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依存と支配についての覚え書き

 田中小実昌、通称コミさんは、'70年代の終わり頃にテレビでちょくちょくお見かけしたのを覚えてはいるけれども、何を言っていたのかは忘れたし、独特のつるんとした風貌と、ぼそぼそしゃべっていた印象しか残っていない。
 多分、11PMみたいな、ちょっとお色気系の深夜番組だったのかもしれない。

 そんなコミさんが、東大の文学部哲学科を中退していたとは、2年ほど前にたまたま図書館で見かけて手に取った、「ほのぼの路線バスの旅」(中公文庫) から知った。
 この本に出会った事で、私はコミさんの世界に一気に引き込まれて、図書館にあるコミさんの蔵書を借りまくり、また、Amazonで本を買いまくることになる。

 コミさんの話は、主に日本が戦争に負けた直後の芝居小屋、ストリップ小屋の話と、戦時中、広島でキリスト教の牧師をしていたお父さんの話、自分が戦争に行った時の話や、哲学的考察。
 エッセイに書かれた家族のことや、出会った様々な人たちのことも、単なる日常的な描写に留まらず、深い洞察に満ちている。
 それゆえ読み終わった後に、しん、とした不思議な読後感が残る。
 
 「自動巻時計の一日」(河出文庫)は、読みながらこちらの考えを常に揺さぶってくるので、なかなか一気に読めなかった。
 少し読んでは考え込み、また少し読んでは立ち止まる。何気ないひとことが、深いのだ。
 「やはり、なにかハッキリさせたいものが、あるんだろうか?おれ自身にも、わからない。」で、始まるこの本は、「ともかく、朝起きたときからのことを、バカみたいに、ならべていってみ」た試みである。(「」内引用:自動巻時計の一日 河出文庫より)

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ここからは、コミさんの言葉で、私がひっかかっているもののリストみたいなものである。
あちこちに都度書き留めていたものを、並べてみたら、何か見えてくるものがあるかもしれないと思って。

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たぶん、ぼくは占領が好きなのだろう。他国による占領即悪いこと、というのは考えがあまいのではないか。いつも占領する側、ないしは主人でいる者が、占領されたら、みじめだし、腹もたつことばかりだろうが、ぼくみたいにかつて主人になったことがない者は、占領下のずるやすみや、たのしい被占領を考える。
 たとえば、ぼくは女房に占領されているが、もっとらくな占領下、いやでない被占領はないものかとおもう。そんな占領なんかはねかえし、きっぱり独立しろ、となにごとでもないように言う人がほとんどだけど、考えが甘いのだ。やれるものではない。
( 福武書店刊「ないものの存在」から、'言うということ' )

「…ぼくは、かなしいことに、根っから、はたらくことがきらいときてる。つらいおもいをして、わずかな金をかせぎ、それで、映画をみたり、パチンコをしたりしなきゃ、たのしくない」はたらくのが好きなやつらに、こんなことをいうときの高木さんは、まるっきりたのしそうだ。

「なまけ者ばっかりだったら、戦争もおこらない。戦争って、しんどいもんだからさ。とうてい、なまけ者には戦争はできない。戦争に負け、こんな、あわれなことになったのも、みんな、日本人が勤勉すぎたせいだ。ねえ、きみ、こりゃ、どうしても、革命が必要だよ。なまけもの革命さ。人類の永遠の平和をねがうならば、みんな、すべからく、なまけ者になるべきだ」


「人間に催眠術をかけるのは、かんたんだよ。物はむつかしいけどね」


「… ね、殺されちゃいけない。殺されちゃ損?おまえ、おまえ……ぜんぜん、わかってないんだな。殺されるのは、いけないことなんだよ。損や得はカンケイない。ー略ー おまえは、わるいやつだ。人殺しだよ。おれも殺した。だから、殺されちゃいけない。ー略ー いいか、わるいかの問題じゃないよ。殺されちゃだめだ。-略ー ゲームをするときだって、責任はある。責任は、おまえ、原因ってことなんだよ。生きてて、人間だろ?おれたちは、気がついたら、生きてて、人間だ。だから、おまえ、殺されないことは、おれたちの責任なんだよ。」


「東大かどこかでたのかしらないけど、まだ若いのに頭がよくて、しゃべることはうまいし、てんでずるいんです。ところが、個人的にあってみると、なかなか、その……りっぱな考えをもったひとで、きいてみると、選挙の時は、あたしたちとおんなじように、革新に投票している。映画や芝居の役者ならいいですよ。たとえば、悪役をもらったら、せいぜい、わるいやつにみせるように、努力するってのは、あたりまえのことでしょう。だけど、あたしたちは、役者じゃねえんだからね。そこんところが、あたしには、よくわからない。」


 心は、そのはたらくところにある。と大昔のひとがいった。心やさしい行為(それには、かならず、自分以外の対象がある)がなければ、やさしい心はないのか?理屈からいっても、心やさしくないことをしていて、心がやさしいとはいえまい。自分で、心やさしい人間のような気分でいるのも、とてもむつかしそうだ。ー略ー
ひとをおしのけ、ひとからふんだくるよりも、むりをせず、あたえるほうが、自分が心やさしい人間だとおもいやすい。


「わたし、心のやさしいひとなんて、きらいよ。そんなひと、きっと、他人にめいわくをかけるわ」

「やさしくて、親切で、チャーミングなんてひとは、男でも女でもないわ。わたしは、きらい」

「ふふ……ほんと、あのひとは、心がやさしいわ。あんたも、自分が心がやさしいとおもってるんじゃないの?あははは……」

( 以上 河出文庫 「自動巻時計の一日」より抜粋)

今日はここまで。




 
 


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