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おかたづけの極意 #4 片付け本の巻

 今回はちょっと寄り道して、「片付け本」についてのお話です。

 書店に行けば常に平積み&山盛りで置いてある「整理・収納」関係の書籍。ネットでも「収納アドバイザー」さんのブログやInstagramを目にしない日がないほど、片付けは現代社会の大問題です。

 この分野で原点ともバイブルともいえるのが、やましたひでこさん『新・片づけ術「断捨離」』(2009年マガジンハウス)。

 断捨離という言葉を最初に使ったのは沖正弘さんというヨガの先生だそうです。ヨガの修行の中の言葉だったものを「片付け」のメソッドとして確立して広めたのがやましたさんなのだとか。やましたさんは「断捨離」を登録商標しているそうで(ここまでWikipedia情報)、片付けの方法だけではなく、自己啓発としても人々に大きな影響を与えています。

 そのあとすぐに”こんまり”こと近藤麻理恵さんが出てきて、片付けや断捨離が一大ムーブメントになりました。こんまりさん、第三子が誕生して以来片付けをあきらめたと言って話題になりましたね。

 私は昔から割と「片付け本」的な暮らしのハックや整理術、ファッションがらみの収納術、おばあちゃんの知恵袋的な本が好きで、よく読みました。
 分類でいえば「実用書」「生活・家庭・暮らし」にあたるこの分野は以前から女性誌ではなじみの分野であり、『捨てる!技術』という本や、近藤典子さんの収納本を読んだり、ミニマリストという言葉が流行ったころはゆるりまいさんや筆子さんなどの本やブログを覗いたり、地曳いく子さんの本を読んだり、個性的な暮らしをしている稲垣恵美子さんの著書に触れるなど、多種多様な片付け本に接してきたように思います。一時期は禅の教えから整理術や掃除術を指南する禅僧の枡野俊明ますのしゅんみょうさんの本にハマったことも。
 ここ最近は特に、終活や実家の片付けなど、老いを主眼においた片付け本が目立つのが特徴でしょうか。

 こうした本は図書館で読むことが多いので、著者の名前やタイトルを覚えていない本も多いのです。それだけ、内容にはかぶりが多いということですね。にもかかわらず、何か新しいことがないだろうかと手を伸ばしてしまう、不思議な引力があるのが「片付け本」ではないかと思います。

 片付け本は、なにも専門家だけが書いているわけではなく、先にあげた僧侶の方やスタイリスト、料理研究家さんっも、著書の中で「整理術」に触れていることが多々あります。

 感銘を受け、よく覚えているのは、高木ゑみさんという料理研究家さんの『考えない台所』という本です。3年ほど前に35歳で亡くなられてしまったのですが、「スーパーマーケットは一筆書きで」というフレーズは今も頭にこびりついています。まず事前によく行くスーパーの図面を頭に描き、買いたい食材をメモし、頭の中に思い浮かべたスーパーを歩くシュミレーションをして、実際に行ったら一筆書きを書くように回れば無駄な動きが無くなりストレスが減ります、と。

 私は「あ。そういえば玉ねぎ」「そういえばこんにゃく」などと、ある程度進んでは思い出して戻ることが多く、一度たりとも一筆書きが出来たためしがないので、強烈に印象に残っています。まったく、無駄の多い人生です。笑

 とにかく「片付け」「整理整頓」「収納術」などは、学んだことに実際の行動が伴わないことが最大の問題点です。

 最近の私が最も頼りにしているのが、私のエッセイにも時折登場する友人、サツキさんが教えてくれた井田典子さん「だわへし」整理術です。

「だ」・・・だす
「わ」・・・わける
「へ」・・・へらす
「し」・・・しまう

 このシンプルなステップがとても理にかなっていると思うのです。しかも「今日は引き出し1杯」という感じで、気軽に取り掛かれるのもいいところです。コンマリ流のときめきは、私の場合基準がブレブレでうまく捨てられず、やましたさんの断捨離は「心の整理をするため」にやっている感じで、ちょっと精神性が強すぎる気がしてしまいます。

「わける」「へらす」のところはそれなりに悩むのですが、でもその時捨てられなくてもそれはそれ。新しい収納も必要ないし、今の状態をそのままに少しずつ快適にしていけるのがいいところ。井田さんの整理術は私にあっているようです。

 「片付け」は、ひとりひとり、自分にあったやり方でやればいいのだと思うし、誰かの言う通りにしなくてもいいし、誰かの言う通りできなくても自分を責めなくていいものだと思います。

 「断捨離」というと、とにかく「捨てる」ということばかりに目が行きがちですが、やみくもに捨てるというよりは、本当に自分に必要なものを選ぶ、ということが大事なのだろうと思います。

 以前は「どうして自分はこんなに無駄なものを買ってしまったんだろう」と落ち込むことがありましたが、それを選んだとき、買ったときは、自分に必要なものだったのだと思います。
 厳選して、選んで選んで買ったものであってもあまり使わなかったり、いただきものだけれどどうしても生活に馴染まなかったり、使いにくかったり、好きになれなかったり、というものはあるものです。最近は、「買う」という行為や「もらう」ということが、その時の自分には必要だったのだと思うようにしています。痛い勉強であることもあるし、思いがけず気に入って手放せなくなることもあり、モノとの間にも縁というものがあるのですね。

 というわけで「だわへし」を基本に、片付けをしています。
 次回は、いよいよ「捨て難度」の高いお人形の話です。






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