資料の読み方 文字があったとしても、読まなくてもいい。
こんにちは。新人小説家のみおさん、と申します。
今日は小説を書くために読む、資料の話。
あと、文章の訓練すると生活にも役立ちまっせ!というメッセージを。
小説家を目指して新人賞応募をはじめ、小説講座を受講し、どうやらたくさんの資料を読まなきゃならないぞ、と知りました。
歴史書や学術書はそもそも大好き。
よし、読むぞ!
と、意気込んだはいいのですが「たくさんの」というところが味噌で……
趣味で好きなものを好きなように読むのとは、当然違うわけです。
膨大な量の資料を、まず探し、
なるべく早く読破し、
必要な情報をまとめ、
不足している情報をピックアップし、
新たな資料を探して、また読む。
あれ? 楽しく読んでたら時間足りねえわ。
↓
あれだな、速読とか、ああいうトレーニングが必要なんだな。
↓
本の読み方、って本があるじゃないか。参考にしよう!
で、ついに知ってしまったんですよ。
その事実は、「本」といえば「小説」を思い浮かべるぼくからしたら、大変ショッキングでした。
本はね……
最初のページから順番に読まなくてもいいらしいんですよ!!!
慣れるまでは、違和感との戦いでした。
300Pの本なのに、20Pしか読まずに閉じてしまっていいのか?
それも真ん中へんの、中途半端な部分だけ。
最初だけでも、最後だけでもない。
許されるのか?
文字が書いてあるのに、読まないなど、神がお許しになるのだろうか?
文字が書いてあるから読む。
そんな活字中毒者のぼくには「読まない」という選択に、強い抵抗感がありました。
美術館や博物館の説明文、観光地の看板、本の間に挟まっているレーベルの広告まで、文字が書いてあれば必ず読んでいたのに。
え、書いてあるのに?
そこに文字があるのに?
日本語なのに?
読まないの?
読み飛ばすの?
なんで!?!!?
……思えば、狂った人生を歩んできたものです。
しかし、そんなぼくにも天啓が授けられます。
「読書の技法」著:佐藤優/東洋経済
https://www.amazon.co.jp/dp/B009APH6WG/ref=cm_sw_r_cp_tai_Q2Y9G5AA2TE45WNT66E2
曰く、
ーーそれは、人間が死を運命づけられている存在だからだ。そのために、時間が人間にとって最大の制約条件になる。
ーーどんなに努力しても、知りたいことの大部分について、諦めなくてはならない。
ーー「熟読できる本の数は限られている」というのは、読書の技法を考えるうえで大原則である。
人生は短い!
読める本の数は限られている!
なんということでしょう!
大変なショックでした。
無限に文字を追っていたいと願っても、物理的に読める本はごく僅かなのだと、突きつけられたのです。
そして、こんな自明の事実から目を逸らしていた自分にも。
当たり前じゃんね。
( ^ω^ )
馬鹿だったわ。
というわけで、この自然の摂理を思い出させてもらえたおかげで、読み飛ばすという作業にも納得できるようになりました。
佐藤先生の教えに従って、速読で当たりをつけて、熟読する本を選んでいます。
あと、速読の訓練をすると、ある程度普通の読書のスピードも上がります。
読み飛ばすつもりのない小説の場合でも、読むのは早くなりましたね。
あと、速読、読書、文章の訓練をしたことで、日常生活にもメリットが。
ぼくは平日昼間は会社勤めの事務職なんですが、小説を書くために様々訓練をしてから、メールや書類を読むのが早くなりました。
誤字脱字にも気付ける。
返信の文面のさっと作れる。
読みやすい資料の構成も分かってきた。
いい事づくめじゃん!!!
٩( 'ω' )و
みんなももっと小説書いてみるといいよ!
では、今日はこんなところで。