②禅寺の修行とはどんなことを
記事・写真 深瀬隆治
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はじめに
挾間町のとある禅寺で和尚の人生を聴いていく話。
前回その①では和尚のこども時代は家族の影響を受けてきた様子や住職という仕事のことを聴けた。引き出しはまだ多そうだけれども、まあ先に進もう。今回は修行時代のことを聞いていく。修行って何をするんでしょうね。手足に重りをつけて重力10倍の部屋ですごす修行なら知っていますがそんなわけはない。ではどうぞ。
修行時代のこと
簡単に口に出してはいけないかなと思っています。
隆治 修業時代のことも教えてもらっていいですか。こんなことをしましたよとか。
浄 あー、私短かったので語ると怒られます。
編集長 期間で短いとかあるんですか。
浄 あります。長い方は10年でも20年でも。
隆治 えっ、そうなんですか。
編集長 それはどういう基準で決まるんですか。自分のお寺に帰らないとか、そういう理由は。
浄 中には「仕上がる」という表現をされる方がいますが、仕上がるまで、上にのぼりつめるまでずっとおられる方もいます。
編集長 仕上がる。
浄 そうですね。突き詰めてのぼりつめた先が老子といわれる上の世界の方、悟りを開いた方といわれます。
編集長 ふーむ。
浄 悟りという言葉も、我々が簡単に口にしていい言葉ではないと思っていて、わからない世界のことなので、私は簡単に口に出してはいけないかなと思っています。
隆治 そうですか。ではそこは深く聞くのやめておきましょうか。
やらされる仕事っていうのは楽なんだなということです。
浄 わからない世界なので。よく死後の世界どうなのかとか聞かれるんですけども、私死んだこともないし行ったこともないのでわからない、というのと同じで。
隆治 たしかにー。
浄 亡くなったあとの世界のことをぺらべらとしゃべってしまうのは、私からしたら亡くなった方に対する冒涜じゃないですけども、お坊さんではない人がお坊さんのことを語りだしたら、お坊さんじゃないじゃんとなるのと同じことかなと思っているんですよね。
編集長 修行というのは何をもって修行になるんですか。
浄 決められた場所があって、お寺は専門道場といって、専門の道場があります。
編集長 ちなみにどちらまで行かれたんですか。
浄 私は金池の万寿寺です。
編集長 同じように修行中の方が何人かいらっしゃったんですか。
浄 私が入ったときは17人。
隆治 あ結構いる。
浄 出るときは7人。
編集長 挫折される方とかも。
浄 います。あとは私と同じようにお寺に帰る方も。
編集長 すごく厳しそうなイメージがありますけども、どのようなことを修行は。
浄 朝起きてお経あげて座禅してご飯いただいて掃除して、その繰り返しです。それだけです。決められた時間に起きて決められた時間にお経をあげて決められた時間にご飯をいただいて決められた時間に掃除をして休む時間をいただいて。それを繰り返すわけです。
編集長 その時の心境ってどういう感じだったですか。
浄 立場によって変わりました。短い時間ですけどもだんだんあがっていくわけで。責任を伴っていくほど、言葉悪くいえば面倒くさくなりますよね。
隆治 ん?
浄 やらされる仕事っていうのは楽なんだなということです。
編集長 あー確かに。
自由の女神はstatue of libertyですよね。
浄 何も考える必要がない、責任を伴わないのは楽です。修行道場の上の方から「お前らは自由なんだから」とよく言われました。決められたことを決められた時間にこなして何が自由なんだと思うのが一般的な考えかもしれませんが、そうではなくて責任を伴わないことが一番の自由なんだということを上の方から言われましたね。
隆治 同じことをしていてもとらえ方で変わってくるということですかね。
浄 好き放題すること、好きな時間に起きて好きなものを食べ好きな事をするのが我々一般人ですが、上の方からすると、それも自由だがそれは無責任な自由だと。管理されたものの中で管理された時間の中でその中ではじめて自由を感じることができるのだと。ちょっと難しいことを教わりました。
隆治 むむむ。
浄 私住職させてもらっていますが、父親が存命だったら私は自由だったと思うんですよね。全部責任は父親にかかりますから。私がミスをしたところで怒られるのは最終的に父親です。その中で言われたことだけやっておけばあとは好きな事ができる。これはある意味自由だと。
隆治 秩序の中の自由と無秩序の中の自由みたいな感じですかね。同じ自由という言葉でも意味が違うと。
浄 そうですね。修行道場の方から言わせると無秩序の中の自由は本当の自由ではないんだといいますね。
隆治 無秩序の中の自由同士がぶつかり合うということも出てくるし、お互いに不自由になるということがあるかもしれませんね。
浄 そう。
隆治 英語でいうとfreedomとlibertyの違い見たいな感じでしょうか。
浄 そうそう。我々多くの現代人が求めている方はfreedomの方じゃないですか。でも自由の女神はstatue of libertyですよね。
隆治 確かに。規律というか自分で勝ち取る自由ということみたいですね。
雲水さんだからしょうがないよね、とか。
浄 正直わかりませんでした。外に出て、海外に行って、住職させてもらってやっとわかったわけなので。
隆治 修業中その場ではわからなかったけれども外にでてその時のことを眺めなおして気が付いたということですね。
浄 そのとおりです。例えば失敗して、修行道場の時にはその場で言われて終わりです。外で働かせてもらって失敗したことはずーっと言われ続けるんですよね。お前あの時あんなことしたな。みたいに。そういったことが積み重なっていって、あーあの時言われた自由ってそういうことだったのか、と気づいた。守られていたんだなって。
隆治 目に見えないなにか大きなものに包まれていた状態だったんですかね。
浄 万寿寺さんだからいいよな。雲水は修行僧のことですけども、雲水さんだからしょうがないよね、とか。それで片づけられていたものが全くそうはならなくなった。大きな違いでした。
隆治 うーん。なんだか深い話ですね。
浄 すみません。こんなこと語ってしまって。
隆治 いやすごく勉強になりました。
修業時代より前のことは
畑違いの仕事をなんでもいいからしてみたいということ、
隆治 住職になる前にこんなことをやりたかったとか、将来こうなりたかったのにとかはありますか。
浄 ないです。
編集長 えーっ、もう一直線ですか。
浄 一直線というか学生の時にやりたいことをやらせてもらったので。大学行って大学院までいかせてもらってますから。
編集長 専攻とかはなんだったんですか。
浄 役に立ってないですけど情報工学です。数学嫌いなんですけど。パソコンの関係ですかね。なんとなくで行かせてもらって両親には迷惑をかけたんですけども、ありがたいことにそういう風にさせてもらって。なのでやりたいことをやらせてもらったということですね。
隆治 オーストラリアとニュージーランドに行っていますよね。それはやりたいことと何かつながってたりするんですか。
浄 いやいや、ただ漠然と行けたらいいなです。畑違いの仕事をなんでもいいからしてみたいということ、英語を話せたらいいなという。
編集長 大学院を卒業されて修行に行かれてからワーホリですか。
浄 そうです。
編集長 そのあとはお寺に戻ってくると。
浄 はい。
編集長 迷いとかはなかったですか。こっちの仕事もいいなあとか。
浄 仕事に対する迷いはなかったです。厳密にいえばニュージーランドに行かせてもらったときはクールダウンの時期でした。オーストラリアに行ったときはあまりにもいい生活をしすぎたせいで戻ってきたらいろんな意味で窮屈に感じることがあって、ちょっと現実に戻らないといけないと思って、3か月もらってクールダウンしてきました。
それは絶対返さなきゃいけないという思いが根底にはありましたね。
編集長 いい生活というのが気になりましたが、どんなでしたか。
浄 そうですね。お寺にいると定休日というのがないんです。それがあったというのが大きいです。
隆治 あーそうか。
浄 お二人(編集長と隆治を指して)もそうだと思うんですが。農業とかお店とか個人事業主は同じような形だと思うんですが。サラリーマンとなると定休日がありますよね。
隆治 うーん確かに。仕事のオンとオフをはっきりさせたいと思いはするものの、ダラダラ無制限に仕事している状態に自分はなっています。
浄 当時はバナナの農園で働いていまして朝6時から仕事で、きちんと汗を流し、8時間労働したらそこで終わり。あとは自由で休日もある。週末はいつもみんなでお酒飲んで。かなりいい生活です。
隆治 いい暮らしだ。
浄 もちろん住職の仕事もとてもありがたいと思っています。食いはぐれないわけですから。
編集長 開放的な暮らしから戻ってこれないような人もいると思うんです。前の話の自由でいうと開放的な自由のある暮らしから、規律のある自由の暮らしへ戻ってくることができたというのは、何かしっかりしたものがあったのではないかと思うんですが。なんだったと思いますか。
浄 私はここお寺で育ててもらったという恩があったので、それは絶対返さなきゃいけないという思いが根底にはありましたね。なので絶対に戻ってくると思っていました。生活のギャップは大きかったので、このままでは私はダメになるなとは思いました。きちんと戻ってくるために3か月のニュージーランドに行く期間をもらえたおかげですね。
編集長 緩衝の期間は必要ですよね。
隆治 この先住職としてこんなことをしてみたいとかは何かありますか。
浄 特には。
隆治 ないですか。
浄 私の中ではお寺をつぶさなければ。次に次にと。いろんな次にがあると思うんですが、お寺をなくさない状態で継続出来たら、私の役目は終えるかなと。
隆治 そうですか。
次回に続く…
次回予告
第2話 9/14(土) 19時頃予定
決められた時間に決められたことをする。繰り返す。修行はそれがすべて。シンプルな表現だったのでかえって力強い言葉でした。
さて、今後のやりたいことを聞いて特にないと返されてしまった編集長と私。これでおしまいなわけありません。聞き方を変えれば、あらでてくるではありませんか。続きは次回その3へ。
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プロフィール
松林宗浄(まつばやし そうじょう)
1985/5/8生まれ 大分県出身大学卒業後数年の修行の後、
2017年から由布市にある禅宗寺院の住職となる。
Magazine Crew
文・写真
深瀬 隆治(ふかせ りゅうじ)
「農園てとて」農場長。年間100種類ほどの野菜を栽培し、野菜セットとしてお届けする妻を見守り援護すること25年。
快適農的ヒモ生活を目指しつつ自給ちょいプラスのお米作りも嗜む。
好きなことは山登り、ギター、甘いものと酒。最近は猫をめでることを覚えた。
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