1000/1095.暗闇に生きて、太陽を生み出そう
シュタイナーの「冬至」。
わたしは知らなかったのだけれど、葦江祝里ちゃんの「冬至WS」のテキストに掲載されていて、胸を撃ち抜かれた。いろいろネットで調べてみたら、これが全文かな?という形で掲載されていたサイトがあったので、そのままお借りしました。
わたしたちは今、知覚はできなくても、星々の織りなす完璧に数学的で音楽的な営みにより、「陽がもっとも短く、そして夜がもっとも長い」という暦によって、生命のリズムを体験している。
わたしたちは、陽が上り陽が沈む、太陽のリズムの中で生命を得ている。
重力と同じで、知覚も体感もできないけれども、確実にわたしたちに作用している力というものが、この世にはある。そのことを知っているその力を、わたしは知性と呼びたい。
陰極まりて陽に転ずる、「真夜中に太陽を見出す力」というものがもっとも強く発動されるこのときに、「1000日目」という日を迎えられたことを、とても、とてもうれしく思っている。
うれしくって、どこか荘厳な気持ち……?笑
3年目の、1095日めまであと95日。
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読んでくださっているみなさま、ありがとうございます。
ねえ、ここはひとつ、わたしに賭けてみませんか?
「さめじまが、毎日note 1095日をやり遂げる」に、一口乗ってみませんか?
よくやらなかった?子どもの頃さ。
「あのゴミ箱に、うまくゴミが入ったら、今日はいいことが起こる!」とか。「あの踏切がそのまま開いてて、ぱっと渡れたらなにもかもがうまくいく」とか。自分でなぞの小さなギャンブル的チャレンジをして、そこに自分の「なにかいいこと」を委ねる、みたいなこと。
わたしは今でもたまに、やったりする。
こんな世界の片隅のブログに立ち寄ってくれる、ほんとうはとっても忙しい日々を送るあなたには、わたしは感謝しかない。ので、どうぞわたしに賭けてくれ。
「さめじまが1095日をやり遂げる」に賭けてみてよ。そうしたら、そうだな、きっとあなたも「なにかをやり遂げる」、かな。
「ちょっとだけ自分には重く感じるような、怖いような、けれどもいつかはやってみたいなにか」がきっとひとにはあって。
それを夢というのかもしれませんが、その夢をどうぞわたしにbetして。
わたしたち、1095日まで走ったら、その夢が叶う。という設定にしませんか? 講座でもない、ワークショップでもない、やり方はただ「いいよ、乗った」って決めるだけ。
それでもこの冬至の力を借りて、見えないところでわたしたちはつながり合うはずだから。
そうしたら、なんだかほんとうにその日までわたし、駆け抜けられるような気がします。1095日はわたしの夢だけど、君の夢も乗せていっちゃうぞお。
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