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うさぎの鳴く声⑤【小説】

こんにちは 出会った君に もやもやと
黒と白とで 疑問投げかけ

ウサギのトマトの動物病院通いに付き合うようになってから、以前よりも街中で出会う動物に目がいくようになった。
そんなことなかったのになと思っていると、塀の上で木の影に隠れて偵察中の猫を見つける。
猫は見つめる立場で見つめられるなんて思ってもないのか、立ち止まって視線を向けた私に驚いて、塀の向こうに消えていった。

猫には猫の人生があって、猫には猫の幸せがある。飼っているなんて勝手なことをいっても、その人生に同伴させていただいてるに過ぎないのかもしれない。
たまに歩いていると、そんな普段は気づかない生活があることに気づく。普段はそんな生活に気づかずにいるのに。
通り道にカフェが見えた。
この辺の作りには珍しく、大きめのウッドデッキが目を引く。とはいえ、パンデミックになってからと言うもの、屋外での活動は確かに増えたような気がする。
日差しとカフェラテと犬。白と黒の流れる毛並み。じっと見つめていると、犬も振り向いた。犬らしいフェイスのつぶらな瞳。

この犬の感じ、最近もあった気がする。
目線をあげて、隣にいる飼い主の男性を見つめる。脳内の記憶にカチリとはまった。
つい最近お会いしたトマトの病院の先生だった。

こういう時いつも困る。
猫にも生活があるように、犬にも生活があるように、院長先生にも生活がある。
プライベートにお邪魔してもいいのかな。一瞬のためらいが無言になる。
会釈だけしてみる。
訝しげな顔と控えめな「こんにちは」のあいさつ。返事をされたら返すしかない。
スルーするには、お世話になっている相手だし。
「トマトがお世話になってます。えっと、ウサギです。野菜ではなくて」
黒のトレーナー姿の先生は、フワッと笑顔を浮かべる。
「確かに、僕は八百屋ではないですね」
微かに笑いながら答える先生に、少しだけ親しみを感じて、瞬間、病院の先生であることを忘れさせてくれた。


特に動物病院に行く用事があるわけでもないのに、それから3度先生にであった。
買い物先で1度、カフェで2度。
言い訳せずに言うのなら、3度目の出会いは、少なからず期待して通りかかったカフェの前で。
相談してみたかったのだ。心の中を誰かに。

「レンタルペットって、どうなんでしょうか?」
何度か会ううちに、もしくはオヤツをあげさせてもらううちに、撫でるまでの行為を許された。つくしちゃんを撫でながら、話を切り出した。
院長先生は、名前を哲也さんというそうだ。
先生と呼んでいたのだが、哲也でいいですよと途中から言われた。確かに、私が哲也さんの立場でもカフェで先生、先生って言われたら、名前で呼んでくださいってなるような気がする。
お父さんよりもは少し下の年代だろう哲也さんは、落ち着いた声で時折疲れた感じを見せるように、ゆっくりと話してくれる。
安心する。少し控えめの音量とゆっくりとした話口調が、独特の個性となる。病院でお会いするのとはちょっとだけ違う印象で、頼りになるのに支えたくなるような、絶妙なアンバランス。
「どうなんでしょうって?どう思ったの?」
「失礼なことかもしれないけど、借りてしまうってどうなんだろうって思ったんです。借りるってことは、返すってことですよね?」
「まぁ、そうなるよね」
「犬を借りるんですか?」
哲也さんはじっと私の目を見つめながら、ゆっくりと間を開けて話し始めた。
「飼い始めて飼えない。飼い始めて、うまく飼いきれない人がたくさんいるのはわかるかな?」
真剣さを感じる問いだった。
「はい」
「無責任だとは思わないよ。触れたこともない生き物を、突然飼うのは無理があると思う。誰だって、はじめてはあるからね。けど、相手は生き物だから、その子の一生は一度しかないんだよ。だからね、何度でも試してみて欲しいし、何度でも尋ねて欲しいんだ。飼い主として責任を持つと決める前に、その生き物に触れることが悪いとは、僕は思わないよ」
「ごめんなさい」
軽い笑いで誤魔化しながら哲也さんが言った。
「犬、飼いたいの?つくしを触りに来てね。この子は僕の犬だから。飼い主として責任持つって決断する前に、僕のつくしに何度でも会いに来ていいよ」

先日病院で先生に会った時に、自分の心のモヤモヤにきづいてしまったのかもしれない。声にならない声を、その空間で共感してしまった。
動物病院でレンタルを勧めるなんて、なんだかとても変な気がした。
どこか遊びのような、ただ触ってみたい。ぬいぐるみみたいに飼ってみたい人も紛れ込んでいると思う。
レンタルなんて、それを肯定しているようで、民間のサービスがやっているのならわかるが、病院でそう言われることに、なんだか違和感を感じたのだ。
もしかしたら、この病院はお金儲けで生き物を扱っているのかもしれない。性善性を求めるのもおかしいのかもしれないが、どこかでそれを求めてしまっていた。

はっきりと声に出さないからと言って、その人に意見がないわけではない。
決めつけてはいけない。
でも、レンタルすることによって、不幸を減らしてみたいと思ったのか。体験が経験になるって伝えたかったのか。

哲也さんが、じっと目を見つめて言った。
「気持ちがあるかどうかはね、意外と伝わるものだよ」



じっと見つめ返した。
間の多い哲也さんとは、なんとなくぼーっと見つめ合う時間が増えてしまう。
なんだか自分が、声を出せないウサギのトマトになってしまったような気になる。
声を忘れてしまったように、じっと上目遣いで見つめるトマトは、それでも明らかに感情を伝えていて、哲也さんの伝えたいことは、きっとそういうことなのだろう。

「好きなんでしょ?つくしのこと」
「え?」
「好きじゃなかったら、こんなに会いにこないし見つめない。受け入れられないでしょ」
つくしを撫でながら、哲也さんは続けた。
「相談に乗るよ。つくしと一緒に、茜ちゃんの相棒がどんな子がいいか。好きなんでしょ?犬」

「あ、はい」
一瞬何を言われたのかわからなくなったのは、つくしが間にはさまってきたからではないような気がした。
ツルツルふわふわとしたつくしの毛を撫でながら、なんだか一瞬魔法にかけられた気がした。

好きじゃなかったら、こんなに会いにこないし見つめない。

わけもわからず、じゃあまたねと去る哲也さんを見送る。
来週のつくしの散歩に参加させてくれるそうだ。入れたばかりの連絡先が、なんだか不思議な安心感を与える。

今度ばかりは言えない言葉を増やさずに、声にならない声を聞いてもらいたい。そして、声にならない声を聞いてあげたい。

穏やかな彼の声に耳を傾けて、静かな時間を増やしていきたい。


6話目に続く




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