今を否定する気持ちもない。人間万事塞翁が馬。様々な職場を経験したおかげで、いろいろな世界を見ることができたし、子育てとがっぷり四つに組むこともできた。多くの人にも出会った。他人様に堂々と言えることではないが、それもまたひとつの、私にとっての「仕事」の在り方だ。
夢は、しっかりと温めて育てないとうまく孵らない。不完全な、孵ることの無い卵を巣に放置した私は、その卵をちゃんと温めることも、諦めて巣を飛び立つことも、できなかった。それだけのことだったのだろう。
ところで今、なにやら別の卵が育ちつつある。その卵にはnote、という模様がある。この卵、どうしたものか。五十をいくつかすぎて、これまたこっぱずかしい。でもなんだかこの卵、ぬくぬくとしていい感じだ。
今度こそ、温めてみようか。今度こそ、この卵を。