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もう1つの虎に翼~寅子と優未の物語~子供に謝りたい夜、全ての母親へ

みなさん、こんにちは。
kasumingです。
『虎に翼』(NHK2024年前期の朝の連続テレビ小説)が9月27日をもって終了しましたね。

いろいろな切り口のあるドラマでしたが、私は「母子関係」に注視していました。
この記事には、心理職の立場から、また子育てが終わった立場からそのあたりを書いてみようと思います。


結論

ワーママは、いやワーママでなくとも、子供に時間をかけられていないことに申し訳ないなんて1ミリも思わなくていい。

1 はじめに 

 子育て中の皆様、仕事をしている、していないに関わらず、いつも時間に追われていること、十分に関わってあげられていない、と自分を責めてしまったことはありませんか?
 うちの子供達はもうすでに自立しておりますが、御多分に洩れず、子育て中はいろいろありました~。
 いろいろな問題が起こるたびに、
「私がしっかり見てやれてないからだ」
と、いつも仕事を優先させている自分の関わり方を反省したり、
「なんで、私ばっかり!仕事は私だって同じようにしているんだから、夫も同じように子育てに関わってほしい」
と、時には爆発した後、
「ごめんね、もっと夫や子供を最優先させてくれるような女性と結婚したら、夫も幸せだったろうに。」
と、激しく落ち込んだりして。
あれから、2,30年経っていますけれど、働くママのこうしたモヤモヤは今もあまり変わっていないようですね。

2 働くママの罪悪感

日本経済新聞2022年3月15日の電子版によると、
「家事や子育てと仕事を両立するうえで 、子どもや夫、周囲に対して『罪悪感』を感じることはありますか」との問いに、「いつも感じる」または「時々感じる」と答えた人が68%と7割近くに達した、調査結果がありました。

3 寅子と優未の物語

 「虎に翼」は、女性初の裁判官誕生の物語だったり、人権問題提起だったり、様々な角度から寅子を中心に描かれた物語だけど、私自身は密かに母「寅子」と娘「優未」の母子関係の結末を注視しておりました。

 寅子は女性初の裁判所所長となり、自己実現した人。
いわば「何者か」なった人。優未の育児は、周囲の力を借りることとなる。
子供は「母親」が育てるもの、という意識が当たり前だった当時、社会の第一線で道を切り拓く寅子には、いつもゆみに母親として十分なことをしてやれているだろうか、という迷いがあったのではないかと思う。

 それが128話(最終回の2回前)の寅子の優未に対する言葉に現れている。寅子は、大学院を辞めてしまい家事手伝い等をしている優未に対して「優未はゆみ自身の人生を失敗だと思っているんじゃないか」と心配し、「失敗なんかじゃない」と強く否定する。そしてあろうことか、それは「母親である私の育て方が悪かった、だからあなたの失敗なんかじゃない」と。

 何者かになった母・寅子。
 寅子には、優未が何かを見つけられていない、何者にもなっていないように見えたのでしょう。自分の歩んできた人生とは違う生き方を歩んでいる優未が、「人生失敗だったと思っている」前提で放った言葉。

 私にも子供達に対して、そんな気持ちがどこかにずっとありました。
寅子と時代は違うし、キャリアも足元にも及ばないけれど、私も男性社会で男と肩を並べて仕事をする中で、子供に十分なことをしたと思ったことは一度もなく、自分とは違う選択(選択すらしない、動くこともしない)をした子供たちにもやもやしたことも1度や2度ではありませんでした。
 128話はここで終わり、続く129話では、優未が寅子に、それは違う、ということをはっきりと伝えます。以下、優未のセリフ。

「お母さんは私の選択を応援するって言っておいて、やっぱり娘がまっとうじゃない、子育てを失敗したって後悔してるってこと?」
「私ね。寄生虫の研究も好き。家のことも料理も好き。読書も好きだし麻雀も好き。着付けもお茶も、刺繍も好き。笹竹で働く時間も好きだし、あといる時間も1人でいる時間もお母さんといる時間が好き。」
「好きなこととやりたいことがたくさんある。だから、つまりね、この先私は何だってなれるんだよ。それって最高の人生でしょ?最高に育ててもらったって思ってるから。だから、私のことは心配ご無用です。」

↓NHK「虎に翼」129話。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024092634179?cid=jp-LG372WKPVV

 この優未のセリフを聞いて私の涙腺が一気に崩壊しました。人よりも時間がかかったけれど、好きな道を見つけてようやく歩き出すことができた娘の姿と重なってしまったのです。

 寅子はいつも子供と一緒にいてやることは出来なかった。
 けれど、優未はたくさんの人の中でたくさんの人の温かさや価値観の中で豊かに育ったのです。
 優未は優未で、子供の頃は勉強が嫌いで母が喜ぶようにテストの点数を改ざんしたこともあったし、「先が見えない」と大学院も辞めてしまい、母がそんな自分のことを気に病んでいるのだと気がついて苦しんでもいたんだろう。
 母と娘の静かな葛藤の伏線回収は、いつかなぁと思っていた最終話。
 通りがかりの女性(かつて寅子と縁のあった女性の娘)に「差し出がましいようだけど」と切り出し、「たしか雇用主は解雇を30日以上前に通告しなければならない。あなたの権利だから大切にして」というようなことを伝えるシーンがありました。そして優未は「私の中に「母」が生涯捧げてきた「法」がある、母がそばに居る」と感じたシーン。
 前出の日経記事に見られるように、相変わらず日本では「母親」を優先するべきだという空気に、罪悪感を覚える母親が少なくないんだけど、でも、そんな風に思わなくても、いや思う必要は全くないんんだ、と、この最終話からのメッセージを受けとりました。
 「あなたがずっとそばにいなくても、愛情があれば、子供は育つ」

4 「ごめんね」と言われ続けて育った子は自分を「かわいそうな子」と自己イメージを持つ

 私は昔、仕事と育児家事の両立がしんどくて、保育園の園長先生に弱音を吐いたことがありました。園長先生は十分に気持ちを受け止めてくれた後、
子供に「いつも見てやれなくてごめんね。」とか「○○できなくてごめんね。」「辛い思いをさせてごめんね。」と絶対に言ってはいけないよ、と言われました。そうすると、子供は自分を「かわいそうな子」と思うようになるから」と。母が働いていて、ぼくは可哀そうなんだ、私はつらいんだという気持ちになってしまうのだと。そして、可愛そうアピールをするようになる、困難なことがあると簡単に他責思考に走る人間になってしまうよ、と。
 その後、「お母さんは、世の中が少しでも良くなるように頑張っているんだ、と胸を張ってよね。」と肩をポンと叩かれた。

 園長先生の言葉は、科学的な根拠はないのかもしれないけれど、その道何十年の経験から出た言葉なんだと思い、なんだか目からウロコが落ちたような気持になったことを覚えています。

5 おわりに

 子育て中のママには、「忙しくて十分にしてやれない」ことで子供に申し分けない気持ちをいだいて欲しくないです。
 子育てだって多くの人は初めてだし、あっても2回、3回です。仕事をしている、していないにかかわらず、初めてのことに対して、一生懸命にやっているそのことを自身に胸をはって欲しいなぁと思います。

 『虎に翼』ではなく『寅子と優未の物語』として、私は
「大丈夫だよ、子供は周りの大人の中で育っていくものだよ。」
「母の大切にしてきたことは何らかの形で子の心の中に残っているものだよ。」
というメッセージを受け取ったし、順風満帆な子育て期ではなかったけれど、子育てを終えてみて、やっぱりそうだよね、と思います。
 母は自分の人生を生きる。
 子も自分の人生を生きる。
 でも一緒にいる時は、めっちゃ楽しむ。
 
親子は距離が近いがゆえに、見失いがちなこの「当たり前のこと」。
それに尽きるよね。
 最後まで、読んでくださり、ありがとうございました。



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