ウミヘビと、邪気ー、脱皮ーニューイヤー
ウミヘビが泳ぐのを見た
職場の人に誘われたモズク採りの最中だった。
海面に、すーっと緩やかに上って行く、白黒の紐のような姿を見た。
その時は、怖さよりも
ウミヘビって長いんだなあと見惚れた。
初夏に近い、明るい空や海の中、
無音のスローモーションを見ているようだった。
ずいぶん前なのに、
思い出したのは巳年だからだと思う。
求めているのは、幼稚園児のような、“ごめんね、いいよ”?
新年早々に、参っている。
初詣ではなく、両親に。笑
老いて失敗が多いのは致し方ないこと。
後始末だって致し方ない。
せめて、ありがとう、ごめんね、くらい
言って欲しい。
日々、繰り返し、
不機嫌さをぶつけられるのは悲しい。
しかも二人から。
退院した母が、
父と、喧嘩を繰り返しながらも
殊更に結託して、
“お説教ばかり!”と私を感情的に糾弾、拒否することも、
他の、書くのを憚られるようなことも、悲しい。
陰徳と、承認欲求
モズク採りをした頃に
知り合いから教わった“陰徳”
私は、全く徳を積めていない。
良かれと思った末に悪者にされるのは、慣れている。
私は離婚訴訟をしてきたのだもの。
支えたつもりの相手に、酷く傷つけられた。
だからそう嘯いていた。
だけど、力一杯スルーしていても、
両親の感情的な反応はじわじわと私を弱めている。
娘も嫌気が差したのか、今日は
“友達の家行ってくる”と出掛けて行った。
気の毒にと思うよりも、
娘が出掛けると、ホッとする。
毒気に満ちた実家。
ダメだこんなの。
棚卸しの必要性
最近、友人が教えてくれたように、
辛いこと、拒否感のあることを書き出した。
どうされるのが嫌か。
どうして欲しいのか。
どうして欲しかったのか。
私は、今、褒めて、労って欲しいのだ。
剥き出しの醜い幼い感情かもしれないが、
打ち消さずに認めよう。
決めた。
ここで頑張りません。
私は娘と、安心して暮らしたい。それだけだ。
10年以上前からそう思っている。
10年前と違うのは、
限界を迎える前に
自分と娘を守ると決めたこと。
限界まで耐えることは、もうしない。
さっさと逃げる。
自分でコントロールできるのは自分だけ。
母親である自分が笑えなくなったら、お終いだ。
年末に、両親には介護施設への入所をすすめ、
私は近くで新たな住まいを探し始めた。
支えるのは、自分の安全地帯から。
外で笑い声がする。
娘が友達と帰って来た。
部屋で、好きなタレントの話をしている。
笑い声が邪気を払ってくれたかもしれない。
心が腐ってしまう前に、
脱皮して、生きていく。