はじめての心療内科
心療内科に行ってきた。この日をひそかに楽しみにしていた。2月13日に地元の心療内科のウェブサイトから予約を入れ、2月15日か16日か18日のいずれかで受診希望日を出したが、希望の日程では受診できずに、25日の受診となった。
受付
予約の15時に病院を訪れると、皮膚科や耳鼻科にかかるときと同じように、問診票を書かされる。名前、住所、生年月日、該当する症状にチェック、睡眠時間、飲酒や煙草の習慣、服用している薬の有無。ただし、皮膚科の問診票と違うのは、家族に精神疾患の人はいるか、最終学歴、就業中か、就業経験はあるか、これまで何社ぐらい勤めたかという項目があること。
問診票を埋めて受付に渡すと、引き換えに番号札を渡される。プライバシー保護の観点から、名前ではなく渡された番号札の番号で呼ばれるとのことで、待ち合いで順番を待つ。
地元のクリニックなので、もし知り合いがいたら嫌だなと思ったが、私はニット帽を深くかぶり眼鏡にマスクとほぼ変装状態なので(冬の私のデフォルト)、一見ではわからないだろう。それに待合室はパーテーションに区切られたカウンターになっていたし、患者どおしも暗黙の了解で目と目を合わせることなく、皆気のせいか伏し目がちで順番を待っていた。
カウンターには「大人のADHD」という薄い漫画冊子が置いてあったので読みながらしばし待っていると、札に書かれた番号で呼ばれた。
ナースのヒアリング
呼ばれた部屋に入っていくと、にこやかで優しさ全開のナース(この方の肩書がわからないのだが…臨床心理士?看護師?)が待ち受けていて、先生の診断を受ける前に色々お話聞かせて頂きますね、とのことで椅子をすすめられた。「プライバシーは固く守られますので、ご安心ください」
さきほど書いた問診票を見ながら、お辛いですか?と聞かれた。
20年くらい前からずっと心の不安定はあったが病院を受診したことは初めてだということ。昨年から公私ともに色々あったせいか心の不調が悪化したので受診しようと決めたことを話した。ナースさん(便宜上そう書きます)は優しさ丸出しって感じの人で、私の言うことに親身に頷いてくれるので、私も自然と、勤めていたレストランが4月で解雇になったこと、9月から結婚するためにスイスまで行ったものの彼氏と色々こじれて帰国したこと、来月3月から働き出すことなどをつらつらと話し始めた。彼氏とはいつから付き合ってるのか、何年同棲したのか、彼氏がイタリアに帰国した後スイスに転職した経緯など、詳細な時期まで聞かれた。話しているうちに彼氏への不満が思いのほか止まらない。私が何か話すたびにナースは目を見てそつなく「うんうん」と頷きつつも、ものすごい勢いで全てをパソコンに速記していた。
…全部記録されとる…。ついついナースさんの優しい頷きにほだされてぺらぺらとしゃべってもーたが、プライバシーは大丈夫やろね?
「え、これ自分の話すごい喋ってしまってますけど、プライバシーは守られてるってことでしたよね?」と確認。当然のことながら、プライバシーは固く守られるとのこと。
症状全部をもれなく伝える自信がなかったので、主な症状を紙に列記して持参していたので、ナースに渡すと、それも全てパソコンに入力していた。
精神的にきついので常に横になりたい
疲れやすい
対人がしんどい(家族で同じ食卓を囲むことが精神的にきつい)
家族と目を合わせて会話をするのがきつい
ため息が多い
常に苦痛に耐えている
泣きたいのに(号泣したいのに)泣けない苦しさ
胸が痛い
喉が詰まる感じがある
気分がどんより
食事のあと、気分が落ちる
罪悪感
ナース「気づいたら涙が出てるなんてこともありますか?」
いや、それができてたら多分きっともっと楽なんですよ。それができていたら、その問診票に書いてある胸の痛みや気分の沈みも、もしかしたらないかもしれない。というか私が抱えてる大部分の問題は、泣くことができればだいぶ解決してるのでは???
号泣したいような気持を抱えながらも、泣けない。錆びた蛇口みたいだ。泣こうと思うと「バカみたい」と自分にツッコんで白けてしまう。幼い頃、私はとても泣き虫だった。父は子供の(っていうか私の)泣く様が大嫌いで、私が泣き出すと怒りだしたこと。父が怒れば怒るほど私は泣いた。私が泣けば泣くほど父は怒った。激しく癇癪持ちの、私たちは似た物どうしだった。
泣いてはいけないという心理は、幼い頃のことが関係しているかもしれない、と私は自己分析した。そもそも何か悲しいことがあったわけでもないのに号泣したいような気持ちになること自体、やっぱり普通じゃないよな、と改めて思う。わっと泣けたら、涙を流せたら、どんなに楽だろう。
「冷めた自分が自分を見てる感じですかね」ナースさんはそう言いながら、速記していた。
ナース「(問診票を見ながら)家族で食卓を囲むときがしんどいんですか?」
家族と言っても今は両親と私の三人暮らしだ。40歳にもなって人生宙ぶらりんのようになって実家にお世話になっていること自体が恥ずかしいような、きまりが悪いような気持ちが正直ある。
今、人と健康的に関われるだけの元気がないので、両親、特に母に対して申し訳なく思ってしまう。特に食卓を囲むとなると、暗くどんよりとした自分では両親に失礼だというプレッシャーみたいなものがあるのだろうか。自分でも完璧に分析しきれていないのだが、なぜか家族で食卓を囲むことが得意でない。明るいまではいかなくとも、マナーとして落ち込んでいない自分を食卓に用意しなければならない負担。そんなところか。特に母は明るく天真爛漫で共感能力のとても高い人なので、母に負の影響を与えたくない。余計な心配をかけたくない。なるべく普通を装うようにしている自分がいることは確かだ。
この話を聞いてナースは「そんなこと気にしなくていんですよ、甘えちゃっていいんですよ」と言っていた。話していて、母に気を遣ってる自分に改めて気付いた。母には精神的にも経済的にも本当にお世話になっているので、心配をかけたくないことは本音だが、こうやって人と話すことって大事だなと思った。自分の傾向に気付くことができる。
昨年の夏は頭を切る手術をしたことを話すと「ホントに色々あったんですね…」と同情してくれた。巻き込まれた波もあったし自分から飛び込んだ波もあったけれど、たしかにここ一年大変だったかもな。
最後に、薬を服用することに抵抗があるということを伝えて、ヒアリングは終わりになった。次は医師の診断。待ち合いで再びしばし待つ間、アンケートに回答させられる。食欲がない(いつも、たまに、当てはまらない)、自分が死ねば全て解決すると思う(いつも、たまに、当てはまらない)、異性に関心がない(いつも、たまに、当てはまらない)…。
医師の診断
50代くらいの男性の医師は小さなホワイトボードを私に向けて図を書きながら説明してくれた。メンタルをスマホのバッテリーに例えると、バッテリーがなくなってきて画面が暗くなったり、通常モードで動けなくなっているのが今の私の状態。
生きてると色々な出来事があり、メンタルの浮き沈みがあるのは普通。ただ、心が消耗してしまって極端に落ち込んで、自律神経が乱れてしまっているのが今の私。鬱病ではなく、「抑うつ状態」が今の私の状態とのことだった。鬱病だったらこうやって病院に来て話をするのも厳しいですよ、とのこと。
薬の服用に抵抗がある人は多いが、正しく服用していれば怖くない。どうしても服用に抵抗があるのであれば漢方、漢方すら受け付けないというのであれば、カウンセリングのみで改善していく方法を取るが、漢方もカウンセリングも時間がかかる上に、カウンセリングのみは症状が悪化する可能性もゼロではないと。
心身ともに辛くて受診したので、薬の服用で楽になるのであれば試してみたいと思った。ただ、3月から新しい仕事を開始するので、副作用で眠くなったり頭がボーっとするようなことがあると困ると伝えた。
副作用は口の渇き。眠気が出ることもあるけれど心配するほどではないとのこと。また、身体にならすために弱い薬から処方するので最初はほとんど効果があらわれないだろうということだった。薬に慣れてきたら徐々に薬を強めていって、薬がいらなくなるくらいまで回復したらやめていきましょうということになった。
【処方された薬】
・セルトラリン錠25mg サワイ・・・1日1回(夕食後)
意欲低下を改善する薬
気分を落ち着かせる薬
・ドンペリドン錠10mg EMEC・・・1日3回(食事前)
胃腸の働きを整える薬
吐き気や胸やけを和らげる
セルトラリン錠は、セロトニンを増加させる効能がある。セロトニンは、脳内に分泌される神経伝達物質で、幸せホルモンとも呼ばれており、感情や気分のコントロール、精神の安定に深く関わっている。セロトニンが不足すると心のバランスが乱れ鬱状態を引き起こしてしまう。
薬の服用や副作用に抵抗のある人は多いらしく、思い込みで吐き気やムカつきを覚える人がいるそうだ。ドンペリドン錠を処方されたのは、そのためである。
医師の説明は、概してわかりやすかった。ただ、終始医師だけがしゃべっていて、改めて私の症状を聞いてくることはなかった。ヒアリングはさきほど充分済ませているので、医師はその記録を見ながら薬の説明だけに専念している感じだった。
そりゃおかしくもなるよな
ナースとのヒアリングで改めて思ったが、この一年けっこう人生ハードモードだったんだな。そして、朝から晩まで接客の仕事で忙しかった生活が突然奪われ、仕事もなく一日中家にいる日々。昨年4月から働いていない。「役割」が奪われたことも思いのほか自己肯定感に影響していた気がする。どんな形であれ、生活に「役割」を持っていることは大事なことだ。
人間は、嫌なこともしんどいこともありつつも、人と接して交流して刺激を受けながら活性化していくもの。とくに私は性格的に常に人と関わって交流していることが大事なんだと改めて思った。
私を苦しめているもの
失敗ばかりの人生は自分の生き方、自分の選択の結果。自分の選んだ人生、自己責任という概念。向上心もあるのに結果を手にすることが苦手な自分。何も形にできていない自分。自分にはできないと思ってる自分、そこからなかなか脱却できない自分。
心療内科に行ってみて
心療内科にかかることに、すごく高いハードルを感じていた自分がいたと知った。薬に頼ってしまうこともとても怖かったし、自分を「心の病気」と決定づけてしまうことも嫌だったのかもしれない。
心の風邪という言葉は好きじゃないんだけれど、身体が弱いと風邪を引きやすいように、私はきっと心が弱くてすぐに風邪を引いてしまうんだろう。
私は風邪を引いても熱を測らないのだが、それは熱があることを知ってしまうともっと具合が悪くなるからだ。心療内科にかかって薬を飲んでいるということで「私は心の病気なんだ」と意識をしてしまってか、昨日から調子がすこぶる悪く、今日は一日本当に何もせず寝込んでしまった。今まで心がしんどくてもうまくごまかしてきたのは、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。
9日分処方された薬はまだ2回しか飲んでいないし効果も感じられないけれど、これからどんな変化が出てくるのか、楽しみだ。
歯が痛ければ歯医者を受診する。皮膚が痒ければ皮膚科に。それと同じで気分が落ち込むから心療内科を受診したのだ。それだけのことだ。それだけのことに20年かかってしまった。