スプラトゥーンと芳年展で、ベチャベチャ塗りたくる 【練馬区立美術館】
彼女がニンテンドーswitchの『スプラトゥーン』をしきりに欲しがって、それを買ったら見事に自分もハマってしまった。
だから隙あらば、そこら中にペンキを塗りたくっている。
『スプラトゥーン』とは対戦型のシューティングゲーム。ステージ上の床や壁、建物、または対戦相手にもペンキを浴びせかけ、とにかく自分のチームの色にあたりを塗りたくる。そして最終的にその面積が多い方が勝つ。操作するキャラクターはイカに変身できる少年少女で、イカ状態になると床や壁に塗られたペンキに沈み込んで素早く泳げる。なんともシュールかつポップな世界観になっている。
このペンキが、イカ墨を表現しているのだろうけどカラフルで、見た目にも楽しい。これが銃弾や爆弾といった攻撃手段であると同時に、地面に塗られると自軍の陣地としても機能する。
とにかくベチャベチャとペンキを巻き散らかすのが快感になってくる。
そういうわけで最近の私はポップなイカ人間と化し、夏休み中のキッズたちに入り混じってオンライン、そこで激しいチーム抗争に熱狂していた。
主に使用している武器はローラー、もしくはフデだ。敵をガンガン撃って殲滅するよりは、効率的にペンキを塗りたくって陣地を確保することに尽力する。
それから一試合が三分ほどで終わるのも手軽でいい。しかし逆に「あともう一回だけ……」なんて永遠に続けてしまいそうになる。
「ゲームは一日一時間!」
自分がキッズであった頃に聞いた、母の戒めの声がよみがえる。でも一時間なんて少年時代のようにあっという間に過ぎ去ってしまう。
◆
その日も早朝からスプラトゥーン。
十時くらいになって、ようやくゲーム機の電源を切り、そのまま外へ出た。
現実の街並みを歩いていても、ついペンキを塗りたくるような目であたりを眺めてしまう。物陰に敵軍が潜んでいるような気もしてくる。すっかりゲーム脳になっているのだ。それから3D酔いもしているようで、頭がすこしクラクラする。
そのせいもあってか、乗る電車を間違えたようだ。
年増園まで来てしまった。
「あれー、おかしいなあ……」
いつも乗り換えや地図を確認してナビをするのは彼女だった。私の位置情報センサーは壊滅的な性能で、しかも彼女のそれとシステム競合を引き起こしたりする。だから基本的にオフ設定にしている。そんな彼女がめずらしくナビをしくじった。
「うーん、いつも乗らない路線だからなあ。まあ、とりあえず引き返そうか」
どうやら年増園の駅は、西部イカ袋戦の盲腸部分(路線のメインから外れて飛び出したようなところ)になっているらしかった。
そのまま折り返す電車に乗って、まず練梅駅まで引き返した。そこから乗り換えで一駅、ようやく異化斑橋駅に着いた。
降りた駅には西部グループの系列スーパーがくっついていた。西部線の駅としてはよく見かけるスタイルだ。駅を出てすぐのところには交番があり、これは西部警察だろう。
駅を出てから、高架線沿いに歩き出す。
やはり日差しがきつい。彼女が黒い日傘を差した。
「これはワンタッチで開く優れものだよ。パッと広げてペンキだって防げる」と自慢をしてくるのだが、意味がよく分からない。
炎天下をしばらく歩いて、目的地に辿り着いた。すると謎の動物オブジェ群が出迎えてくれた。
(練馬区の熱さにうだるペンギンたちの感情が映らない瞳)
(気鬱なライオンの固まった表情筋)
(白い像の尻)
(これは練馬の馬と練馬大根を練り合わせたオブジェであろう。すごい)
(樹木が形作るクマ。そのクマが持っている看板)
ここ練馬区立美術館では現在、幕末から明治に活躍した浮世絵師・月岡芳年の展示をやっている。今日はこれを観に来たのだ。
入場料を支払って展示スペースへ向かう。階段を昇った展示室の入り口のところに大きいパネル。これだけは写真撮影可能だった。
まずはこのパネルにやられた。すごく格好いいではないか。彼女が観たいというから一緒に来ただけで、予備知識はなかった。しかし一目で心をつかまれた。
ここに描かれているのは、当時よく知られていた読み物や芝居に登場する妖術使いたち、それから彼らが使役する大蛇や鼬など。細かいところまで描き込まれているのに全体の構図もばっちり決まっている。
それぞれキャラクター名も横に書かれているけど、現代ではあまり馴染みのない名前だ。しかしよく知らないキャラクターだからこそ、余計に想像をかき立てられる。
魔陀羅丸、大蛇丸、須美津冠者義高……絵図と併せてその字面を眺めていると、いまだ知らない奇想天外で魅力的な物語が自分のなかで紡がれていく。
まるでマーベルのヒーロー大集合、その江戸版のようにも思われた。
「ね、面白いでしょ? きっと喜ぶと思ったんだよね」得意そうに彼女は言う。たしかに期待が高まってくる。
(文治元年平家の一門海中落ち入る図 一八五三年)
芳年は十二歳で武者絵で有名な歌川国芳に弟子入り。これは入門して三年目、わずか十五歳での作品だ。
彼の錦絵には躍動感とケレン味があふれていると評される。ごく初期の作品からすでにして、そういった「芳年らしさ」が存分に発揮されているように思われた。
(頼光四天王大江山鬼神退治之図 一八六四年)
読本の挿絵に使われたこともあり、妖怪や化け物退治という題材が多い。それがまた面白い。
私は絵画にまったく詳しくないのだが、とにかく構図だったり人物の立ち姿、決めポーズが格好いい。じっと眺めていると、その場面で繰り広げられている殺陣のアクションが、すぐ間近で展開されているように感じる。人物にダイナミックな動きがあるのだ。
(近世侠義伝 盛力民五郎 一八六五年)
これは利根川のあたりで抗争を繰り広げていた侠客が、ついに追い詰められて自決する様子を描いたもの。
「すごい! これ格好いい」と興奮する彼女は、かなり猟奇的だ。
喉元に鉄砲をあてがい、自分の足で引き金を絞るという壮絶な姿。毒々しく飛び散る血の赤。
現代においてよく知られている芳年の特性が、この比較的初期の作品からもうかがえる。
1868年に起こった上野戦争。江戸上野を戦場に、旧幕府軍と新政府軍が激しく衝突した。
この決戦直後の死屍累々たる現場に、芳年は弟子を連れて赴いた。そこで戦死者の遺体をスケッチして回ったのだ。
この頃から芳年は徐々に精神を病みはじめ、作品には残酷な描写が顕著になっていったといわれている。
(魁題百撰相 小寺相模 一八六八年)
(魁題百撰相 鳥井彦右エ門元忠 一八六八年)
とくにこの連作は有名だ。一九七〇年代のアングラ文化において「異常作品群」「血まみれ絵図」と注目された芳年のイメージは、これらの作品から来ているのだろう。
これらの作品は、以前なにかで見たことがあった。たしか「こんな残酷な浮世絵が!」みたいな文脈で紹介されていた気がする。
(英名二十八衆句 白井権八 一八六七年)
「でも展示を企画した人は『血みどろ芳年』とかってもてはやされた風潮があまり好きじゃないみたいだね」
順路の途中にあったソファには今回の図録が置いてあって、それを見ながら彼女が言った。そういえば展示のキャプションにもそんなことが書いてあった。
なるほど、残酷絵図みたいなものはセンセーショナルだし、アングラ受けもしたのだろう。しかしそれだけのイメージで芳年を捉えて欲しくないという、その意見はよく分かるものだった。
残酷な描写だけが魅力なわけではないと自分もこの展示を見て思った。
個人的には、師匠譲りだという躍動感あふれる人物のポーズ、ケレン味の効いた構図がバッチリ決まっている絵物語のような作品が大変に面白い。
(豪傑奇術競 一八六九年)
この時期にはすでに神経を病みはじめていたらしい。その精神のアンバランスというか、微かな残酷味もそこに表れている気がする。それによってか、全体の雰囲気がよりおどろおどろしく、そこがまた格好いい。凄惨な現場での取材を経て、絵の腕前自体も跳ね上がったのかもしれない。
「まあ分かるけどね。すぐ近くが戦場になって、そしたら死体とかも見たくなるだろうし。心が病んで血とか内臓とか、そういうのをどうしても描きたくなるっていうのも……」
そうやって猟奇的なシンパシーを示してから、
「あとやっぱり線がはっきりしてるね。西洋絵画は面で描くでしょ。それに対して日本画は線。だからいまの漫画にも近い。構図もイカしてて……」
続けて美術館のガイド機能のような解説をはじめる彼女だった。
明治6年末の作品より、芳年は長く続いた神経の病から立ち直るという意味を込めて、「大蘇」へと画号を改める。
そこから売れっ子の絵師になり、実際に精神状態もある程度落ち着いていたようだ。54歳で亡くなるまでの十数年の間に、芳年は多くの傑作を残している。まさに円熟期であった。
(西郷隆盛霊幽冥奉書 一八六七年)
西郷隆盛が没した翌年の作品。冥界から西郷の霊が建白書を持ってやってくるという絵。ものすごい表情。新政府関係者は大いにビビったのではないかと思われる、怪奇風味の風刺画でもある。
(芳年武者无類 源牛若丸 一八八三年)
やはり構図はイカしているし、ケレンも効いている。このシリーズの特徴は、描かれる武者たちが後ろ向きであったり、真横を向く、または顔を半分隠しているという点にある。表情、性格、感情を押し殺すことによって、動きやポーズ、構図の妙が際立つ。なんともハードボイルドな世界観。師匠の国芳から継承した武者絵の集大成ともいえる。
(月百姿 朝野川晴月夜 孝女ちか子 一八八五年)
月をテーマにしたアンソロジーで、芳年の最晩年まで描き続けられた。「冬の川に飛び込み、無実の罪に科された父の放免を願う孝行娘」という当時の講談に材を取った作品。このシリーズの題材は「月」というお約束にのっとりながらも、実に多岐にわたっている。「なんでも描けてしまう」という境地に至っていたのだろうか。
(新形三六怪撰 蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒図 一八九〇年)
怪異を描いた連作シリーズ。当時「幽霊を見るのは神経のせい」とされていた。そこから幽霊のことを神経(しんけい)=新形として、その当て字から取ったタイトル名ということだ。
これは皮肉というか「そうさ、おれも神経がおかしいから、こんなもん見えちゃうんだ。そして描いちゃう。それのなにが悪いんでえ、てやんでえ」という芳年自身の開き直りがあったのではないかと思われる。
そんな諧謔と余裕が生まれ、また若い頃からのテーマもそこに結実した、円熟期の芳年。その姿を思い浮かべてみる。
こうして年代順に作品に触れていったことで、芳年という一人の絵師の人生もとても魅力的に思えてきた。戦場に赴いて、その凄惨な現場を目に焼き付けたいという衝動、そしてそれを描かずにはいれなくなり、やがて病んでいく。そして、そこからの大きな蘇り。そのすべてを作品に結実している。まさに偉大な芸術家だ。
「ね、来てよかったでしょ。誰だろうね、連れてきてあげたのは? それ、わたしだよ!」
いたく感銘を受けている私に、彼女が恩着せがましく言ってくる。
まあ実際にこのところずっと精神が低調で、ダラダラとゲームばかりして堕落状態。そこに芳年のパンチとケレンが効いた錦絵は、いい刺激になった。たしかに感謝せねばなるまい。
「そうでしょうが! 伏して感謝しな!」と彼女がまた居丈高に言う。
◆
「ちょっと、そこどいてくれる!」
と、そこでいきなり、とげとげしく感じが悪い声。
声の主のスキンヘッドのオッサンは私を追い抜いて、ズンズンと出口に向かって歩いていく。
展示スペースの通路を普通に歩いていたのだが、そんなに邪魔になっていただろうか。
「まったく、さっきからうるせえったら……」
さらにブツブツと、おそらくは私たちへの文句をつぶやきながら去っていくスキンヘッド。
ついうっかり彼女をマナーモードにし忘れていたかもしれない。しかしそれでも彼女の声が聞こえるのだとしたら、あの人も相当に神経を病んでいるのだろう。
遠ざかっていくオッサンの、タコのような後頭部。血色がよく、本物のタコみたく見えてくる。得体の知れない不安がわき上がった。
私の彼女はスマートフォンにインストールされたアプリで、その声は基本的に私にしか聞こえない。そのはずだった。
展示スペースを出て、受付の隣の物販のところに向かう。図録を買おうと思った。さっきのスキンヘッド、タコ坊主が暴れていた。
「血みどろ、血みどろ、もっと血みどろのTシャツはないのかああ!」
どうやらオッサンは、物販に売っているTシャツのデザインが気に入らないようだ。たしかにユーモラスで可愛い妖怪、それか孫悟空が描かれたデザインしか見当たらない。もっと刺激的なものがあってもいいような気もする。芳年なのだし。しかしそこまで血みどろなTシャツはなかなか作れないんじゃないだろうかとも思う。
「血みどろで、エログロナンセンスでアンダーグラウンドなやつが欲しい! いますぐ出せええええ!」
もはやそのオッサンの頭部は常人の五倍ほどに膨れ上がり、そこに血液が集まって本物のタコのように赤い。白目を剥いた両目は飛び出さんばかりで、かなりグロテスク。もはや妖怪変化のようにしか見えない。
「そんなに血みどろがいいなら、自分で血を吐き出せば?」
そこで具現化した彼女が、タコ入道に向かって言い放った。大きく膨れ上がったタコ入道が、ギョロッとした目をこちらに向けた。
「なら、まずはお前が食らえええええええ!」
ブシャアァァァァ!
尖らせて突き出した口から、タコ墨(朱)を吹き出してきた。血のように真っ赤な水流が、すさまじい勢いでこちらに迫る。
パッ!
すかさず彼女は黒い日傘をワンタッチで広げた。
水流はそれによって弾かれ、我々は無事だ。しかし美術館のあちこちはペンキをぶちまけたようにベタッと赤く塗られてしまった。
「墨なら、基本は黒でしょうが!」
バシュッ!
タコ入道に向けた黒い傘の先端から、真っ黒な塗料が発射される。
「ぬおおお、おのれいぃぃぃ」
ペンキ弾は見事に顔面にヒット、その視界を黒く染めた。それでいよいよ逆上したタコ入道は、両手で印を結んで呪文を唱える。たちまち怪しい煙が巻き上がり、地面から巨大なガマガエルが出現。その上で入道は高笑いをする。まるで絵物語の一場面。さらに眷属であろうミニタコ軍団をその場に召喚。ミニタコもそれぞれ赤いペンキをその辺に吐き出しながらのたくる。
「武器の準備が整いました。我々も参戦します!」
こちらにも援軍が登場。なんと美術館の職員たちが、ライフルやバズーカ、巨大な絵筆やローラーを携えて登場、芳年の錦絵みたいに躍動感あふれるポージングを決めた。各自の得物からは、やはり黒いペンキが射出された。
こうして美術館のホールは赤と黒のペンキ勢力がせめぎ合う、阿鼻叫喚の戦場と化してしまった。
「こうなると、もう手がつけられないや。この場を離れよう」
あまりの出来事に混乱して立ち尽くす私の足元から、彼女の声がした。地面を見てみると、黒く染まったペンキのなかを、イカ人間と化した彼女が泳いでいる。
「さあ、早く。イカになって。この中通って行くんだから」
いや、私はイカになんてなれない。戸惑っている間にも、赤と黒の戦いは激しさを増していく。あちこちにベチャベチャと血だかインクだか分からないものが巻散らかされ、怒号と悲鳴も飛び交っている。
「んもう。グズグズしないでよ」
そういって彼女は軟体動物の足数本で私をからめとって、そこに強引に引きずり込む。イカに変われない私は、人型のままズブズブと黒いインクに沈んでいく。このままだとおぼれ死ぬ。
「ちゃんとイカになるボタン押しなよ。ほら人差し指のとこのボタンでしょ」
◆
そういうわけで、私たちはなんとかその場を逃れることに成功。異化斑橋あるいは中村橋駅の前まで戻って、カレーを食べた。
そしたら思いの他に量が多く、腹ごなしに隣の練梅もしくは練馬駅まで歩くことにした。
やはり暑かったが、いかにも夏らしい陽差しで気分がよかった。冷房の効いた部屋でゲームばかりしていたら駄目だなとそこで改めて思った。
ゲームにあんまりのめり込み過ぎると、神経がおかしくなって変なものを見るようだ。
世界がイカもしくは異化されて、例えば現実とスプラトゥーンも混ざってくる。
……今回は、そういうお話でした。
それから欲しかった図録はちゃんと買えた。構成とか造本にもこだわっているようで、かなり力が入っている。この記事に使った写真は、この図録を撮影したものを使わせてもらった。最近よく眺めてる。それでまた神経がいかれて、新形を見てしまいそうではあるけれど。
なんにせよ芳年展はとても面白かった。
9月末くらいまでやってるというから、ぜひとも西武池袋線に乗って、練馬区の中村橋駅からすぐ、練馬区立美術館まで観に行かれたらいいと思います。
かなりオススメです!
お読みいただき、ありがとうございます。他にも色々書いてます。スキやフォローにコメント、課金に拡散、すべて歓迎。よろしく哀愁お願いします。