【介護】すまスパPRO介護編に出演させて頂きました。
プ、プ、プロですか?
わたくしが?
えっと、
私が介護業界を辞めたのは
何年前だったかな。
2012年から日本語教師になって
その前に日本語教師になるための
学校も通っていたから......う〜ん。
特養にいたのは
アメリカ同時多発テロの前だなあ。
25年くらい前かしら。
だとしたら私、自称28歳なので
3歳の頃ですね😆
介護系日本語教師を
しなくなってからも、
10年は経っているかなぁ。
私ね、最後、
介護業界を嫌で辞めたんです。
当時、勤務先が
不正請求で消滅した
コム◯ン社を15社程度
急に承継することになって、
それが私が開発に携わっていた
自社開発の介護ソフトの
リリースとぶつかり、
どちらもずらせないから
現場(本部)は地獄のようでした。
もちろん、それ以外の
通常業務もありましたし。
会社が統合する話なんて
よくありますが、
ものすごく大変なんです。
元勤務先は
おっとりとして上品で静かな人が
多かったのですが、
コムさんから来た社員さん達は
聡明で気の強い
バリバリとしたタイプの方達でした。
こちらはCMをしないで
大手になった会社で、
一方コムさんは
バンバンCMを派手に出して
業界最大手まで上り詰めた会社です。
当然、合いませんよね、
性格も方針も。
元コムさん達は
不正請求をするように
洗脳されていて、
それがもちろん不正だと
気づいていないのですが、
こちら側が指導しても
くってかかって来る。
不正の証拠となる法規を提示して
教育し直す必要がありました。
自社開発のソフトは
バグばかりでね。
提携していた会社に
修正するように依頼すると
改悪されて戻って来る。
一向に良くならないのに
リリースの時間だけは
刻々と迫って来ます。
私が辞めたのは
この両方が落ち着いてからですが。
大好きな方もたくさんいました。
経営方針も好きだったし、
一つひとつの業務も
楽しかった。
だけど、
辛かったんです。
毎日の地獄のような残業と
休日出勤で
気が狂いそうで、
体調も酷くて
逃げたんです。
嫌だったんです。
そんな私がプ、プ、プロ?
いいのかな。
ふざけんな!って
同業界の方に
ちゃぶ台をひっくり返されて
しまいそうです。
※この辺の表現がやはり昭和。
イラっときた方
少なからずいるんじゃないのかな。
何だか本当に、すみません💦
だけど、
心強い味方である
ねずみさん🐭がご一緒ということで
厚顔無恥な私は
しゃしゃり出て行ってしまいました。
※現職の最強ヒーロー、ねずみさん。
介護業界にいた当時
私はまだ若くて、
若いが故にいろいろ言われる
と言うことを恐れて、
ひたすらインプット
し続けておりました。
社会福祉士だけでなく、
現在はもうありませんが
ホームヘルパーの資格も
3級、2級と取得して
介護事務の資格も取り、
身体障がい系のホームヘルパーやら
福祉住環境コーディネーターやら
いろいろと介護系の資格は
現場、事務関わらずひたすら取りまくって
それでも自信が無くて、怖かった。
思えば何を取得しようがしまいが、
自信というのは自らの心持ち
なんですよね。
とにかく
資格取得に必要となる実習のたびに
お世話になる施設を
ジロジロと観察して記録し、
祖母の通うデイサービスや
近隣の施設も
数多く見学し続け、
在宅介護業界の本社にいた頃も
自ら進んで
訪問入浴の同行訪問に行ったり
有料老人ホームの立ち上げを
手伝いに行ったり
していました。
「何をそんなに生き急いでいるの」
と、よく言われました。
あの頃の経験は
あんなに頑張ったのに
錆びついてしまいました。
放送で
「ケアハウスは軽費老人ホームなんですね」
なんて発言をしていますが、
後で考えると
そんなの社会福祉士の
基本中の基本でしょう?
福祉系の大学生なら
1年生でさえ知っていることを
何を今さら、と
ひとりで赤面しています。
あんなに必死になって
福祉をやっていた頃の、
知識も経験も必要な時にすぐ
脳からポンと出せた頃の、
私はもういません。
だけど、
今回のこの貴重な経験で
現場時代や本社時代のことを
いろいろと思い出すきっかけになりました。
特養ではソーシャルワーカーだったから、
新規入居ご希望の方の調査のために
かなりたくさんの施設を回りました。
あの精神病院は
埃をかぶった日本人形の隣に何故か
使われていない黒電話が放置されていて
怖かった。
狭い檻の中にヘッドギアをつけて
人がいるのを見て、
こんな中に閉じ込めるから
余計に酷くなるんじゃないか、と
素人ながらに思った。
本社時代でも
最後の方は他社さんとハコモノ担当だったので
よくその現場へ行きました。
※ハコモノというのは
訪問介護や訪問入浴、訪問看護などと対比して
デイサービス、ショートステイ、
グループホーム、有料老人ホームのことを
指していました。
介護報酬の算定が、
訪問系とは多少異なるんです。
あのグループホームでは
ご入居者様と一緒に
調理師さんの作った食事を頂いた。
品数も多くて上品なお味。
美味しかったな。
あっちのグループホームでは
新人の若い介護士さんが
料理が下手だから仕事のために
特訓しているっていう話を聞いた。
目玉焼きがやっと
作れるようになって、
施設でご入居者様に出したんだとか。
みんな、孫が作った初めての料理を
食べるような気持ちで喜んだんだ、って。
あそこのグループホームは
スタッフのユニフォームが
藍色の作務衣だった。
かっこよかったな。
懐かしいな。
忘れてしまっていることは
情けなくなるほどあって、
今の私と話をしたら
きっと良くしてくれた
特養時代のケアマネさんや
本社時代の上司たちは
眉を顰めるのかもしれません。
私、こんなになってしまいましたよ。
もう何も分からない。
だけど、昨日のことのように鮮明に
覚えていることもあります。
法や制度の細かい部分は
記憶に残っていないけれど、
あの蓋をしていた日々が
久しぶりにポンと出て来て、
お役に立てたのか分かりませんが
楽しい収録でした。
最後、私は病気を3つ併発して
強い薬で手の震えが治らず
辛くて辛くて
燃え尽きて辞めたのに、
思い出すのは
楽しかったことばかりでした。
最終日、
私が帰る時に
社内にいた仲間全員が
エレベーターホールまで来て、
私が乗ったエレベーターが完全に閉まるまで
頭を下げて送ってくれたので、アタシはヤクザの姐さんかい?のを、思い出して泣けてきました。
全く、しっかりおし!と思いました。
※最終日までかなりの残業だったので、
残っていたのは全て男性でした。
スーツの男性の大群に
ビシッ!と頭を下げられると、ほら、ねぇ。
介護現場ってね、
楽しいところなんですよ。
私、以前にも書いたけど
人間って、
守ってもらわないと
生きていけない立場になると
可愛らしくなるんだと思うんです。本能で。
赤ちゃんも、子どもも、
可愛いでしょう。
それと同じでお年寄りも
勿論しっかりなさった雰囲気の方も
いるけれど、
排泄介助や食事介助が必要な方は
本能で可愛さが出る、と言うか、
手放しでこちらの
愛情を自然と引き出されます。
もちろん尊厳が一番
大切なのですが、
介助する方は
愛する気持ちを引き出してもらえるから
嬉しくて、楽しくて
そうやって仕事を
している方が多いんじゃないかな。
歳を重ねるのは
経験も知識も増えて
良いことだと思いますが、
※自称28歳のヤツが言うな。
それがたとえ認知症になって
全て忘れてしまっても、
周りの愛情を引き出す
小さい子どものような能力が
顕在化する。
そうやって周りを
幸せにする。
そう考えたら
様々な介助をしてもらっても
最後まで生ききるって
素敵なことですよね。
何だか最近
頭の中が24時間
自作の長編小説でいっぱいで、
エッセイ系は支離滅裂ですね。
ヘイ、Siri!
※意味不明。
とにかく、
少しでも現場の雰囲気が
伝わったのなら嬉しいです。
コッシーさん、
ねずみさん、
すまスパご関係の全ての方々、
貴重な経験になりました。
まさかこんなに年月が経ってから
思い出す種を頂けるなんて、
光栄の極みです。
本当にありがとうございました。
聴いて頂ける方は、こちらからどうぞ↓
司会は溢れんばかりの知識量をお持ちの
コッシーさんですよ!
すまスパファミリーの皆様、
今回もお世話になりました🍀
尊い行いに感謝です!