負の連鎖を断ち切るか否か、その分水嶺 番外編
絶対に負の連鎖を受け継がない魂が存在している。
ひとを救うために,次元の違う魂がその家系に誕生することがあるのだ。
学生時代にその道の方から伺った話である。
ひどい毒親の元に、仏のような慈悲の心と福徳を備えた子どもが授かり、
その子により本当に改心することがあるという。
本来なら、まったく縁のない家系に異質の優れた魂が誕生するのだから
受け継ぎようがないだろう。
使命を持った魂である。
これは私見だが、そのような方は「自覚」があると感じている。
その自覚が明確かどうかまではわからないが。
そのレベルの魂の持ち主が、直観力に優れていないということはありえないからだ。
やはり負の連鎖を受け継ぐのは、その本質が「同類」なのだ。
【同気相求】というが、似た気性の持ち主は、相求め合って自然に寄り集まるということをいう。
やはり本来の気が同質だと思わざるをえない。
そして、集合意識、集合無意識の影響が強い印象をうける。
その声に一体化しているというのだろうか。
それにより、「内と外」を明確に分けている人が多い。
身近で同じようなタイプ、自分の理解の及ぶ存在、自分の影響下に置ける存在が、「内」で、それ以外は「外」になる。
内には良識的で常識的でも、それは「外」には適用しなくていいと思っているらしい。
異質なもの 外側のひとは「内」と同じ扱いをしなくていいのだ。
普段常識的でいい人で通っていても
芸能人や有名人など「別世界」な存在を平気で誹謗中傷するのが分かりやすい例である。
一般人相手でも、自分とは異質だと判断すれば、
平気で本名などの個人情報や創作物を「自分のもの」として、横流し共有しておきながら罪悪感がない。
しかも直接確認したわけでもない、入手ルートを考えればとても正しいとはいえない情報を「良かれと思って」共有するのだ。
「内」のひとには絶対にしないことをしておきながら、なぜ受け入れられると思えるのか不可解すぎるが、本人のなかで「外」から「内」に変化したのだとおもう。
「外」の存在に限って、負の連鎖を受け継いだ行為、行動をする人たちが存在するのだ。
虐待やパワハラが「内」で連鎖するのとは対照的である。
このテーマはほんとうに奥深くて、簡単には続けられないと感じている。
わたしは基本的に時間をかけずに一気に書き上げる。
後から誤字脱字などをちょこちょこ修正する 笑スタイルであるが、
一気に書くにはあまりにも難しすぎるシリーズである。