男の子が大人になっていくまで。子育てを振り返って
目次
1子供を育てるとき何を思っていたか
2生まれてきたとき
3大人になった息子たち
4反抗期の対応
1子供を育てるとき何を思っていたか
「男なら、この子が大人になった時こいついい男だなって思うような人になるように育てたいよね。あるいは女の子ならこういう子と結婚したいと思うような女性に育てるって大事でしょ。」なんて思う。
私は男の子しか育ててないので、女の子の子育て事情はわからない。夫との価値観で一致してるのは、とにかくいい男になれと思って育ててきた。まあ、モテるかどうかはわからないけれど・・・親ばかなので彼らがそこそこいい感じに育ったように思う。
残念なことに、モテている気配はないが・・・
2生まれてきたとき
子どもはかけがいのない存在だけど、やっぱり自分の子供として生まれてきてくれたこと、このめぐりあわせに感謝してしまう。生まれてきたとき「君だったんだね。よろしくね。」って思った感覚。お腹の中で蹴ったり動いたりしていて、まだ見ぬ顔、その存在がとても不思議な感覚だった。新しい命って全く別の物なんだって・・・自分の意志じゃない、そういう存在にただただ感嘆していたので、実在として目の前に存在する子どもの顔をみて心から、「これからよろしくね。」って思った。
育つ過程で、いちいち自分じゃない存在に戸惑い、何が一番いいのか迷いそしてやってはいけない事を教えて、思うとおりになんかならないことを思い知る。それでも死ぬほどかわいいと思えるのだから子供ってすごいと思う。
3大人になった息子たち
彼らはもう大人の年齢になっているので、子育て期間のことを思うとどんなだったかな・・・なんか大変だったって思うこととすごく楽しい時間を過ごしてきたって思うことがいっぱいある。二人の息子は「この家に生まれてきたのはラッキーだったと思ってる。」といった。
「いつも対等に扱うだけじゃなく責任も追及するし、すごく甘やかされてきたと思うけれど逆にすごく厳しく育てられたと思う。」
そんな風に思っていたんだね。
長男の病気は一家で支えなければならない事態だったし、生死が関わるような病名を聞いたときから今まで、本人も苦労してきたし私たちもそういう経験をしていない家族とは異なる思いを持っている。おかげで普通なら関わることのない多くの人たちと接点を持つようになった。
「患者の会」をお母さんたちと細々と続けて、同じような思いをされているご家族に情報発信をしようとブログを続けてきた。長男は成人して、主治医と共に患者仲間と共有する思いを伝えている。
次男はいつも兄の危機を見つける役割だった。長男の入院事態になるときいつも最初に発見していた。「そういう役割なんだよ。きっと」なんて笑っているけれど彼の家族に対する深い愛情を感じる。
だから兄弟はすごく仲がいい。批判し合うこともあるけれど互いにいつも冷静に相手を見ている。兄弟げんかをした姿を見たことがない。5歳違いだからか、子供の時でもけんかはなかった。
そして二人とも反抗期らしきものもほとんどなかった。そういう感じがしたとき、顔に不満があるときなどすぐにわかるから「何が不満なの?」ときいてきた。必ず不満の原因がある。でも聞いていると自分たちに問題があることがわかるらしい。であきらめるというか、自分たちで修正していた。
中学受験の時、彼らは逃げ出したい思いで毎日過ごしていたといったけれど、「じゃあ、やめればいいといったのにやめなかったじゃない。それはなぜ?」ときくと、「負けを認めるのが嫌だった。やる前から負けるのは納得できない。」といっていた。二人とも気が強いことだけは親譲りか。
4反抗期の対応
反抗期というのは「自我」が目覚めるとき。支配されていることに対する反発、常に親の管理下にあることに対する反抗でもある。「自我」の目覚めを認めたうえで、その責任を追及する。自分の言ったことに対する責任。やったことに対する責任、そしてその責任を負えないことを自覚する。
「恥」の感覚って大事なのではないかと思う。それはプライドの持ち方にもよるけれど、人としての尊厳、自覚している自尊心、それらはこういうことをするのは「人として恥ずかしい」という感覚になる。虚栄心とは別物だ。褒められたいとか、認められたいとかそういうことではない。自分が自分を許せるのか、自分がそうやって生きていく事に納得できるのか、そういうことを常に追求してきた。だから彼らは「ほめて」っていうことはなかった。模擬試験で順位が良かったときは、「すごいじゃん!!」ぐらいのもので、それ以上でもそれ以下でもなかった。
彼らは、負けも経験している。受験の「負け」は結構傷が残るものだが、一度でもいい「勝ち」を取ることですべてが帳消しになる。何度も辛い思いをしてきているが、「勝ち」を得ることで自分の自信を得られる。言い訳はない。しかも代わりの人生はないのだから、本人が逃げるか続けるかだけの問題になる。どんなに辛い状況でも、自分が続けるか止めるかだけが残る。それを決めるのも本人。そんな風に選択させてきた。ここが甘いといえばそれまでだが。
子どもを自由に育てましょう。という言葉は一時期流行っていたけれど、自由と身勝手は違う。E・フロムの「自由からの逃走」という名著がある。人は強くない。自由を手にしても自由でいることから逃走する。管理されているほうが楽だからだ。(フロムの本は「愛するということ」が有名ですね)
歴史に基づく人類史みたいなものだが、なるほど所属するところが無くなった時人はどうするか。考えさせられる。
反抗期の対応をどうするのかというのは、一番悩ましいのかもしれない。一方的に怒っても通用しない。不貞腐れたら聞く耳を持たないとか結構聞きます。でも、彼らが何をやってもいいということは無いわけで、やっぱりどんなに不貞腐れてもダメなものはダメだと言い続けた。ある意味闘いかも。親として譲歩はない。かといって支配的に抑える気もない。あくまでも対等に一人の人間としてどうなのかと問い詰めた。
ただひとつ・・・・男の子は中学3年ぐらいつまり15歳ぐらいまでは、日本語が通じていないかもしれない。言ってもわかってなかったり、言うことが意味不明だったりがずっと続く。15歳ぐらいになってようやく通じた感があった。それまでは地味に努力を続けるしかないように思う。大事な事はとにかく話をすること。彼らにはPCを乗っ取られたり(エロサイトに行って捕まったのですが、おかげでそのPCはだめになりました)、学校に呼び出されたり色々ありました。もちろん激怒しましたが、ケロケロでした。大人になってそういう話をすると「ああ、やったね~」と笑っています。記憶はあるんですよね。だから仮に馬耳東風でも言い続ける・会話し続ける。これが一番。