終わりを決められる嬉しさ
どうもこんにちは。みいです。
ゴールがあるってありがたいなって話です。
私の人生の夏休みも終わりが見えた。
見えてきたというより期日が決まってはっきり終わりが見えた。
子供のころは、夏休みの終わりは誰にでも平等だったし、卒業もみんなに同じ時期にやってくる。
いわゆる物事の"終わり"は誰かが決めてくれているものだった。
大人になると決められた終わりはほとんどなくて、自分で決めることになる。
それにやっと気付けたのが最近の私。
思ってもいない終わりを遂げることも含め、終わり方には種類がある。
コントロールできる範囲の終わりを他人に決めさせることほど自分の時間に無責任なことってないのかもしれないと最近考えている。
そして、今回人生の夏休みを終えられるという決断に至った。
その大きな要因として、”やれそう”と”やりたい”の間に違いがあると気づけたことがある。
これまで夏休み中に何度か”やれそう”と思ったことはあった。
しかし、今のように”やりたい”と思えたことはなかったのだ。
それによって心身の回復度合いが、この2つの間で測れると感じた。
イメージとしては”やりたい”には、明確なビジョンや目的があり、それに対する信頼もあるので、多少のことではブレない強さが含まれていると思っている。
私が今の時点で夏休みを終えることを決断できたのも、自分の中で何を成し遂げたいかが明確になってきたからだといえる。
そしてほぼ1年ぶりくらいにビジネス書を読んでいる。
半年前ならあり得ないチョイスだ。
名前の通りで、思考法やビジネス基礎、コミュニケーション術など仕事を行う上で必要なスキルがほどよい情報量で含まれている。
夏休み明けの感覚を取り戻す一歩にはいいのではないかと思いチョイスした。
そして以前の”やれそう”な私ならとにかく最初から最後までしっかり読むことが目的になっていて、途中で飽きると凹んだり、いつか全部読まなきゃという”でなければならないオバケ”が襲来したりしていた。
ところが、今の”やりたい”私はやりたいことがはっきりしているので、必要なところだけ読んだり、思い切ってすきなところだけ読んだりしても何の問題もないと思っている。
苦手を克服という考えも大切だと思うが、今感じている”やりたい”の灯を消さないようにするためには、すきなことに集中する方が適切だと考えている。
そうやって自分に合ったガソリンを注ぎながら、灯を灯し続けていけたらいいなと思う夏休みの終わり。
まじめな話になっちゃったので、最近はまっている飴だけ載せて終わります!
今もこれを舐めながら書いてます!
ポンと出てくるのが不思議すぎるし、楽ちんです!おすすめ!
だいぶな感じで雑な終わりですが、ここまで読んでくださってありがとうございます。
ではまた明日。
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