0941.誰だって、からだの動きには嘘をつけない
ベリーダンスの日。
ビデオ撮りの日なのに、2回ほど派手に振り付けをまちがえる。
でもなんというか、「おお、こんなに思いっきり派手にバーンと振り付けをまちがえるのは初めてだぞ!」と思った。
いつもはなるべくまちがえないように必死で、頭で考えながら踊っていたし、先生の動きを見ながらだったので「次なんだっけ」と忘れてワンテンポ遅れることはあっても、堂々とまちがえるということは起こらなかった。
気持ちよく踊っていたら、気持ちよくまちがえた、という感じ。それはそれでわたしには新鮮な体験で、そうか続けていればこんな日もくるんだな、とか思っていた。
ダンサーという職種のひとたちにとても興味がある。SEVENTEENは13人が13人ともほんとうに「ダンサー」という存在なので、そういう意味でも興味がある。
振り付けというものがあって、まちがえてはいけない。
でも、ずっと「次はこうで、その次はああで」と考えながら踊っていてもつまらないし、見ているほうもそうだろう。じゃあ、音楽に合わせて忘我の境地になればいいのかというと……それはそうかもしれないけれど、ちょっとその次元にはまだ遠いような気がする。
音と動きに集中しながら、どこかで次のシークエンスがわかっている、というのがいいのかな。でも、ある音の小節と小節のつながりは、もう自然に身体がその動きに導かれていく、という部分もごくわずかだけれどもあるわけなので、それが曲をとおして全体に広がっていくのがいいんだろうなあ。
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『乙嫁語り』の待望の新刊が出て、とうとうアゼルたちにも花嫁たちがやってくる、という展開になった。
けれども、草原の女たちは弱い男を相手にしないし、当然婿にもしない。
だから、花嫁候補の女たちと、アゼルたちとの”馬競べ(うまくらべ)”という、要は乗馬レースで勝負しよう、ということになったとき、それを聞いたアミルがぱあっと高揚した顔つきになったのだった。
と、強いまなざしで言い放って、カルルクは「そんなに……?」と心中でそっと思う、というシーンが、わたしはすごく印象に残っていて。
それはほんとうに、そうなんだろうな、と。
身体や動きは、嘘をつけないということが、(アミルほどではないにせよ)よくわかるなあと思ったのだ。そしてそんなことをいったらもう、踊りだって嘘はつけないし、文章だって嘘はつけない。
「え、文章は身体を使っていないよね?」と思うなかれ。
身体を椅子に座らせて、上肢を机の上に乗せて、下肢は地に置いたり組んだりしつつ、肩から先へと指先を使ってキーボードを叩いているのはまぎれもない身体だよ。
わたしたちは、身体なしではなにひとつできない。
今日、ちょっとだけいつもとちがう立ち位置で踊りながらみんなの踊りを見ていたら、うまいとか下手だとか、初心者だとかベテランだとかいうこと以前に、「踊りはそのひとそのものだな。踊りは嘘がつけないんだ」としみじみ思ったのだった。
そして、わたしはメンバーみんなの踊りを見て、そして鏡に映る自分の踊りを見て、「わたしの踊りは、わたしらしくて好きかもしれない」と初めて思えた。
自分の文章を、慣れ親しんだ文体を、心地よく何度も読み返してしまうのと同じように、いつかわたしは自分の踊りの動画を、なんとなく何度も眺めたりする日がくるのかもしれない。
今は、あまりの下手さに恐れをなして、まともに観られたためしがないんだけれど、それでも。
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