2021年をふりかえる
一年の早さよ。
ちょうど一年前は、スイスでずっと喉にヒステリー球をつくって泣いていた。…というより、私は泣きたくても泣けない人間だからヒステリー球に苦しんでいたのだと言った方が正しい。泣けないのはとても損だ。
はるばる飛行機で17時間以上の旅の果てに、パートナーとの意見のすれちがいで結婚話は頓挫した。
ちょうど一年前の12月12日は、あと10日ばかりのチューリッヒ生活を楽しもうと、家族に土産を選んだりしていたかもしれない。私はチューリッヒでの絶望の日々を毎日記録していたのだが、なんとなく怖くてその日記を読み返すことができない。振り返ったってもただ、私の立場を理解しないバカな彼氏と、そのバカな彼氏とまともな話し合いをすることもせずに、とりあえずスイスまで飛んだバカな私がいるだけだ。とにかく、言葉も通じない海外で、パートナーとすら話が通じず、孤独と恐怖で地獄の日々だった。
クリスマスイブに帰国した私は、例えてみるならば、飛び立ってみたものの墜落し、荒野に叩きつけられたような感じだった。しばらく立ち上がることができなかった。スイスという未知の国へ行っても、頼るべきパートナーは頼れず、仕方なくまた日本に戻ってくるしかなかったのだ。こんなはずではなかった。ただただ、私が甘かった。今はそう思える。表向きにはコロナのせいで何もかもうまくいかなかったのだと言ってしまえば、誰もが納得し、それ以上深く追究してこなかったのは、正直とても助かった。
スイスでぐんと減ってしまった貯金をまた穴埋めしなければ。とにかく働こう。そう思っても、立ち上がることがなかなかできなかった。履歴書を書くのが本当に苦痛で、頭ではやらなければと思っていても身体がどうしても履歴書を書こうとしなくて、参った。2020年春に日本での仕事を終え、次に働くのはスイスで、と思っていたのだから。酷い鬱状態でもあった。母が、すぐに仕事をするなと言ってくれたのが、泣けた。
帰国から一か月後、意を決して(大げさではなく、本当に意を決した)コワーキングスペースに出向いてパソコンを開き、何はともあれ職歴の棚卸をしてみた。立派な履歴書とは程遠く、今回の就職によって、増やしたくもない職歴を自ら無駄に増やすような気持ちにしかならず、自分の履歴書に向き合うのがきつすぎたし、立派でもなんでもない履歴書をさも立派な感じに盛ることも苦手で、反吐が出る思いで何とか書き上げた。あの頃は、感染者がまた爆発的に増えていた時期で、コワーキングスペースなんていうクローズドな空間に立ち入ることは抵抗があったが、家にいるとどうしても、人生で一番嫌いな行為ともいえる、履歴書制作を一生しないような気がしたのだ。
一度書き上げてしまうと、あとはこつこつとめぼしい仕事を探し、履歴書を送り、面接までこぎつければいいのだ。言うのは簡単だが、書類を送っても送っても面接までいけない。年齢と、統一感のないキャリアと。自分の過去の経歴から関係のある仕事を紹介され、たまに面接には呼ばれるが、過去のその業種が苦痛で辞めているので(笑)再挑戦する気には全くなれなかった。選べる立場でもないのだが…。しかし私は面接は強かったと思う。ベンチャーだと面談に出てくる社員も若い方が多く、格式ばった面接ではなく、カジュアルに話せることも多く、多種多様な業界を荒らしてきた私の履歴書から経験を掘り起こして聞いてもらえることもあり、それは嬉しかった。…しかし、これだけは強調しておく。面接にはなかなか呼んでもらえない。しかも、正社員で、とか言い出すと本当に狭き門だった。当たり前だけど。
そんなふうに、大変な思いをして、日本で派遣の仕事を得た。そこから私の運気が上向いた。
ところで私は、この就活中に、象徴的な夢を見ている。それは、「あなた自身を爆発させなさい」という啓示だった。眠りから明ける直前の、眠りと目覚めの境界線みたいな時だったような気がする。はっきりと目が覚めると、窓から冬のシンとした太陽光が私のベッドに差し込んでいた。
履歴書から星が飛び散って(スパークしている感じ)、私が自分を思いっきり表現している=爆発させている夢というよりもイメージを一瞬で見た。こういう、一瞬のイメージを言葉にするのはとても難しい。
「あなた自身を爆発させなさい」あなたという人間を、爆発させなさいというメッセージだと受け取った。
この感覚は説明がしがたいが、「降りてきた」という表現も使う人もいるだろう。「わかる」感覚とでも言おうか。あれってそういう意味かなぁ?という疑問形ではなく、はっきりと知る、というか。
人生は迷い悩みばかりで、答えが欲しい!と祈ったところで答えがおりてくるわけではない。理由や原因のわからないこと、わからないと何十年も思い続けて今なお答えのないこと、そんなことばかりだ、それが人生だという気すらする。しかし、ごくたまに、このようにはっきりと、答えのように降りてきたメッセージだとわかることがある。私はこういった、はっきりと私に伝えてきているメッセージがわかることがこれまでの人生で数回ある(人は言わないだけでもっと経験しているものなのかもしれないが、他人のことはわからないので)。
ともかく、今回もはっきりとそういうメッセージがあった。私は自分の履歴書に深いコンプレックスがあるのだが、そういうものは、もう関係ないのだ。あなた自身、ここまで生きてきたあなた自身を爆発させなさい、あなたという人間を発揮させなさい。そう言われたような。
前職で広報のようなことを担当していた経歴を買われて、広告代理店に採用された。仕事内容は、コミュニケーション能力がないと務まらないような内容だ。自分の履歴書のことを考えると今も憂鬱になることは変わらない。でも、統一感のないように見えて私がずっと力を発揮してきたこと、コミュニケーション能力。それが活かせている今、幸せを感じている。
今の自分は、これまでの自分の蓄積の結果。その今、ここに今いる自分を、まず自身が良しとする。自己を自認している態度があると、相手も私をそのように扱うようになる。相手が自分をどう扱うかは、自分が自身をどう捉えているか、が関係している。自信のあるなしというのは、すごいことができるかどうか、ということはたいして関係がないように思う。自身が、今ここにいる自身を認めているか、である。そんなことを身をもって学べたのも、今年の就労経験を通じてだった。
今年3月から仕事を始めたことで運気が上向きに変わったと書いた。実は2020年の秋、絶望の淵にいたときに、運勢を見てもらったのだが、その時に言われたのが「2021年、あなた運勢がとても悪いの」というものだった。絶望からさらにどん底へ突き落されたような、救いようのない気持ちになった。その占い鑑定は総じてメタメタな言われようで、過去もダメだし未来もダメね、でもそれって自分のせいだからね!って感じの内容だった。おっしゃることは本当にその通りなのだが、身も蓋もない。依存させて儲けようとする占い師も多い中、どんなに辛辣でもその人のためを思えばズバッと言いますタイプの方だったが、ド底辺にいる時にはなかなかきついものがある。私はそれでさらに元気を失ってしまって、だからというわけではないが、泣きながら日本に帰り実家という名の洞穴で傷を癒した。
ところが、仕事を始めてから、どんどん運気が上向いていくのを肌で感じた。私はどうも、じっとしているのがダメみたいだ。しかも、受け身な人間ときたもので、じっとしていると病んでいくくせにどうも自分からはうまく行動が起こせない。そこへいくと、仕事はとてもいい。あなたの役割はこれです!ですから、これをこうやってください!と言われたことに全力で向き合っているうちに、じわじわと元気が出てきた。
そして、今の会社がある程度任せてもらえる環境というのも、とても自分に合っていたと感じている。細かいルールが無数に存在していて常に監視の目が光っているような職場にいたこともあったが、萎縮してしまってかえってミスは増えるし、働くことの楽しみみたいなものが感じられなかった。色々な職場を転々としてきたことを恥ずかしく思っていたが、色々な現場を見てきたからこそ、自分がどういったフィールドで力を発揮しやすいのかを知ることができたともいえる。
今の職場では、別にそうしようと決めていたわけではないのだが、「派遣だからここまで」みたいな線引きを自分に設けなかった。新規プロジェクトのスタートアップのタイミングで雇われたこともあって、チームがみんな手探りだったのも良かったのかもしれない。自分の得意なコミュニケーションを発揮して、みんなで協力しながらルールや、チームワークを一から作っていった感じが我ながら、する。そしてその過程は、今振り返るととても楽しかった。気づくと社員の人に色々教えたり伝えたりする役割もできていた。頼られることは気持ちの良いものだ。がちがちのルールありきで、それにしか従えないような仕事よりも、どんなふうにしたらもっと良くなるかな?を考え続けることができるのは、とても自分に向いていることだとわかった。
この歳にしてBTSのジミンちゃんにのめりこんだのは自分の41歳の誕生日のちょっと前、ゴールデンウィークだった。たまたま妹から教えてもらったDynamiteのMVを見て、それこそ目から星が飛び散った。こんなに素敵な人を知らずに生きていたなんて!!彼の存在は、自分はパフォーマンスをすることが好きだった(役者になりたかった過去もあります)ことを思い出させてくれて、ダンス教室に通うことになった。強い衝動があると行動は早い方で、気づいたら教室に電話をかけていた。一度申し込んだものの、緊急事態宣言が延長されたこともあって、本格的に通い始めたのは6月中旬からだった。ダンスは10年くらい前に教室に通っていたこともあったのだが、仕事帰りで疲れ切って集中力もなく、レベルが高くてなかなか身に付かず、長続きしなかった。今のクラスは雰囲気も良く、10年前にどうしてあんなに踊れなかったのかな?と思うくらいに、のびのびと楽しくダンスができている。楽しくて楽しくてたまらない。
運気最悪ですと言われていたにも関わらず、2021年は自分にとって開拓の一年、とても素晴らしい一年だった。これは自力で運勢を変えたパターンだと自負している。そしてそれは、自信に繋がった経験だった。未来って決まっているような気がしていた。というか、未来ってどんなに私が望んでも、もうだいたい決まっているから未来に希望を託すなんて意味がないというような考え方が自分の中に少なからずあって(あったのよ)、その後ろ向きな考えはなかなか払しょくできなかったのだが、今自分がどうあるか、今自分がどうするかが未来に繋がっていると、体感できた。
受け売りの言葉は自分にとって何の意味も成さなくなった。格言とか、こうすべき、みたいなメッセージはSNSを開けばたくさんあって、心が弱っている時、不安で不安で仕方がない時などはそういった言葉たちにインスタントにすがらせてもらっているけれど、結局のところは、自分の体験からつかみとった実感しか、芯から信じられないかもしれない。
むやみに自分を恥ずかしがったり、ダメだと思ったりするのはやめようと思えた。それって自分にとって何の得にもならない。いいことひとつもない。大きな意識改革ができた、とても良い一年でした。人との出会いと縁に感謝。とても大変だったとき、手を差し伸べてくれた人たち。本当にありがとう。
自分へ。いい自分でいられますように。自分の未来は自分で開拓できる恵まれた環境に生きている。来年もよろしくね。