完璧な人 第3話
雨上がりの日曜、
実家で会合があった。
駅まで迎えに来た
黒のレクサスLSに乗り込み
敷地内の長い竹林を通り
本邸へと向かう。
梅を飾る真珠のような
まだ幾つか残る雫の煌めきに
目を奪われる。
ここに来ると毎年見れる
源平咲き。
紅白が一つの木に咲き誇る姿は
圧巻だ。
敵味方の別などない、と
教えてくれる。
重苦しい伝統と
軽く浅く便利な現代の融合も、
この梅を見る限り
難しい問題では無いように
思えて来る。
とは言え俺には
この集まりが心底面倒だ。
和かな顔をした
狸たちの化かしあいだ。
「海斗くん、相変わらず
ハンサムだわねぇ。
背も高いし
おばさん惚れ惚れしちゃう」
「有難う御座います」
極力つれなく
慇懃無礼に
言ったつもりだが
相手は引かない。
「海斗くん、七美のこと覚えてる?
小さい頃よく
遊んでくれたでしょう?
あの子、今年25になったのよ。
あなたとちょうど良いと思って」
どうせそんな話だと
思っていた。
着物の袂から携帯を取り出し
ずい、とそれに写る
女の写真を見せて言う。
「どう?
親馬鹿だけど
綺麗になったでしょう?」
「ちょっと、花江さん
抜け駆けは卑怯ですぞ。
海斗くん、私の娘も
年ごろでしてな。
海斗くんもこれだけ美丈夫なら
引く手あまたでしょうが、
まあ考えてみて下され。」
裏の顔が見えない
昔から苦手なオッサンが
そうやって無理に
話に割り込んで
負けるまいと俺に
携帯の写真を見せる。
ダセェ。
どうせ気になるのは
親父の財力だけだろうが。
「海斗、いつまで
シェアハウスなんぞに
住み続けるつもりだ」
何度も丁寧に染め上げられた
濃い藍の羽織。
父は昔から好んで
この色を纏っている。
「何度も言っているでしょう、父さん。
マーケティングのためです。
現代の若者の動向や思考を探るには
最適なんです」
こんな旧態依然とした
社会の中にいては
世の潮流を把握出来ない。
「海斗、だからと言って
あんな安っぽいところに
身を置き続けなくても
いいでしょう」
「母さん、
当社は上流の集まりですよ。
大衆の傾向を知るには
中流層に馴染まないと
我が社だって
置いていかれます」
「だが、朱に交われば
赤くなるぞ、海斗。
身を滅ぼさぬように
考えるべきだな。
お前もそろそろ30になるだろう。
身の引き時だ。戻って来い」
「兄さんがいるから
問題ないでしょう」
「航弥は背負うものが多すぎる。
我が野々宮グループは
規模も歴史も軽く考えられはしまい。
この血を継ぐ者として
次男であるお前の責任も
決して軽微なものではないだろう。
航弥を支えてやってくれ」
高級な割に
味の分からない酒を飲まされ続けて
ウンザリした俺は
早々に実家を後にした。
陰鬱な気分で
シェアハウスに戻ると
家全体に甘い香りが
漂っていた。
誰かが洋菓子でも
焼いたんだろうか。
それは強いものではなく
優しい、幸せな気分にさせるような
ふんわりとした香りだった。
まあ、そんなこと
どうでも良い。
心身ともに疲弊した俺は
ベッドに倒れ込むように横になり、
ネクタイだけを無造作に緩めて
スーツを着替えることもせず
ぼんやりとしていた。
どのくらい
そうしていただろうか。
粗末な木材のドアが
2度、叩かれる音がした。
「野々宮さん、いますか?」
ドアを開けると
凛が借りてきた猫のように
立っていた。
あの、これ私の手作りで
ごめんなさい。
本当はもっと良いものを何か
買いたかったんだけど、
野々宮さん、いつも
質の良いものを持っているでしょう。
それで、
何が良いか分からなくて
いろいろ探しているんだけど
まだ見つからなくて。
だから見つけたらすぐ
お渡しするつもりだけど
遅くなるといけない、
と思って。
そんなことを珍しく
早口で捲し立てて
凛は光沢がある深い青色の
リボンのかかった袋を
唐突に俺にぶつけるように、寄越した。
「甘い香りがしたのは
これか」
「マドレーヌなの。
美味しいか分からないけど」
「忙しいだろうに
作ってくれたのか、
ありがとうな」
凛の小ぶりの頭に
ぽんぽん、と手を置く。
俯きがちな凛の白いうなじが
少し赤く染まったのを見て
源平咲きの梅を思い出す。
「野々宮さんには、
倒れたとき助けてもらったり、
手料理を頂いたり、
それに、料理を教えてもらったり、
すごくお世話になってるから」
ほんの気持ちだけど、と
凛は相変わらず
焦ったような似合わない物言いで
付け足した。
「野々宮さん、
お部屋綺麗にしてるね」
ドア越しから中を垣間見て
話を逸らすように
そんなことを言う。
そうか?
「そうだよ。
料理も上手だし、部屋も綺麗。
完璧な人、
だね」
ふっ、と思わず
笑ってしまう。
「どうして笑うの」
「いや、俺は当初
凛が完璧な人間だと
思っていたんだ」
「えっ、私?
全然そんなことない」
「そうだな、
お前は全く
完璧じゃない」
そんなの酷いよ、とむくれる凛が
可笑しくて
声を出して笑ってしまう。
「それが良いってことさ」
全く訳が分からない表情で
それでも俺に釣られたように
凛も笑う。
やっぱりこいつは笑うと
本当に可愛い。
「なあ、凛。
俺は金持ちなんだ」
えっ?
野々宮さん、酔ってるの?
と、目を見開いて言った後
少し間を置いてから
凛はこう続けた。
「知ってる。
今着ているスーツも
そのネクタイも、
高級そうだもの」
これか?と
深い青地に緑の縞が入った
長いこと愛用しているネクタイに触れる。
「その青色、
野々宮さんによく似合うね。
濃い青、っていうのかな」
そう言われて
ふと思い出す。
「そう言えば凛も
こんな色で何か編んでいたな」
「う、うん。
それにね!
仕草も、
オーラみたいな、ものも、
野々宮さん、は、高貴な、感じがする!」
何故か派手に慌てて
凛が言う。
そうか?
「金があるから
何だって出来る。
女も買える」
野々宮さん、
どれだけ飲んだの?
困ったように眉根を寄せて、
それから、
正しいことばをよく探すように
少し考え込んでから、言った。
「女性の心は
お金じゃ買えないよ」
そうか、そうだな。
可笑しいことを言っているな、俺。
俺はまた
凛の髪をくしゃりと撫ぜて
こう言った。
「凛、俺の恋人にならないか」
俺の方から女性に
こんなことを言うのは
初めてだった。
緊張するもの、なんだな。
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