0894.わたしたちは心のどこかで「上がり」を待っている
んん? なんだか身体がたるんってしてきたぞ? と、まじまじと鏡を見る。うん、確実に、たるんっとなっている。な、なぜだ。いい感じにやせて引き締まってきていたのに。
と思うも理由は明確で、筋トレと有酸素運動から遠ざかっているからなのだった。
わたしが生まれてはじめての「いい感じのからだつき」になりつつあったのって、勝因としてはこのあたりだったと思う。
このうちの「どれかひとつだけ」をやっていたときもそれなりに改善は見られたけれど、とにかく変化が早いな!と感じたのは、全部いっぺんにやっていたときだった。変化が早かったので油断した。「もう、わたしいい感じのからだつきになったんだ、イエーイ!上がり~」みたいな気分に勝手になっていた。
この、「イエーイ、上がり~」という気分ってあるよね。なにかを必死でやればやるほど、「いまがんばればやがてゴールがやってきて、そして上がれるんだ!」と思ってしまう。小さなころにやったすごろくのように、わたしたちは心のどこかで「上がり」を待っている。
でも「上がり」のその日は永遠にやってくることはなく、わたしたちは来る日も来る日も、命のつづく限り日々を営まなくてはならない。
365日しっかり歯を磨いたからといって、「上がり」になって、歯磨きから解放される日はこないように。
新婚時代の最初だけ「ありがとう」「愛してる」と伝えたからといって、関係性が「上がり」になって、あとはなにもせずに一生安泰とかにならないように。
3年間毎日noteを書いたからといって、「上がり」になって、ビジネスや集客の工夫や進化を手放せるわけではないように。
わたしたちは毎日、ずっと、自分の歯や身体の手入れをその営みの中で、無理なくていねいにやり続けながら生きていくし、大切なパートナーや家族には、毎日繰り返し「ありがとう」と「愛してる」を言葉で、態度で、行動で、伝えつづけながら真摯に関係性を保っていくし、いつか毎日noteが終わる日がきたとしても、その先もやっぱり「わたしはあなたと出会いたい」という気持ちを、ことばにしながら紡いでいくのだ。
そうしなくてはいけないんですか?
ずっとがまんしたり、がんばったり、しなきゃいけないんですか?
ということではなくて、がんばったりがまんしたりは、自分からよろこびを奪って恨みを生み出してしまうので、そうではないやり方を模索していこう。自分の胸に手をあてて、「どうしたい?」「どれくらいだったらできそう?」「どんなふうだったら楽しい?」と、瞬間瞬間、正直に問いかけて正直に答えながら、
日々の営みを生きること。の中に、すべてをちょうど良く入れていく。
ということが、求められているのだな、と思った(だれにって……そりゃあ、アレだろ? 「天に」、だろ?笑)。
というわけで、元来なまけもののわたしはすぐに「やっほーい。もう痩せたもんね、上がり上がりっとぉ」と、ポイポイっとせっかくの流れを放り出してしまうタチなんだけど、とはいえやっぱり「自分なりのいい感じのからだつき」というものが好きなので(なんせ初恋が『銀河鉄道999』のメーテルで、部屋にポスターを貼って毎晩「メーテルになれますように」って祈ってたんでw)、またせっせと筋トレと有酸素を「日々の営み」に追加して、メーテル道を歩んでいこうと心に誓ったのだった。
明日はウォーキング!か、プールいく!
たるんっ。(←おにくが揺れる音)
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