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⑤原点に戻れる自分でありなさい
記事・写真 三浦順子
はじめに
杵築市山香町にあるカテリーナの舞台で「表現する人たち」が語り合うこの連載。前回4は、表現活動の目的地について激論を交わしました。「一つひとつの表現を突き詰めた先に、果たして何があるのか。大事なことはもっと全体的で、形も構わないもの」…みなさんのお話は決してひとことでまとめることはできませんが、あえて言わせていただくなら「濃い!!」。濃厚な内容なのにすうっと入ってくるのは、お三方が実際に自分で取り組んでいることを話しているからじゃないかな…。さてさて、第5回となる今回は、現代の人の多くが忘れてしまった「感覚の世界」のお話。言葉にならない世界が大事なんです。でも、どうやったらそこと繋がることができるのか…。未來さんの父・コウハクさんがその問いに対するヒントを遺してくれていました。
内容Ep.1. Ep.2 Ep.3 Ep.4 は ↓から
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びっくりするようなことが起こる
木村:自閉症の人たちって言葉がないから、何を持っているのか、何を感じているのかというのは、外から見てるだけだと結局わかんないんですよね。定型発達した人たちに絵で関わってるぶんには、その人たちの方向性に沿った流れでやっていけば、自然に何か生み出されてくるじゃない。でも(自閉症の人たちと関わっていると)このままにしといていいのかな…って悩む場面に、けっこう出くわすんです。同じ絵をもう半年も繰り返し描いてるとか。一生単純なシロクマしか描かないんじゃないか、みたいなね。本人だけだとその回路に入り込んじゃうと出てこれない。だから職員の人たちは少し(関心を)逸らしたり、いろいろと工夫して、何とかしてあげようって。…その何とかしてあげようとするのが本当にいいことなのかっていうのもわかんないでしょ。
ドナ・ウィリアムスの「自閉症という体験」(※1)という本を読んで、僕は衝撃だった。ドナさんは感覚システムと解釈システムっていう言葉を使うんですよ。感覚システムっていうのは生後まもなく働いていて、だいたい3歳ぐらいまでの間に解釈システムに移行する。子どもたちは言葉の領域に入って身体をしっかりして、自他を分別して、自我を設定して、ってやって。それって社会で生きていくために絶対に必要なこと。ところが自閉症の人たちはその領域へ入ってくことをどうも半ば拒絶してる人たちなんだというんです。(彼らがいるところは)身体に拘束されない世界。それはすごく自由な世界だから。で、その頃に感覚システムというものが働いている。例えば楽譜を使うと、空で聞いたものをぱっと再現するってできなくなってくるでしょう?
未來:うん
木村:(楽譜を使わない)最初の状態でたぶん感覚システムが働いている。なんでできるの?って尋ねると「いや、できるんだよ」って(耳コピできる人は言う)。感覚システムのところから直接解釈システムを働かせて何かができるようになると、びっくりするようなことが起こる。さっきの、岩崎さんの花の絵にもそんな要素がある。サヴァンって言われるようなね。
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-サヴァン症候群…(※2)
木村:誰かに何かを教わったわけでもなく、いきなり「私、彫刻作れるんです」とか。大作の曲が書けますとか。そういうところを、自閉症の人だけじゃなくて実はみんなが通ってる。だいたい0歳から数カ月の間はその状態が続いている。(編集長が)さっき「魂」とおっしゃったけど、たぶん魂の領域と接触していた時期。言葉の世界に入ると、そこと断ち切られちゃうっていうんです。
僕でいうと、明石にいた時期が感覚システムにあたる。東京へ越してきた途端に解釈システムの方へ移行し始めたんだと思うんですよ。その前の記憶はすぱっとない。おそらくそこで相当大きな断絶があった。解釈システムの側に来た人間は、本当はこっち(感覚システムの領域)を思い出さなきゃいけないんですよ。だけど、解釈システムの世界で社会生活はできるから、思い出さないし、戻らない。だから、肝心かなめの価値観に触れることができなくなって「何のために絵を描いてるんですか」って尋ねたら「金のためです」って
未來:うーん…
木村:いや、もっと違うものがあるでしょう?って訊くとそれはわかんない。「エビデンス出してください」って
(一同笑う)
木村:「魂ってあるんですか」「形にしてください」…でも、言葉にならないんですよ。(エビデンスを出してください、っていう人たちは)「言葉にならないけど、ないとは言えない」っていう考えには至らない。自閉症の人たちの絵がなんであんなにもてはやされたのか。ちょっと僕は違和感があるけど…、自閉症の人たちの絵に感覚システムの名残が、かろうじて残ってるんですよね。
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本来の自分にアクセスする
木村:ヘンリー・ムーアの赤ん坊の彫刻があるんですよね(※3)。石彫でね。お母さんが抱いてるんですよ。赤ん坊ってのはたぶん感覚システムが働いている頃で、自分と母親を別個の存在と考えていない。母親から見たら別人格だけど、赤ん坊の視点から見ると母親と自分は別ではなく、自分とこの辺(周囲)も別々のものと感じていない。まず、自分っていう感覚がないでしょうね。で、時間の感覚が流れ始めるのは生後数カ月ぐらいかららしいんです。だから赤ん坊が母親に抱かれているとき、自他の別がなくて、時間も流れていない。
数学者の岡潔さんが小林秀雄さんと対談しているもの(※4)を読んだんですけどね。岡さん曰く、赤ん坊のそれは仏教の言葉で言うと「涅槃」っていうんですよ。涅槃って、お釈迦さまの悟りの境地でしょう。人間の心の理想みたいな境地です。赤ん坊なんか何も表現しないでしょう。でも涅槃の状態にある。表現を突き詰めて構築するというのは言葉の世界だと思うんです。構築の果てに、そこ(涅槃)に触れるっていうことではない。元にあるんですよ。誰でも触れていたはずで、忘れちゃってる。忘れたことを思い出さなきゃいけないっていうのは全ての人にとっての課題だと思う。未來くんだったら楽器作りをとことんやることとか、安藤さんだったら絵を描くことの中で、あるいはそこに触れる機会があるのかもしれない。
何かができるとき、形にするために技術を使うことは必要だけど、元のところがある。構築の果てに元のところが来るんじゃなくて、感覚のほうから立ち上がるもの。それに必然性があれば意味のある形として現れて、見る人の誰にでも伝わるものだと思う。「非常に高度に作り上げられているけれども、この感じはちょっと違うよね」と感じられるものは、たぶんここで(感覚の領域への回路が)切れちゃってる。
編集長:感覚システムのほうに繋げる作業っていうのがアートなのかなって思うんですけど、どうですか。
未來:僕は、本来の自分というのが木村さんの言う感覚システムの部分なのかなと思ってる。自分がこういうことをしてるときが一番楽しいとか、何かを天職だなって思えたとか、そういう感覚に近いのかなって思うんです。そこに時々アクセスできれば、自分がどういうものをチョイスして生きていこうか、というところに繋がることができる気がする。言葉があることによって「なぜ今の仕事を始めたんですか」っていう問いに対して説明しないといけない状況になってくる。だけど、説明することが難しい。こういうふうに言おうかなとか、あの影響があるなとかいって、点を繋げていく作業が起きてくる。けど、それはもしかしたら後付けかもしれない。それより前に感覚的に「うわ、これ楽しい」とか、やっててやりがいがあるとかっていうものを、もうちょっと感覚的に掴んでるところがあると思うんですよね。(木村さんの)今の話は、そこに至る必要があるとも言ってるんじゃないかなと思いました。そうすれば、人がなぜ生きてるのかとか、どういう役割があるのかとか、魂とか…そういう問いの根元が全て繋がる感じがする。
選択は常に迫られていた
未来:僕も、父親がやってきたことを自分が続けてることへの疑問っていうのがずっとあって。自分は安易にここを選んだんじゃないだろうかとか、悩む時期もあったはあったんです。5年ぐらい前から完全に1人になるという状況の中から、改めて、カテリーナっていうものをやめてもいいんじゃないかって思うこともあったし。だけど、なんで続けられるんだろうなって。続けられる原動力。それって意外とはっきりわからないところにある。「いや、まあ好きだからですかね」っていう抽象的な話とか、それ(カテリーナを)を求めてくる人がいるから…とかいうのは、一つの意味づけに過ぎなくて、本来の意味合いはすごくわかんない。前世が視える人と、なんかまあいろいろ話したりすると…
(一同ザワザワする)
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安藤:視てもらったのー?
未來:視てもらったわけじゃないすけど、コウハクが亡くなったぐらいのとき、たまたま行ったところに視える人がいて。「父親との関係が前世も一緒だ」みたいなことを言われて。工房が視えるとか言って。木が生えてる工房で、半分外みたいな感じのところで…と。その人は、父親のことを知らないのにそんな話になって。…その人も言ってたのが「あなたは楽器を作っていることに対して、自分が決めたと思ってるでしょ」って。僕は「まあ、決めてきましたからね」みたいな感じで答えたんです。けど「そうじゃなくって、これはもう決められてるんですよ」って。
安藤:そういうのもあるでしょうね
未來:うん。あるんだろうなっていうのは思った。いろいろ考えてた時期だったから、腑に落ちたところもあって。求めてその人に会ったわけじゃなかったんだけど、とてもいい機会でした。自分がしていることについて説明をつけようと思えば、いくらでも後でつけられる。でも、説明がつかない感覚の中で、(すでに)決められてるとかチョイスしてるんじゃないかなってすごく感じています。よくうちでは「自分らしくいなさい」と言われていたんです。子どもの頃の屈託ない笑いとか、原点に戻ることができる自分でありなさいっていうことをずっと。社会とか、人との関わりの中で無理をしたりとか、いろいろあるじゃないですか。そういう中で壁を作ったり、自分を保って生きていくこともある。だけど、それを全部とっぱらったときの自分、たぶん幼少期まで戻ってみるっていうのが一番手っ取り早くって。その感覚に近い状態になり得ることをしなさいって。
木村:コウハクさん?
未來:うん。何をしてるときがいい顔してるか、って。ご飯食べたときにいい顔してるとか、音楽やってるときにいい顔してるとか。「描いているときは無心になっているぞ、お前」とか(コウハクさんに言われた)。勉強やスポーツでそうなれる人もいるかもしれないし、いろんな状況があると思う。でも選択はけっこう早い段階から、常に迫られていたんですよね。何になりたいかとか、何がしたいかっていうことを。「何でもいいよ」みたいなことはなかったんです。常に「明日変わっていいから、いまやりたいことを決定しろ」って。
(一同唸る)
未來:消去法とかも。「何になりたくない」とかいうことも含めて…
木村:なるほど
未來:かといって、そんなに大して「何だ」っていうことには繋がらないんですけどね。日々変わっていいから、いま一番好きなものとかやりたいものって何か、ということを考えさせられた。
安藤:(自分は)ぼーっとしてるままですからね。いや、すごいっすよね
木村:本当だね
安藤:シンプルだけど、効き目がある
未來:効き目がある笑
(6へつづく)
注釈
※1 「自閉症という体験」ドナ・ウィリアムス著 川手鷹彦訳 誠信書房
※2 サヴァン症候群 精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状
※3 ヘンリー・ムーア 20世紀のイギリスを代表する彫刻家。母と子が溶け合うように一体化した母子像も知られている
20世紀のイギリスを代表する彫刻家、ヘンリー・ムーア。 生涯のテーマに「母と子」「横たわる像」がありました。それらは腕や身体の動きで生まれた空間が空洞のある彫刻として表現され、有機的な形を持つムーアの作品の特徴をよく示すものとなっています。...
Posted by メナード美術館 Menard Art Museum on Thursday, June 9, 2016
※4 「人間の建設」 小林秀雄・岡潔 著 新潮文庫
次回予告
7/27(土) 19時頃 予定!
次回⑥は…ついに最終回!
・安藤節が炸裂「言いたいことはあるんですよ」
・自分へのお手紙の時間に「やだー」
ここまで深まった哲学対話はいったいどこに着地するのか?
どうぞお楽しみにー!
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プロフィール
安藤 誠人(あんどう まさと)
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1972年 大分県別府市生まれ
2000年(専)仙台 College of design入学
2002年 鯨井久樹 造形美術教室 入門
2003年 安藤誠人個展
以降個展、グループ展多数
2011年 大分県宇佐市に移住
2021年 カテリーナ古楽器研究所大分移住30周年記念公演に絵画で参加
2023年 カテリーナ古楽器研究所開設50周年記念公演に絵画で参加
現在、一色による色調と技法と物質を内なる必然性と関連した絵画表現を探究。
木村 秀和(きむら ひでかず)
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1961年兵庫県生まれ
東京造形大学で彫刻を学ぶ。
大分移住後別杵速見森林組合で林業に携わる。
2000年作業中の事故で脊椎を損傷し以後車椅子生活となる。
現在豊後大野市犬飼町 社会福祉法人萌葱の郷の施設で自閉症の人達の美術制作をサポートしている。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100055164999837
松本 未來(まつもと みらい)
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1982年東京生まれ
ヨーロッパ、中世・ルネサンス期の古楽器を復元・制作する工房を遊び場に、数多くの古楽器に囲まれ、制作の現場で育つ。調律師でもあった父のチェンバロ調律は子守唄。音楽は家族の楽しみ、コミュニケーションの一つとして日常にあった。旅をすれば歌が生まれ、楽しくなれば太鼓を鳴らし体が動く。生活は作ることを基本として、楽器に限らず道具やものは自らが作る。そんな生活の場が現在の生きる道を形づけてきた。baobabと同時に古楽器演奏ではシトール、ギターン、ハーディー・ガーディー等を担当する。作ることと音を奏でることは、互いに大きなインスピレーションを与え合うものとして存在している。音楽よりも長い経歴を持つ楽器制作では、現在、カテリーナ古楽器研究所を主宰する。
未來さんの活動拠点。カテリーナ古楽器研究所のあるカテリーナの森では現在劇場化計画が進んでいます。計画にかける思いや、進捗状況などは「カテリーナの森の劇場化」のインスタグラムよりご確認ください。
Magazine Crew
文・写真
三浦順子(あのね文書室)
ライター/インタビュアー。 大分県の片隅でドタバタと4人の子育て中。猫3匹と6人家族で暮らしています。元地方紙記者(見出しとレイアウト担当)。2019年、インタビュー記事を書きはじめました。2022年からは地方紙と専門紙の契約ライターもやってます。
↑今回の取材は写真も MJ担当。すごい早さでサッと撮る!そんな時に元バスケ部を感じる。話の腰を折らないように、さりげなく、こだわらんでいいやん。って感じでシャッターを切るから、みんなの自然な表情で対談風景をご紹介できました。(編集長)
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