フレームの変化と詩の世界。
突然ですが、詩をはじめました。人生思いがけない事の連続で、あるきっかけがあって今春から少しづつ、文章を書く事に縁もゆかりもない私ですが、愛と抽象の世界で言葉を連ねる事にしました。
南房総での田舎生活を経てのロストイントランスレーション(スウェーデンに続き3ラウンド目!)。フレームが変化し過ぎて、取り繕う外壁が曖昧なままな状態が続き、内省ばかりを繰り返しています。
その穴の中にいると何かがむくむくと発動したりします。
アトリエも無く薄暗いガラージで一人、こつこつと、
盲目的な状態で制作の手を動かしている間、私はリングごとに物語を妄想してたりするので、そのストーリーをサマライズして、言葉を巡り合わせて詩を作っている自分に気がつきました。
sushikattenの技法は非常に手間暇がかかる古代メソポタミアから続くパートドヴェールというもので、とにかく作業ペースが遅い!その遅さが物質として、工芸品としては魅力なのですが、何か新鮮なインスピレーションを得られる速度のある方法で自分の世界観を産み出したかったのです。
そして言葉自体の存在の、その美しさを探して組み立てたりする行為が、とても自由で、楽しい!また、少しデザイナー的な感覚でもあります。
詩の世界で生きたり、死んだりしたい。
詩作はいくら抽象的な表現とはいえ、丸裸の自分を世に晒す行為なので、
私のインスタの詩を見て気持ち悪いな、と感じた方はスルーして頂けますと幸いです。ただ、田舎生活や、ポートランドで生活をすると、あら不思議、だんだんと誰にどう思われるかと言う事が気にならなくなっていくのです、、! ただこれは過去にたくさん物質世界でお仕事をさせて頂いたからこそ、表現への欲求や今継続出来る事へ誠実に感謝出来るのだと思います。
私の詩は、自分の内観から産まれるもので、人間への理解したい欲求、隠された情念、生や死、森羅万象全てにおける普遍的な真実などがテーマになっています。
それは見て見ぬふりしているけど、やっぱり深く深く覗き込みたい事。
私は詩の世界で死んだり生きたりをしたいのだと思います。
それはガラス制作でも同様なのですが、無機質なリングに命を吹き込んでいく様な、言葉という「直感の採用」のプロセスは、私の作品を手に取って頂ける誰か一人と深く繋がる為に、宇宙のポータルとしての唯一無為のリングを作る為のエッセンスとなってくれると思います。
フラジャイルなガラスに、時間と愛を込めて向き合う作業、ヒビが入っても欠けても永遠に色褪せる事のないガラスという素材は命そのものです。
私のリングに興味を頂いている方は素晴らしい直感能力のある方ばかりなので、繋がりが持てるただその事に感謝しております。
その相互関係がまた美しい形になっていく、新しいリング、私の世界です。
(来年は帰国して個展をしたいなと切に願います、ポートランドでも!)