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ただやさしい気持ちだけがあふれて、ただやさしい言葉になっていたあの頃


16時台はじつは、ぽかっと時間が空いていることが多い。
だったらこの時間にnoteを書けば?と思うでしょう。わたしもそう思う。でもわたしは呪われていたのである。16時の呪いに。

なんて、そんなたいそうなものではないのだけど、数年前に北海道に行って「隠者さん」という方の不思議な鑑定を受けてきた際に、「16時から17時は忙しいですか? できればその時間帯は休んでくださいね」と言われたのだ。
仕事をして、子育てをしていれば(いやそうでなくとも)、16時は忙しい。毎日16時ってなにしてる?と聞かれたら、多くのひとは「えっ……バタバタしてる?」みたいな答えになると思う。

だから当時は「むりでしょうよ!」と思っていたが、心のどこかでは気にしていた。この時間帯にあまり忙しかったり集中したりしないほうがいいんだよな、と。
わたしにとって書く時間は楽しい時間でもあり、いちばん時間という感覚を忘れる時間であり、セットしたタイマーの音が聞こえないほどに過集中してしまう時間なのだ。

ふだんはなにをするときも音楽をかけているが、ものを書くときは無音じゃないと書けないし、だれかに話しかけられると身体中がばらばらになりそうなほどに不快になる。横断歩道をわたっていて、横からトラックに跳ね飛ばされるくらいの衝撃を、話しかけられると感じる。
つまりそれくらい集中しちゃっている行為なので、その隠者さんが「休んだ方がいい」といった時間帯に行うことは、ふさわしくないのではないかと、なんだかんだ気になっていたのだった。

けれども考え方を変えてみることにする。
たしかに書くことはわたしにある種の集中と、あるゾーンへの深水を強いるけれども、その集中と深水はわたしにとっての真の休息ともいえるんじゃないか、と。

なにかバタバタと労働をしているより、むつかしい夕方の時間帯にむりくりソファに横になるより、こうしてキーボードの上で指を滑らせているほうが、よっぽど「休んでいる」といえるんじゃないかな。

ということで、心のどこかにあった「16時台は使えない」という呪いにも似た思い込みを、せーので捨てることにしました。
みなさんにも捨てたい思い込みはありますか? ありますよね。わたしたち、思い込みで生きてるようなもんですもんね。
じゃあ捨てちゃいましょう、今から、せーので。

はい、せーの。


よし!ちょっとこれで様子を見てみたいと思います。



そこまでひと月、ひと月を正確に区切ってはいないものの、大まかな単位では「今月はこんな感じだったな」とか「12月はこんなふうにしてみようかな」と考えるくせがある。
それは子どもとの暮らしにおける半強制的なライフスタイルからくるものだったり(8月はとにかく遊ぶ。夏休みを楽しむ!とか)、ちょっと忙しい日々がつづいた翌月は、バランスを考えてペースを落とす、だったりと、要素はそのときどきで変わる。

11月は我ながらなんだか興味深い月で、「BE ME」(メールセッション)がスタートしてからは、お手紙という形式ではあるものの、無尽蔵に言葉をつづる日々がつづくかと思えば、先週の玉置浩二コンサートでのはっきりとした「ビジョンの刷新」体験があり(じつに5年ぶりにビジョンが変わったんです……)、あさってはこれまた数年ぶりに宮藤官九郎の「ウーマン・リブ」観劇があり、

自分はなにを言葉にしていくのか(書くにせよ話すにせよ)。
自分はなにを目にしていくのか。

の、質的変換みたいなものを求めているんだなあ、と思い至ったのです。

わたしたちは、常に「それら」でできている。
それら、というのは

なにを食べて
なにを飲んで
なにを着て
なにを読んで(どんな言葉を目にいれて)
なにを聴いて(どんな音や音楽を耳に入れて)
なにを目に写して
なにを、言葉として発するのか。

という全てのことを指すわけなんだけれども、これまで以上にそこを大切にしたい、という心境になっている。もう、100%、玉置浩二のせいなんだが!いや、おかげというべきか。

簡単にいえば、すべてをもっとやさしくしたいと思ったんだよね。

たまに「合わないなあ」とか利害関係で相対するひととかはそりゃあいるけれども、そのひとたちにも子ども時代というのがあって、やさしかった頃というのがあったと思う。
ただやさしいだけで生きていられた頃が。

初めてひらがなを習って、文字が書けるようになったとき、自分の名前を書いてみて、そのあとはなにを書いただろうか、と考えるときっと、「まま」「おかあさん」って書いたと思う。
そして、その頃は文章の種類に物語やエッセイがあるなんてことは知らずに、読書感想文なんかで評価されることも知らずに、生まれてはじめての長い文章はきっと、「おかあさん、だいすき」とか「おかあさんへ、いつもありがとう」とかって、ぐねぐねのへたくそな字で書いたのが、わたしが思う人類の、最初の文章だったと思うのだ。

ただ、やさしい気持ちだけがあふれて、ただ、やさしい言葉になっていたあの頃。

そういう「やさしさ」という心のふるさとみたいなところにもういっぺん帰って、そこから、なにを食べるのか。なにを読むのか。なにを見るのか(ニュースが見たいのか?とか)。
ひとつひとつそうっと選んで、選び直してみたいな、と思っている。

12月の大まかなテーマはそんな感じで、いつもわたしにはこんなふうに降りてきて、そして具体的なアクションやスケジュールとしては「毎日ヨガに通ってみよう」みたいな天の声に従うことにしているので、またそんな楽しい日々がつづれたらいいな、と思っている。


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